野火の画像・ジャケット写真

野火 / 船越英二

野火 /市川崑

平均評価点: 

予告編を検索

全体の平均評価点: (5点満点)

7

DVD

旧作

お届け率:100%

解説・ストーリー

大岡昇平の同名小説を、和田夏十が脚色し市川崑が監督した反戦映画。病院にも部隊にも見放された田村は、フィリピン戦線のレイテ島をさまよっていた。同じように敗走している仲間と病院の前で合流するが、その病院が砲撃を受けたため、田村は一人で逃げ出した。食べるものもなく、仲間を失った田村は、草を食べて生き延びていた。そして彼は、生き別れたかつての仲間である永松と安田と再会した。二人は殺した味方の兵士を“猿”と称し、その肉を食べていたのだった。

DVD

旧作

お届け率:100%

ジャンル :

新規ご登録はこちら

新規登録で
「定額レンタル4」月額1,026円(税込)を

14日間無料お試し!
  • 無料お試し期間中『新作』はレンタル対象外です。
    新作をレンタルする方法はこちら
  • ※本キャンペーンの無料お試しの対象者は、次の@ABのいずれかに該当する方に限ります。
  • @「TSUTAYA DISCAS」の定額プラン(定額プランの種類は問いません。以下同じ)の利用開始時に「無料お試し」を利用したことがない方
  • A2022年10月2日以前に「TSUTAYA DISCAS」の定額プランの利用を終了された方であって、2022年10月3日以降、「TSUTAYA DISCAS」の定額プランを利用していない方
  • B上記@Aのほか、当社が不定期で実施する期間限定キャンペーンにおいて、キャンペーン開始時に、当社が定める参加条件を満たした方
  • 無料お試し期間中(14日間)、新作はレンタル対象外です。(但し、上記Bの対象者に限り、新作もレンタル対象となる場合があります)
  • 無料お試し期間終了後、登録プラン料金で自動更新となります。

「野火」 の解説・あらすじ・ストーリー

解説・ストーリー

大岡昇平の同名小説を、和田夏十が脚色し市川崑が監督した反戦映画。病院にも部隊にも見放された田村は、フィリピン戦線のレイテ島をさまよっていた。同じように敗走している仲間と病院の前で合流するが、その病院が砲撃を受けたため、田村は一人で逃げ出した。食べるものもなく、仲間を失った田村は、草を食べて生き延びていた。そして彼は、生き別れたかつての仲間である永松と安田と再会した。二人は殺した味方の兵士を“猿”と称し、その肉を食べていたのだった。

「野火」 の作品情報

作品情報

製作年:

1959年

製作国:

日本

「野火」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ

TSUTAYAだから可能な圧倒的作品数!!

TSUTAYAだから可能な圧倒的作品数!!

洋画・邦画

35,500
タイトル以上

国内ドラマも一部含まれております

国内・海外ドラマ

5,400
タイトル以上

アニメ

9,200
タイトル以上

R-18

210,000
タイトル以上

CD

250,000
タイトル以上

※2022年2月 現在のタイトル数

新規ご登録はこちら

新規登録で
「定額レンタル4」月額1,026円(税込)を

14日間無料お試し!
  • 無料お試し期間中『新作』はレンタル対象外です。
    新作をレンタルする方法はこちら
  • ※本キャンペーンの無料お試しの対象者は、次の@ABのいずれかに該当する方に限ります。
  • @「TSUTAYA DISCAS」の定額プラン(定額プランの種類は問いません。以下同じ)の利用開始時に「無料お試し」を利用したことがない方
  • A2022年10月2日以前に「TSUTAYA DISCAS」の定額プランの利用を終了された方であって、2022年10月3日以降、「TSUTAYA DISCAS」の定額プランを利用していない方
  • B上記@Aのほか、当社が不定期で実施する期間限定キャンペーンにおいて、キャンペーン開始時に、当社が定める参加条件を満たした方
  • 無料お試し期間中(14日間)、新作はレンタル対象外です。(但し、上記Bの対象者に限り、新作もレンタル対象となる場合があります)
  • 無料お試し期間終了後、登録プラン料金で自動更新となります。

関連作品

関連作品

好色一代男

太陽の子

あぶない刑事

事件

獄門島

ユーザーレビュー:7件

入力内容に誤りがあります。

内容をご確認のうえ、修正いただきますようお願いいたします。

  • 入力内容に誤りがあります。

この作品に関するあなたの感想や意見を書いてみませんか?

