雁の寺 / 若尾文子
全体の平均評価点: (5点満点)
(8)
解説・ストーリー
川島雄三監督が若尾文子を主演に描いた代表作をDVD化。寺の襖絵師の妾・里子の官能的な肉体に惹かれた住職は、襖絵師の死後、彼女を囲うことに。男女の愛欲と、痴態を覗き見する少年僧の歪んだ愛憎劇が展開。原作は水上勉の直木賞受賞作。
川島雄三監督が若尾文子を主演に描いた代表作をDVD化。寺の襖絵師の妾・里子の官能的な肉体に惹かれた住職は、襖絵師の死後、彼女を囲うことに。男女の愛欲と、痴態を覗き見する少年僧の歪んだ愛憎劇が展開。原作は水上勉の直木賞受賞作。
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「雁の寺」 の解説・あらすじ・ストーリー
解説・ストーリー
川島雄三監督が若尾文子を主演に描いた代表作をDVD化。寺の襖絵師の妾・里子の官能的な肉体に惹かれた住職は、襖絵師の死後、彼女を囲うことに。男女の愛欲と、痴態を覗き見する少年僧の歪んだ愛憎劇が展開。原作は水上勉の直木賞受賞作。
「雁の寺」 の作品情報
「雁の寺」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ
雁の寺の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
98分 |
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レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
D*DABP1144 |
2007年07月21日
|
在庫枚数 |
1位登録者: |
2位登録者: |
5枚
|
0人
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0人
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雁の寺の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
98分 |
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レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
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D*DABP1144 |
2007年07月21日
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在庫枚数 |
1位登録者: |
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ユーザーレビュー:8件
この街に生まれ育って
都道府県ご当地映画レビュー 京都府
( ネタばれあり )
これは『 幕末太陽伝 』や『 愛のお荷物 』などと同じ監督の作品だろうか、と思うような、端正で美しい画の中で繰り広げられる黒い情念のドラマ。
それはたぶんに映像美にこだわる職人集団、大映京都という” オーケストラ “、特に撮影の村井博によるところは大きいのでしょうが、それを使いこなし、引出しの多さを見せる川島雄三の” タクト “のみごとさを感じさせます。
原作は水上勉の直木賞受賞作のうちの一章を映画化。
重苦しいドロドロとした怨念の話だが、映画はやはり若尾文子の美しさが際立つ。
「 あの方は私を女にしてみせる、と明言なさいました。 」とは若尾文子の弁。
いやすでに溝口健二、小津安二郎、市川崑、増村保造作品に出演していて十分にオンナだったとは僕などは思いますが、あまり表情豊かでなく知的で「クール・ビューティ」とも言える若尾文子。 本作ではたしかに慈悲深い観音のような情の濃さ、たおやかさと、痴態も露わな妖艶さが同居して、女の体温を感じさせると言えるかもしれません。
「センセイはいけません」とそう呼ばせず、「君、今度は寄り目で行くよ」との川島雄三の指示に、若尾は「センセイ・・・じゃなかった、監督さま、私、あんまり目玉を寄せることができないんです 」と返すが、「アップのことだよ。いやだなあ、この人は」と川島は大笑い。 若尾さんの天然でかわいらしいエピソードです。
映画化は仏教界からの猛烈な反対を押し切ってのもののようですが、さもありなん。
山茶花究のカメラが趣味のモダン坊主は監督自身がモデルかな。
エロ坊主を演じる三島雅夫の” 悪役 “ ぶりがすばらしい。
