群衆

　1941年といえば、日本は戦時中。アメリカ合衆国は太平洋戦争に突入する直前で、戦争は遠いヨーロッパやアジアの話だった。当時、アメリカの仮想敵は日本とドイツだったが、とりわけ太平洋での覇権がほしかったアメリカにとって、日本との戦争はやりたくてたまらない、というものだったろう。そんな時代に作られた映画。

　わたしにとっては映画の質そのものよりも、こういう時代背景のほうが気になる作品だったのだ。映画のつかみはとてもいい。新聞社でリストラが行われる巻頭のシークェンスのユーモラスな描写は古臭さを感じさせない面白さだ。

　けれど、「隣人愛」を説くジョン・ドーという正体不明の男に大衆が夢中になる様子にはちょっと首をかしげてしまった。そんな単純なフレーズになぜ人々が魅せられていくのか、リアリティのなさを感じたのだ。だが、それは1941年当時にあっては現実そのものの描写だったのだろう。大きな嘘にこそ大衆は騙される、単純で簡単なことにこそ人々は惹きつけられるというナチスの政治学が跋扈していた当時の状況をキャプラ監督は描いたのだ（といってもそれはドイツの話だけど）。

　この映画を観て「そんなバカな」とクールにばかばかしく思えるなら、今の事態はそれほど悪くないだろう。けれど、「北朝鮮がテポドンを発射した」というニュースに憤慨して排外主義を煽られる人々が後を絶たない今、この映画の時代の人々を嗤っていられるのだろうか、と思う。

　「ジョン・ドー」って、誰の何某という意味。つまりは「名無しの権兵衛」。
　「身元不明の死体に、男ならジョン・ドー、女ならジェーン・ドーと名前をつけるねんで」と中学3年の息子が教えてくれた。受験生だというのにまったく勉強しないけれど、こういう雑学だけはよく知っているんだからねぇ〜。

　本作の作りは極めて古く、予定調和のラストもあまりといえばあまりにご都合主義的で今から見ると噴飯ものとさえ言えるのだが、マスコミに踊らされる大衆社会の到来をこれほど見事に描写した映画が1941年に制作されていたことに感嘆した。

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　フランク・キャプラと言えば“アメリカの良心”。…ちょっと白々しいほどの理想主義という印象なんだけれども、「何もしない善人より行動する偽善者の方がマシ」と思っている自分には、こういうお話もアリです。

　リストラされかけた女性記者アン（Ｂ・スタンウィック）が捏造した、義憤の男ジョン・ドゥー。そして、ひょんなことからジョン・ドゥーに仕立て上げられ、「隣人愛」を説いてまわる世直し人になってしまったウィロビー（Ｇ・クーパー）。金と地位のために画策する連中に食い物にされているというのが真相ながら、アンには亡き父の思いを実現しているという喜びがあり、ウィロビーもこの運動で人間関係を修復できたという人たちに実際に会い、感謝される体験によって何がしらの手応えを得ている。

　「ないもの」を「あるもの」のようにする、そうふるまうことで、本当に存在させる、言ってみれば「ウソから出た真」というお話。そもそも存在しないジョン・ドゥー、そして彼が説く「隣人愛」と、ウサン臭い実体のない理想が、実際に人々を動かしていく。実際にそれによって救われた人々がいる、それはそれで良いじゃないかと。それに、ここにはきちんと現実を見据える人物もいる。ウィロビーの相棒で「大佐」と呼ばれるじいさんだ。この人が説く「金があれば“亡者”にたかられ自由ではいられなくなるから、無一文がいいんだ」という哲学（？）が、案外一番まっとうかもしれない。大勢の群集がジョンの演説に熱狂する中で、このじいさんがひとり渋面でかぶりを振る。こんなのは嘘っぱちだと。このカウンター・バランスがあったことで物語全体の臭みが幾分かは取れた気がする。

　ホテルでウィロビーが大佐と野球の真似をするのも、このテーマをよく表わしている。つまり「無い」ボールを「あるかのように」ふるまっているのだ。周りで見ているお目付け役の男たちも次第にこの遊びに夢中になっていく。ウソが真になっていく事実。

　クライマックスのクリスマスも、そもそもキリスト生誕は１２月２５日ではないし、北欧あたりのお祭りと合体した風習と聞いている。クリスマス自体はウソ、それでもそれを本物として祝う、キリスト生誕の意味を深く思う、そこに意味がありそこから真実が生まれる。

　４１年の作品ということで、吟遊旅人さんが書かれているように戦争の色濃い時代背景にあって、一般大衆が一人の男、或いは一つの理念に熱狂していく様子はファシズム批判なのかとも思える。黒幕の陰謀によってウィロビーが窮地に立たされるシーン、壇上で反論しようとするがマイクの線を切られ声が届かなくなる、という描写は言論弾圧を表わしているのか。