1〜 5件 / 全7件

「ビルマの竪琴」と対を成す、市川崑監督が、戦争を描いた作品。

投稿日:2009/02/24 レビュアー:ロキュータス

このレビューは気に入りましたか? 21人の会員が気に入ったと投稿しています

原作を読んでの再見 ネタバレ

投稿日:2023/01/19 レビュアー:kazupon

※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。

レビューを表示する

監督:市川崑(1959年・日本・104分・モノクロ)
脚本:和田夏十
原作:大岡昇平『野火』

初めて本作を観たのは、2016年6月だった。当初の予定ではこの後、塚本晋也監督のリメイク『野火(2014年)』を観るつもりだった。
しかし、続けざまに観るには内容が重たすぎて挫折してしまったのだ。そして、これは原作をちゃんと読んでから観直そうとも思った。
再度“しかし…”と言い訳になるが、本は買ったのに実際に読んだのは昨年末で、読後、直ぐに塚本版を鑑賞したにはしたけれど、今度は本作(市川崑作品)の記憶が曖昧になっていて、どうにも気になってしかたがない。それで、再見するのが一番スッキリするだろうと考えた次第。

舞台となるのは、太平洋戦争末期のフィリピン・レイテ島。
いきなり、一人の兵隊が頬を打たれ、分隊長に罵声を浴びせられているシーンから始まる。
兵隊は田村一等兵(船越英二)で、肺病のため部隊を追い出され、五日分の食料を持たされて病院へ向かったが、三日で治癒を宣言されて部隊に舞い戻ったのだった。
兵隊にとっても軍医や衛生兵にとっても、目下の問題は食糧難だった。「食料収集も出来ず、防空壕も掘れない役立たずが、のこのこ帰って来るな!」と、分隊長は益々激昂して怒鳴り散らしている。
「田村一等兵はこれより直ちに病院に赴き、入院を許可されない時は受領した手榴弾で自決いたします!」
こうして田村は再度部隊を離れ、病院に向かうのだが、彼はその途中で一条の黒い煙が立ち上がるのを目撃した。
タイトルの「野火」とは、それを表している。フィリピンのこの季節では、収穫後のトウモロコシの殻などを焼くので、その煙のはずだった。田村は、その野火の煙に(彼が行く先々で遭遇するので)まるで合図の狼煙(のろし)のように感じて不安を覚えるのだった。
案の定、病院は田村を受け入れず、彼と同じように病院から締め出された病兵たちと一緒に、病院近くの林に屯(たむろ)することに決めた。
この時、どういう因果か知り合ってしまった安田(滝沢修)と永松(ミッキー・カーチス)と最後まで行動を共にすることになるのだった。