映像美の画面に、便所の汲み取りの「匂い」を漂わせるのが川島雄三らしい。
自虐的ですが、京都という土地のいやらしさ、醜さがよく出ている。
生まれも育ちも一応京都でも、ディープな世界は、実際には知りませんが、それでもいくつもの顔を持つこの街には、反発も愛着も深く感じています。
歴史都市、宗教都市、学研都市であり、雅やかと山紫水明の美しい街ではありますが、水平社の発祥の地、『 パッチギ 』の舞台の土地でもありますし、怨念とオカルトの街でもあります。 有名な色街は同時に神前町でもあるし、古い町だがモダンなものも好き。
ラーメンは主流はこってり系ですしね。
ステレオタイプを言うなら、ぶっちゃけ、露悪的なほどにホンネを信条とする大阪に対して、なれなれしさ、ぶしつけさを嫌い、偽善的なほどに直截さに欠けスノッブなのが京都かな。
でも陰にして実は陽でもあり、イケズではあるけれども人当りはいいとは思うし、わかりにくい能面のような表情の下には、さまざまな感情がたしかにあります。
京都人のイメージを最も体現している俳優と言えば、岸部一徳でしょう。
古都である誇りと優越意識は隠しようもないかもしれません。 実際はインフラから組織力、経済力から言っても、文化的発信力は東京にはもはやかなわない。
実際は洗練されていないところも多くて、田舎だなと思いますが、でも土着性と何層にも積み重なった歴史の古さはやはり東京にはない特色、強みかな。
本作は水上勉の実体験を基にしています。 少年期に預けられた先( その寺は同志社大学のそばに実在 )のクソ坊主の欺瞞ぶり、醜悪さに、ぶっ殺してやると思うほどに憤怒の感情に駆られた水上勉ですが、脱走して道を踏み外しませんでした。
たしかに偽善、因習は醜悪で噴飯ものですが、どんなに当然な怒り、義憤であっても、どんなに正義の衣をまとっていても、憎悪はしょせんすべてを暗黒面に突き落とす不毛なもの。 達観はできないですが、矛盾を抱きながら、四苦八苦するのが人生とあきらめるしかないでしょう。
初めて、この映画を観た時、ラストに「何やろ、これ」と戸惑いましたが、『 ラスト・エンペラー 』のラストを観た時、頭に浮かんだのは、この映画のラストでした。
正しい者も、悪しき者も、賢者も愚者も、強者も弱者も、広い世界、長い時の流れからすれば、争い事はしょせんコップの中の嵐。
突き放した、明るいニヒリズム。 やはり川島雄三の代表作の一つと言える秀作です。
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純粋な文芸映画です
投稿日:2010/11/20
レビュアー:zeta2
観るたびに新しい映像を見せてくれる監督というのはそうはいません。川島雄三の映画は見るたびに驚かされます。新しいアングル、新しい手法。このような斬新さはどこから生まれるのか。思うにそれは彼の思考の柔軟さに由来するだけでなく、川島雄三がいくつかの映画会社を渡り歩いていたという特殊な環境があるのではないでしょうか。会社が変わればスタッフも変わる(どこへ行ってもオレ流でやれるのはよほどの大監督だけでしょうし、そもそも大監督はそんなに移動しない)。川島雄三の変幻自在の映像は、ひとつのことにこだわらないそのような現実的要請もあったのではないでしょうか。それにしても、同じカメラマンを使いながらまったく趣向の違った映像を作り上げる手腕は見事です。
この「雁の寺」の撮影は「女は二度生まれる」と同じ村井博です。「女は…」の引いたカメラがユニークでした。今回はさらに引くのです。物陰から人陰から穴のこちらから。お寺の話ですから、まあ彼岸からこちらを覗き込んでいるとでもいうのでしょうか。そのカメラアングルがとても効果的に映画を躍動感のあるものとしています。のみにとどまらずドアップもあるし、なんでもやっちゃいます。それがまた俗っぽくていい。川島雄三、妻帯を許した時点で俗世間以外の何ものでもないお寺の世界を完全にチャカしています。ついでに山茶花究にカメラ持たせて、自分のカメラ趣味も笑ってます。
この映画は若尾文子の3部作(「女は二度生まれる」「しとやかな獣」)と言われているようですが、私には異論があります。この映画の主人公は若尾文子ではない。慈念(高見国一)です。少なくとも映画はそのように描いている。同じ水上勉の映画化に「白蛇抄」がありますが、あれは小柳ルミ子のエロティック映画ということは誰もが認めるでしょう。実に色っぽい。しかし、この「雁の寺」は違います。慈念の生い立ち、女犯、殺人をめぐるお話です。その本筋から離れて、若尾文子の艶技がどうのと言いはやすことは作品にとって不幸なことだと思います。