　買収された新聞社の変化を軽快なテンポで見せる冒頭、Ｂ・スタンウィックがばちゃばちゃタイプライター打って上司にがんがんマシンガントークかましてって、このテイスト、私は「ヒズ・ガール・フライデー」がちらと思い浮かんだのですが（この戯曲ならビリー・ワイルダーの「フロントページ」の方が好きです）。コメディー・タッチの滑り出しから、だんだんヒューマニズムに傾いて、商業主義マスコミの狂気からもだんだん話が離れていって、あのご都合主義のラストになってしまうので、なんとなくピンボケな感じは否めない。
　まぁ、それでも、「ウソから出た真」というテーマで言えば、最後にはウィロビーという男も自分の言葉で語れるホンモノのジョン・ドゥーになっているし、烏合の衆だったあの群衆の中にもホンモノの人たちがちゃんと存在していたよっていうメッセージで、いいのかな、ウン。

クビになった若い女性記者がヤケになって書いた記事の男。
ジョン・ドゥー。
部数を伸ばしてクビをつなぎたい女性記者と、
小金欲しさにジョン役を買って出るウィロビー。

女性記者が捏造したジョン・ドゥーのスピーチが絶賛を浴び
虚像と理想との間で苦悶する男の姿がうまく描かれた作品です。
理想の人物像ジョンの存在があまりに巨大化してしまい　
身動きできなくなっていく男の選ぶ結末が見物。

マスコミって一体何者なんでしょう。
事実が情報になりニュースとなる、はずが
嘘のニュースが 社会現象となり　虚構を作り上げる。
皮肉たっぷりの作品です。


ダスティン・ホフマンの「靴をなくした天使」に
そっくりな話だと思いました。こちらがネタもとなのでしょう。
靴をなくした天使のほうは未見なので　
近々チェックしてみたいと思います。

　１９４１年作。「スミス都へ行く」同様に政治をメインテーマに恋やら陰謀やら、にぎにぎしく展開し、純真な主人公はもう駄目だというところまで追い込まれながら、その善と正義により最後は勝利する（だろう）というお話。
「スミス都へ行く」よりも高く評価する方もおられるようだが、わたしはいろいろ躓いてしまう部分があり、スカッと愉しめなかったのでマイナス。
　同じ政治でも子どものためのキャンプ場を造るか、土地転がしで大もうけするためにダム建設をするかというレベルの話ではなく、マスメディアと大衆との危うい関係、大衆運動の可能性と危険性という複雑な問題。「地獄の英雄」のビリー・ワイルダーはまさにここを、病巣を摘出する外科医のごとき冷徹さでえぐって見せたが、キャプラにはそれほどの批判力を感じなかった。嘘から出た真、バーバラ・スタンウィックに「動機は不純だったけれど運動は間違いではない」と言わせ、隣人愛を広める大衆運動を讃えている。悪い政治家・野心家に利用されさえしなければよしとしてしまう。ジョン・ドウ同様、大衆は根は善良なのだ。大衆自身の軽佻浮薄さや心変わりの残酷さに対する風刺はあまりない。
他人の死を見世物にして発行部数を増やそうとする新聞社のいやらしさへの批判は、隣人愛とゲーリー・クーパーとバーバラ・スタンウィックの恋愛の進行で、消えていってしまった。いまいち切れ味が悪い。

　もう一つ気付いたことは、この時代アメリカ人が自由を愛するということは、国を愛するということであり、その具体的な愛し方とは共産主義（社会主義）を憎み共産主義者と戦うことであるらしいこと。現代まで続く根強い反共主義。偏屈な編集長ジェームズ・グリーズマンの信条がこれだ。現代に生きていたらオバマの国民皆保険政策に猛反対しただろうか。
本作でも悪の親玉を演じたエドワード・アーノルドの陰謀仲間にハメットの名と組合幹部を挙げていた。私設の軍隊まで持っているエドワード・アーノルドにはヒトラーの面影も見えるが、ファシストと共産主義者は一つ穴のムジナ。アメリカの敵だ。自由と隣人愛を言いつつ、むしろその名のもとで敵を排除するために戦う。キャプラもそれにとくに疑問は抱いていないらしい。

　唯一の救いはゲーリー・クーパーの放浪仲間の大佐（ウォルター・ブレナン）。彼はホーボーとして国中を転々とする生活を、仙人のように楽しんでいる。金などあれば亡者たちを呼び寄せてしまいがんじがらめにされるだけ、無所有の流浪の生活こそ人間らしい。負け惜しみではなく哲学として。大佐は国に首根っこを押さえられている人間ではないらしい。美辞麗句にも酔わない。たまにオカリナを吹きながら淡々と生きる。やがて戦争になだれ込んでいく国民の熱狂を、あれからも冷めた目で見続けたことだろう。

　前半のバーバラ・スタンウィックのマシンガントーク、ゲーリー・クーパーの天然ボケ、この人ほんとにいたいけな役がよく似合う、、後半雨のスタジアムでトマトを投げつけられる、まるで受難のキリストのような姿、そして幻想的な雪ふりしきる市庁舎屋上。女性記者がリストラの腹いせに書いた捏造記事がきっかけで大勢を巻き込んだ全国的な事件になっていく連鎖の面白さ、コーエン兄弟のようでもある、はやはりなかなかのものでした。
　

バーバラ・スタンウィック