「野火」を自分の行く先々で見るという言い知れぬ不安と、「孤独」「飢餓」という状態に延々と置かれ極限状態に追い込まれて行き、終いにはカニバリズムがテーマとなっていく。「サルの肉」だと言われて田村は口にするが、干した肉が硬くて歯がボロボロの田村には噛めない(食べられない)というふうに本作では変更が加えられていた。それ以外は原作に概ね忠実に描かれていたと思う。
この物語は「戦争」を描いてはいるが、戦闘そのものではなく“人間”が描かれている。一つは「何故、人を殺すのか」もう一つは「生きるために人は何をするのか」
原作には、遠くにキラリと光る教会の十字架が象徴的だったが、本作では宗教色は徹底的に薄められていたと思う。特定の信仰や信仰のあるなしに関わらず、人間の本能的な部分や尊厳を問いたかったのかも知れない。
原作では、この一連の物語は田村が書き綴った「手記」だと最後に明かされる。私が感じたのは、登場人物たちに見る人間としてのあり方だった。
狡猾な安田や、次第に生きる執念を見せる永松の顛末だけではなく、「自分が死んだら、此処を食べてもいいよ。」と自分の痩せた二の腕を指した兵隊の言動に、各人のあり方の違いを見たと思う。
*****     *****     *****     *****    *****
初見の時にも感じたことだけれど、田村一等兵を演じた船越英二が、私の知っている船越英二とはまるで別人で、本作のような鬼気迫る演技をする人だとは信じられない思いだ。若い兵隊を演じたミッキー・カーチスの演技も印象的で、気弱な青年が徐々に変貌していく姿が上手いと思った。

このレビューは気に入りましたか? 5人の会員が気に入ったと投稿しています

1959年版 主役を演じるのは船越英二

投稿日:2016/06/05 レビュアー:kazupon

このレビューは気に入りましたか? 5人の会員が気に入ったと投稿しています

「シン・レッド・ライン」に通底するものがある、と言ったら不謹慎? ネタバレ

投稿日:2009/09/21 レビュアー:港のマリー

※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。

レビューを表示する

 例えば大岡昇平の原作にはこんな描写がある。

 「至るところに屍体があった。生々しい血と臓腑が、雨あがりの陽光を受けて光った。ちぎれた腕や足が、人形の部分のように、草の中にころがっていた。生きて動くものは、蝿だけであった。」

 雨上がりの陽光の輝きと濡れた草の深い緑、飛び交う蝿の羽音。砲撃で一部破壊されたとはいえ常と変わらぬ営みを見せる自然と散乱する凄惨な戦死者の遺体を冷徹に対比させるまなざし。自然の創り出した風景と戦争という人間の行為を等価なものとして、ある高みから観照する姿勢、テレンス・マリックの「シン・レッド・ライン」じゃないかと、今回原作を読み直して気付いた。
 西洋的な教養を深く積んだ知識人が、権力によって否応なしに放り込まれた戦争という極限状態において、どこまで自意識を保ち続け、事態を客観視しようとの意欲を持ち続け、人間性を失わないでいられるか、執拗に問い質したのが小説「野火」。(カニバリズムはその試金石だ。)哲学者マリックの立ち位置に近いのも当然かもしれない。

 ところで市川崑監督のこの映画も、テーマのヘヴィさにもかかわらず意外にスタイリッシュでクールだ。敗走する日本兵の一団が夜の川を渡って国道を越えようとする場面。ロングとアップで兵たちの苦闘を充分に捉えた後、前方に花火のような閃光がいくつか浮かぶ。アメリカ軍の戦車隊だ。激しい砲撃がくり返された翌朝。白々明けた斜面に散らばる無数の遺体が遠景で映される。計算され尽くされたようなシャープな白黒の画面。ひとかけらの感傷も伴うことなく、かすかに映像美すら感じさせながら、事実の無惨さを見せつける、その気迫に打たれた。
 雨に煙る林、なだらかな山の稜線、一人たたずむ主人公、田村一等兵のシルエットの美しさなど原作の内省的な雰囲気をよく表している。インテリ田村と反対にただただ貪欲に生きようとする兵たちの姿、野卑な会話の面白さも、それはそれで魅力的。武田泰淳はカニバリズムにどこまでも抗する大岡昇平を批判したらしい。
 血の飛び散らせ方など、後の金田一シリーズそのまま。とてもスタイリッシュ。

 原作では田村一等兵は青年時、キリスト教に感化されたことになっていて、十字架、教会、塩などキリスト教のアイテムが多々登場する。自分はいつも「神」に見られているという意識を持ち、最後の同僚殺しも神の怒りの代行ということになっている。映画では宗教性は割愛されている。それは仕方ないとしても、原作で飢えと病で精神にも異常をきたし、瀕死で道ばたの木に寄りかかる将校の言葉、