若尾文子その人は残念ながらエロチックではないんですね。不思議な人です。「女は…」ではいっしょに行った温泉ホテルで男に置いてきぼりをくらうような軽い芸者役なのに、その美顔が邪魔をして演じきれない。この「雁の寺」では、慈念に「あんたはかわいそうな子や」と同情して体を預けてしまうような下町の苦労性の女なのに、知性が邪魔をしてしまっている。小柳ルミ子タイプではまちがってもない。ですからその意味でも、エロ坊主に抱かれる女がどうのという視点は排除してこの映画の若尾文子は観てあげるべきだと思います。
川島雄三はいわゆる「女体」を映像化しませんでした。撮影が中止になったときにモデルさんを呼んで、いつもスタッフとヌード撮影会を開いていたという川島雄三が「女体」に関心ないはずがない。おそらく彼は知っていたんですね。自分がそちらに入り込んでいったら、その映像はとても世間には受け入れられないだろうと。早すぎた天才の悲劇だと思います。
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京都のお寺を舞台にした珍しい隠微なミステリ
「雁(がん)の寺」(1962、大映、白黒、97分)。
監督は川島雄三(1918〜1963)、撮影は村井博(1922〜?)、脚本は監督と舟橋和郎(1919〜2006)、原作は若狭生まれの水上勉(1919〜2004)の同名小説(1961)。直木賞受賞作。京都の寺坊主として生きた原作者のミステリを、名優共演で描いています。
京都の禅寺の塔頭「孤峯庵(こほうあん)」の和尚「北見慈海」(三島雅夫)は生臭坊主だった。襖絵を描きに来ていた日本画家「岸本南嶽」(中村鴈治郎)が元・芸妓「さと(桐原里子)」(若尾文子)を囲っていたが、「南嶽」が急死、すぐに「さと」は「慈海」のものになる。寺の小坊主「慈念」(高見國一)は、「慈海」和尚から始終虐待され、愛欲の場面を見せつけられ、次第に殺意を抱く。彼は若狭の寺大工の末子で、口べらしで「孤峯庵」に放逐されたのだった。自分も貧しい育ちだった「さと」はいつも「慈念」に優しかった。
水上勉は、困窮の私小説作家・宇野浩二(1891〜1961)に私事し、「フライパンの歌」(1948)を発表するが、次作が書けず、服の行商などをするうち、松本清張(1909〜1992)の「点と線」(1958)に衝撃を受けた。この方向であれば書けると思った。翌年早くも「霧と影」(1959)を刊行、注目され、「海と牙」(1960)、「耳」(1960)、「爪」(1960)などの社会派推理小説を一気に発表した。生活が急に安定したが、心が満たされず、自分の出自をベースにした新しい小説を書こうとした。それがこの「雁の寺」だった。このあと、水上は「五番町夕霧楼」(1963)、「越前竹人形」(1963)などの推理小説ではない秀作を書いたあと、両者を統合した傑作「飢餓海峡」(1963)を発表した。作風がこれほど変化する作家は珍しい。仏教回帰の中期作「一休」(1975)、「沢庵」(1985)。心筋梗塞で入院、心臓の三分の二が壊死(えし)したが、生還。その入院生活を描いた「蛍」(1993)、「醍醐の桜」(1994)は、晩年の新境地を開く傑作だった。
川島雄三「雁の寺」で、面白い場面が序盤にあります。嵐山駅前で、「慈海」は坊主仲間「雪州」(山茶花究)から「君のところは激しすぎるんや、気をつけんと、破門になるで」と言われる。「それこそ君はモダンガールと」と「慈海」。「僕は総長から許可もらって籍を入れてる。君もそうしなさい」。「雪州」はカメラ狂で隠し撮りしているぜ──と臭わせる。「慈海」はびくつく。生臭坊主同士の足の引っ張り合いというのも隠微ですね。
木村功の「宇田竺道」(「慈念」が通う寺内の学校の教諭)役は、存在感がなかったように思います。何かあったのでしょうか。
井戸と時間差と棺桶のトリック───これも一種のハッピーエンドです。
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少年僧の“心の闇”
投稿日:2010/04/04
レビュアー:港のマリー
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これには打ちのめされた。あまりに救いがない。水上勉は仏教作家ではなかったのか。それとも内なる悪をとことん見据え人殺しの大罪を犯すまでに堕ちてこそ初めて、悟りの道は見えてくるものなのか。
時は戦争の迫る昭和10年ぐらい、洛北にある禅宗の古刹「弧峯庵」の住職慈海(三島雅夫)は、寺に雁の襖絵を描いた画家(中村雁治郎)の死後、その愛人里子(若尾文子)を譲り受け一緒に住まわせて愛欲に溺れる日々を送っていた。そこには見習い僧慈念(高見国一)が住み込んでいて修行に名を借りた住職の虐待に耐えていた。寺にダブルベッドを運び入れた慈海は自分らの痴態を慈念に見せつけさえする始末。一方、捨て子だった慈念の身の上を知って憐れんだ里子は「みんな上げる」と少年に美しい肉体を押しつける。厳かなはずの寺にムンムンと淫蕩の湯気が立ち上る。
とはいえあからさまなベッドシーンはない。寝乱れた姿、剥き出しになった脚、汗ばんで寝室を出る二人の姿などで暗示するだけ。それが例えようもなく淫靡である。若尾文子またたまらなく色っぽい。
前半の禅寺の禁断のエロスが後半で重苦しいサスペンスに変わる。
抑圧されていた慈念の情念が一気に爆発するかのようだ。寺の庭にくる鳶について里子に語る台詞、
「あの木のてっぺんに大きな穴がありますねん。暗い壺がありますねん。その真っ暗な壺の中にヘビやら蛙やら鼠やらうじょうじょしてますねん。それらが黒いどろどろとした中でぐじょぐじょと」
これを私は仏に仕える身にあらざる和尚の色狂いぶりを非難した言葉と思っていたが、慈念自身の情動、暗くどろどろとして抑制が効かない、を表していると考えるべきなのだろう。父も母も知らず捨てられて、育ての親は貧しい「乞食谷」の住民、口減らしのために寺にやられ帰る所はないと見下した住職には必要以上に辛く当たられる。積年の憎しみと恨みが充分に発酵したところへ不用意に「母」を思わせる女が近付いてきた。母を凌辱する住職への殺意を、もう抑えられない。
木村功扮する先輩僧だけが慈念を優しく諭す。
「人を殺すことはやっぱ悪いことですか」との問いに対して
「殺すことも生きることも修行を積めば虚しい」と。
それを慈念はしょせん「幸せな人」の言うことと切り捨てて「和尚さんのところへ行く」と旅に出る。
里子の方は雁の絵の襖を次々と狂ったように開け放ち、母雁の絵が切り抜かれているのを見つけて愕然とする。「斬る」のラストシーンを思わせるような鮮烈さ。木村功はここでも何もできない。
不幸な宿命を背負ったものはそれを放り出すことなど決してできない。顔を歪めたまま黒い壺に悪しき情動をため込んでいくんだ、闇を歩き続けていくしかないのだと、情け容赦ないニヒリズムを見せつける。水上勉は怖い作家で川島雄三は案外怖い監督だと思った。
突如カラーに変わるラスト、今までの深刻さを、なーんちゃってと照れ隠しをしているようでここはいかにも川島監督らしい。賛否はあるが私は救われた。「覗き見カット」とでも言うべき斬新な映像が映画全篇冴えわたっています。
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エロ坊主め!
投稿日:2009/08/04
レビュアー:ますだっく
すごいことになってますよ。
エロ坊主が。
自分たちで戒律を決めて色んなことを禁止(禁欲)しておきながら、
勝手にドロドロしてんだから世話ないですよね。
坊主の世界って何なんだろ。
こういう映画ができると、一応は抗議とかするんですかね?
*
暗くて、いかにも「日本映画」って感じですが、
アングルがかっこいいし、台詞を面白い。特にトンビのとこなんて最高です。
最後には蒲田オチ形式のエピローグもあるので、けっこう面白い映画だと思います。
あ、これ見た後に同じ監督の
「女は二度生まれる」を見ると、「え?あの二人が!?」って驚きがあります。
よかったら見てみてください。
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ユーザーレビュー
この街に生まれ育って
投稿日
2014/03/20
レビュアー
ロキュータス
都道府県ご当地映画レビュー 京都府
( ネタばれあり )
これは『 幕末太陽伝 』や『 愛のお荷物 』などと同じ監督の作品だろうか、と思うような、端正で美しい画の中で繰り広げられる黒い情念のドラマ。
それはたぶんに映像美にこだわる職人集団、大映京都という” オーケストラ “、特に撮影の村井博によるところは大きいのでしょうが、それを使いこなし、引出しの多さを見せる川島雄三の” タクト “のみごとさを感じさせます。
原作は水上勉の直木賞受賞作のうちの一章を映画化。
重苦しいドロドロとした怨念の話だが、映画はやはり若尾文子の美しさが際立つ。
「 あの方は私を女にしてみせる、と明言なさいました。 」とは若尾文子の弁。
いやすでに溝口健二、小津安二郎、市川崑、増村保造作品に出演していて十分にオンナだったとは僕などは思いますが、あまり表情豊かでなく知的で「クール・ビューティ」とも言える若尾文子。 本作ではたしかに慈悲深い観音のような情の濃さ、たおやかさと、痴態も露わな妖艶さが同居して、女の体温を感じさせると言えるかもしれません。