 「天皇陛下さま。大日本帝国さま。なにとぞ、家へ帰らせてくださいませ。飛行機さま。むかえに来い。オートジャイロで着いてくれい…暗いぞ」
の最初の3センテンスを、映画のせりふでは省いてあるのには複雑な思いにかられる。大岡昇平の出会った将校は狂った意識のなかでも、最後に頼るべきものに必死に呼びかけたのだろう。その言葉が復興なった平和な日本の、早く忘れたい触れたくない部分を揺り動かしてしまうとしても、削るべきではなかったのではないか。

 とはいえ「ビルマの竪琴」よりはるかに緊張感に満ちた戦争映画。過去は忘れないようにしたい。

このレビューは気に入りましたか? 5人の会員が気に入ったと投稿しています

成りゆき、勢いによる集団力学 ネタバレ

投稿日:2010/10/03 レビュアー:chiro

※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。

レビューを表示する

原作は大岡昇平の小説で、作者のフィリピンでの極限状態ともいえる戦争体験に基づいている。死が日常化されている状況の中で、生き延びるためには善悪や倫理は関係なく、他人を陥れるためにウソやハッタリをかます。そして、食うか食われるか・・・極めて利己的な「生存本能」剥き出しで行動せざるを得ない人間の本性が描かれている。

そんな中で、この映画の主人公・田村は人肉を食べることを拒否し、希望を持ち続けようとすることで辛うじて人間の尊厳性を維持している。「野火」とは、春の初めに野原の枯れ草を焼く火のことだが、田村にとってそれは危険な「狼煙」ではなく、農民たちがトウモロコシの殻を焼く、「平和で普通な暮らし」の象徴であった。

国家や軍隊から見放されドローンとした無気力感が蔓延する日本兵、目の焦点が合わずゾンビのようにフラフラと敗走する日本兵、密林の泥沼でバタバタと屍となっていく日本兵、倒れた屍の遺品を略奪する日本兵、狂気となりナメクジやウジ、蛇、「猿」をも食する日本兵など、戦争世代から聞いたことがあるような悲惨な戦争体験が映像化される。

撮影は全て日本で行われ、硬質なモノクロ映像は素晴らしいが、熱帯雨林の雰囲気までは伝わってこなかった。『地獄の黙示録』(79年)のように、実際にフィリピン・ロケを行ってお金をかけられたら、もの凄い作品になっただろう。船越英二とミッキー・カーチス、滝沢修という異質なキャスティングも見応えがある。

日本型ファシズムの特徴について、丸山真男は「集団を超える(超越的な)価値観が日本人の間に育ってなかったことだ。価値観ではなくて、成りゆき、勢いといった集団の力学が日本人を動かし、戦争に導き、戦争の終結すら日本人自らの意志では決められなかった」と述べている。こうした主体性の無さは、現在の日本の政治・社会、そして自分自身をも省みて、良くも悪くもあまり変わってないのかもしれない。

このレビューは気に入りましたか? 4人の会員が気に入ったと投稿しています

1〜 5件 / 全7件

ユーザーレビュー

入力内容に誤りがあります。

内容をご確認のうえ、修正いただきますようお願いいたします。

  • 入力内容に誤りがあります。

ユーザーレビュー:7件

「ビルマの竪琴」と対を成す、市川崑監督が、戦争を描いた作品。

投稿日

2009/02/24

レビュアー

ロキュータス

原作を読んでの再見

投稿日

2023/01/19

レビュアー

kazupon

※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。

レビューを表示する

監督:市川崑(1959年・日本・104分・モノクロ)
脚本:和田夏十
原作:大岡昇平『野火』

初めて本作を観たのは、2016年6月だった。当初の予定ではこの後、塚本晋也監督のリメイク『野火(2014年)』を観るつもりだった。
しかし、続けざまに観るには内容が重たすぎて挫折してしまったのだ。そして、これは原作をちゃんと読んでから観直そうとも思った。
再度“しかし…”と言い訳になるが、本は買ったのに実際に読んだのは昨年末で、読後、直ぐに塚本版を鑑賞したにはしたけれど、今度は本作(市川崑作品)の記憶が曖昧になっていて、どうにも気になってしかたがない。それで、再見するのが一番スッキリするだろうと考えた次第。

舞台となるのは、太平洋戦争末期のフィリピン・レイテ島。
いきなり、一人の兵隊が頬を打たれ、分隊長に罵声を浴びせられているシーンから始まる。
兵隊は田村一等兵(船越英二)で、肺病のため部隊を追い出され、五日分の食料を持たされて病院へ向かったが、三日で治癒を宣言されて部隊に舞い戻ったのだった。
兵隊にとっても軍医や衛生兵にとっても、目下の問題は食糧難だった。「食料収集も出来ず、防空壕も掘れない役立たずが、のこのこ帰って来るな!」と、分隊長は益々激昂して怒鳴り散らしている。
「田村一等兵はこれより直ちに病院に赴き、入院を許可されない時は受領した手榴弾で自決いたします!」
こうして田村は再度部隊を離れ、病院に向かうのだが、彼はその途中で一条の黒い煙が立ち上がるのを目撃した。
タイトルの「野火」とは、それを表している。フィリピンのこの季節では、収穫後のトウモロコシの殻などを焼くので、その煙のはずだった。田村は、その野火の煙に(彼が行く先々で遭遇するので)まるで合図の狼煙(のろし)のように感じて不安を覚えるのだった。
案の定、病院は田村を受け入れず、彼と同じように病院から締め出された病兵たちと一緒に、病院近くの林に屯(たむろ)することに決めた。
この時、どういう因果か知り合ってしまった安田(滝沢修)と永松(ミッキー・カーチス)と最後まで行動を共にすることになるのだった。

「野火」を自分の行く先々で見るという言い知れぬ不安と、「孤独」「飢餓」という状態に延々と置かれ極限状態に追い込まれて行き、終いにはカニバリズムがテーマとなっていく。「サルの肉」だと言われて田村は口にするが、干した肉が硬くて歯がボロボロの田村には噛めない(食べられない)というふうに本作では変更が加えられていた。それ以外は原作に概ね忠実に描かれていたと思う。
この物語は「戦争」を描いてはいるが、戦闘そのものではなく“人間”が描かれている。一つは「何故、人を殺すのか」もう一つは「生きるために人は何をするのか」
原作には、遠くにキラリと光る教会の十字架が象徴的だったが、本作では宗教色は徹底的に薄められていたと思う。特定の信仰や信仰のあるなしに関わらず、人間の本能的な部分や尊厳を問いたかったのかも知れない。
原作では、この一連の物語は田村が書き綴った「手記」だと最後に明かされる。私が感じたのは、登場人物たちに見る人間としてのあり方だった。
狡猾な安田や、次第に生きる執念を見せる永松の顛末だけではなく、「自分が死んだら、此処を食べてもいいよ。」と自分の痩せた二の腕を指した兵隊の言動に、各人のあり方の違いを見たと思う。
*****     *****     *****     *****    *****
初見の時にも感じたことだけれど、田村一等兵を演じた船越英二が、私の知っている船越英二とはまるで別人で、本作のような鬼気迫る演技をする人だとは信じられない思いだ。若い兵隊を演じたミッキー・カーチスの演技も印象的で、気弱な青年が徐々に変貌していく姿が上手いと思った。

1959年版 主役を演じるのは船越英二

投稿日

2016/06/05

レビュアー

kazupon

「シン・レッド・ライン」に通底するものがある、と言ったら不謹慎?

投稿日

2009/09/21

レビュアー

港のマリー

※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。

レビューを表示する

 例えば大岡昇平の原作にはこんな描写がある。

 「至るところに屍体があった。生々しい血と臓腑が、雨あがりの陽光を受けて光った。ちぎれた腕や足が、人形の部分のように、草の中にころがっていた。生きて動くものは、蝿だけであった。」

 雨上がりの陽光の輝きと濡れた草の深い緑、飛び交う蝿の羽音。砲撃で一部破壊されたとはいえ常と変わらぬ営みを見せる自然と散乱する凄惨な戦死者の遺体を冷徹に対比させるまなざし。自然の創り出した風景と戦争という人間の行為を等価なものとして、ある高みから観照する姿勢、テレンス・マリックの「シン・レッド・ライン」じゃないかと、今回原作を読み直して気付いた。
 西洋的な教養を深く積んだ知識人が、権力によって否応なしに放り込まれた戦争という極限状態において、どこまで自意識を保ち続け、事態を客観視しようとの意欲を持ち続け、人間性を失わないでいられるか、執拗に問い質したのが小説「野火」。(カニバリズムはその試金石だ。)哲学者マリックの立ち位置に近いのも当然かもしれない。

 ところで市川崑監督のこの映画も、テーマのヘヴィさにもかかわらず意外にスタイリッシュでクールだ。敗走する日本兵の一団が夜の川を渡って国道を越えようとする場面。ロングとアップで兵たちの苦闘を充分に捉えた後、前方に花火のような閃光がいくつか浮かぶ。アメリカ軍の戦車隊だ。激しい砲撃がくり返された翌朝。白々明けた斜面に散らばる無数の遺体が遠景で映される。計算され尽くされたようなシャープな白黒の画面。ひとかけらの感傷も伴うことなく、かすかに映像美すら感じさせながら、事実の無惨さを見せつける、その気迫に打たれた。
 雨に煙る林、なだらかな山の稜線、一人たたずむ主人公、田村一等兵のシルエットの美しさなど原作の内省的な雰囲気をよく表している。インテリ田村と反対にただただ貪欲に生きようとする兵たちの姿、野卑な会話の面白さも、それはそれで魅力的。武田泰淳はカニバリズムにどこまでも抗する大岡昇平を批判したらしい。
 血の飛び散らせ方など、後の金田一シリーズそのまま。とてもスタイリッシュ。

 原作では田村一等兵は青年時、キリスト教に感化されたことになっていて、十字架、教会、塩などキリスト教のアイテムが多々登場する。自分はいつも「神」に見られているという意識を持ち、最後の同僚殺しも神の怒りの代行ということになっている。映画では宗教性は割愛されている。それは仕方ないとしても、原作で飢えと病で精神にも異常をきたし、瀕死で道ばたの木に寄りかかる将校の言葉、

 「天皇陛下さま。大日本帝国さま。なにとぞ、家へ帰らせてくださいませ。飛行機さま。むかえに来い。オートジャイロで着いてくれい…暗いぞ」
の最初の3センテンスを、映画のせりふでは省いてあるのには複雑な思いにかられる。大岡昇平の出会った将校は狂った意識のなかでも、最後に頼るべきものに必死に呼びかけたのだろう。その言葉が復興なった平和な日本の、早く忘れたい触れたくない部分を揺り動かしてしまうとしても、削るべきではなかったのではないか。

 とはいえ「ビルマの竪琴」よりはるかに緊張感に満ちた戦争映画。過去は忘れないようにしたい。

成りゆき、勢いによる集団力学

投稿日

2010/10/03

レビュアー

chiro

※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。

レビューを表示する

原作は大岡昇平の小説で、作者のフィリピンでの極限状態ともいえる戦争体験に基づいている。死が日常化されている状況の中で、生き延びるためには善悪や倫理は関係なく、他人を陥れるためにウソやハッタリをかます。そして、食うか食われるか・・・極めて利己的な「生存本能」剥き出しで行動せざるを得ない人間の本性が描かれている。

そんな中で、この映画の主人公・田村は人肉を食べることを拒否し、希望を持ち続けようとすることで辛うじて人間の尊厳性を維持している。「野火」とは、春の初めに野原の枯れ草を焼く火のことだが、田村にとってそれは危険な「狼煙」ではなく、農民たちがトウモロコシの殻を焼く、「平和で普通な暮らし」の象徴であった。

国家や軍隊から見放されドローンとした無気力感が蔓延する日本兵、目の焦点が合わずゾンビのようにフラフラと敗走する日本兵、密林の泥沼でバタバタと屍となっていく日本兵、倒れた屍の遺品を略奪する日本兵、狂気となりナメクジやウジ、蛇、「猿」をも食する日本兵など、戦争世代から聞いたことがあるような悲惨な戦争体験が映像化される。

撮影は全て日本で行われ、硬質なモノクロ映像は素晴らしいが、熱帯雨林の雰囲気までは伝わってこなかった。『地獄の黙示録』(79年)のように、実際にフィリピン・ロケを行ってお金をかけられたら、もの凄い作品になっただろう。船越英二とミッキー・カーチス、滝沢修という異質なキャスティングも見応えがある。

日本型ファシズムの特徴について、丸山真男は「集団を超える(超越的な)価値観が日本人の間に育ってなかったことだ。価値観ではなくて、成りゆき、勢いといった集団の力学が日本人を動かし、戦争に導き、戦争の終結すら日本人自らの意志では決められなかった」と述べている。こうした主体性の無さは、現在の日本の政治・社会、そして自分自身をも省みて、良くも悪くもあまり変わってないのかもしれない。

1〜 5件 / 全7件

新規ご登録はこちら

新規登録で
「定額レンタル4」月額1,026円(税込)を

14日間無料お試し!
  • 無料お試し期間中『新作』はレンタル対象外です。
    新作をレンタルする方法はこちら
  • ※本キャンペーンの無料お試しの対象者は、次の@ABのいずれかに該当する方に限ります。
  • @「TSUTAYA DISCAS」の定額プラン(定額プランの種類は問いません。以下同じ)の利用開始時に「無料お試し」を利用したことがない方
  • A2022年10月2日以前に「TSUTAYA DISCAS」の定額プランの利用を終了された方であって、2022年10月3日以降、「TSUTAYA DISCAS」の定額プランを利用していない方
  • B上記@Aのほか、当社が不定期で実施する期間限定キャンペーンにおいて、キャンペーン開始時に、当社が定める参加条件を満たした方
  • 無料お試し期間中(14日間)、新作はレンタル対象外です。(但し、上記Bの対象者に限り、新作もレンタル対象となる場合があります)
  • 無料お試し期間終了後、登録プラン料金で自動更新となります。

ご利用の流れ

ご利用の流れ

@ 会員登録

申し込みフォームへ記入

申し込みフォームへ記入したら登録完了!

A 作品をレンタル

作品をレンタル

借りたい作品をリストアップするだけ!
発送可能な商品を自宅にお届けします。

B ポストに返却

ポストに返却

商品をポストに投函すればOK!

よくあるご質問

よくあるご質問

もちろん無料お試し期間中に退会することも可能です。 また、その場合は料金は一切かかりません。

無料お試し中も、都度レンタルは、有料でご利用いただくことができます。
また、無料お試し中に解約され、何らかの理由でレンタル商品を期日までにご返却いただけなかった場合に、追加料金が発生する場合がございます。

定額プランは1つの封筒に2枚入り、お届けいたします。
届いた往復封筒でポストへご投函いただき、当社配送センターにてご返却を確認できましたら次の封筒を発送致します。繰り返しでご登録のプラン枚数までご利用いただけます。

各プランはこちら

各プランはこちら

  • 宅配レンタル 定額4プラン
    月額1,026円税込
    • DVD/CDが定額で月4枚レンタルできる!※1
    新規登録する
  • 都度課金 プラン
    無料会員 月額0円税込 ※都度レンタル時の費用は発生します
    • 月額無料で単品レンタルを楽しみたい方におすすめ!
    新規登録する

※1 無料お試し期間中の「新作」レンタルは対象外です。

野火