「センセイはいけません」とそう呼ばせず、「君、今度は寄り目で行くよ」との川島雄三の指示に、若尾は「センセイ・・・じゃなかった、監督さま、私、あんまり目玉を寄せることができないんです 」と返すが、「アップのことだよ。いやだなあ、この人は」と川島は大笑い。 若尾さんの天然でかわいらしいエピソードです。
映画化は仏教界からの猛烈な反対を押し切ってのもののようですが、さもありなん。
山茶花究のカメラが趣味のモダン坊主は監督自身がモデルかな。
エロ坊主を演じる三島雅夫の” 悪役 “ ぶりがすばらしい。
映像美の画面に、便所の汲み取りの「匂い」を漂わせるのが川島雄三らしい。
自虐的ですが、京都という土地のいやらしさ、醜さがよく出ている。
生まれも育ちも一応京都でも、ディープな世界は、実際には知りませんが、それでもいくつもの顔を持つこの街には、反発も愛着も深く感じています。
歴史都市、宗教都市、学研都市であり、雅やかと山紫水明の美しい街ではありますが、水平社の発祥の地、『 パッチギ 』の舞台の土地でもありますし、怨念とオカルトの街でもあります。 有名な色街は同時に神前町でもあるし、古い町だがモダンなものも好き。
ラーメンは主流はこってり系ですしね。
ステレオタイプを言うなら、ぶっちゃけ、露悪的なほどにホンネを信条とする大阪に対して、なれなれしさ、ぶしつけさを嫌い、偽善的なほどに直截さに欠けスノッブなのが京都かな。
でも陰にして実は陽でもあり、イケズではあるけれども人当りはいいとは思うし、わかりにくい能面のような表情の下には、さまざまな感情がたしかにあります。
京都人のイメージを最も体現している俳優と言えば、岸部一徳でしょう。
古都である誇りと優越意識は隠しようもないかもしれません。 実際はインフラから組織力、経済力から言っても、文化的発信力は東京にはもはやかなわない。
実際は洗練されていないところも多くて、田舎だなと思いますが、でも土着性と何層にも積み重なった歴史の古さはやはり東京にはない特色、強みかな。
本作は水上勉の実体験を基にしています。 少年期に預けられた先( その寺は同志社大学のそばに実在 )のクソ坊主の欺瞞ぶり、醜悪さに、ぶっ殺してやると思うほどに憤怒の感情に駆られた水上勉ですが、脱走して道を踏み外しませんでした。
たしかに偽善、因習は醜悪で噴飯ものですが、どんなに当然な怒り、義憤であっても、どんなに正義の衣をまとっていても、憎悪はしょせんすべてを暗黒面に突き落とす不毛なもの。 達観はできないですが、矛盾を抱きながら、四苦八苦するのが人生とあきらめるしかないでしょう。
初めて、この映画を観た時、ラストに「何やろ、これ」と戸惑いましたが、『 ラスト・エンペラー 』のラストを観た時、頭に浮かんだのは、この映画のラストでした。
正しい者も、悪しき者も、賢者も愚者も、強者も弱者も、広い世界、長い時の流れからすれば、争い事はしょせんコップの中の嵐。
突き放した、明るいニヒリズム。 やはり川島雄三の代表作の一つと言える秀作です。
純粋な文芸映画です
投稿日
2010/11/20
レビュアー
zeta2
観るたびに新しい映像を見せてくれる監督というのはそうはいません。川島雄三の映画は見るたびに驚かされます。新しいアングル、新しい手法。このような斬新さはどこから生まれるのか。思うにそれは彼の思考の柔軟さに由来するだけでなく、川島雄三がいくつかの映画会社を渡り歩いていたという特殊な環境があるのではないでしょうか。会社が変わればスタッフも変わる(どこへ行ってもオレ流でやれるのはよほどの大監督だけでしょうし、そもそも大監督はそんなに移動しない)。川島雄三の変幻自在の映像は、ひとつのことにこだわらないそのような現実的要請もあったのではないでしょうか。それにしても、同じカメラマンを使いながらまったく趣向の違った映像を作り上げる手腕は見事です。
この「雁の寺」の撮影は「女は二度生まれる」と同じ村井博です。「女は…」の引いたカメラがユニークでした。今回はさらに引くのです。物陰から人陰から穴のこちらから。お寺の話ですから、まあ彼岸からこちらを覗き込んでいるとでもいうのでしょうか。そのカメラアングルがとても効果的に映画を躍動感のあるものとしています。のみにとどまらずドアップもあるし、なんでもやっちゃいます。それがまた俗っぽくていい。川島雄三、妻帯を許した時点で俗世間以外の何ものでもないお寺の世界を完全にチャカしています。ついでに山茶花究にカメラ持たせて、自分のカメラ趣味も笑ってます。
この映画は若尾文子の3部作(「女は二度生まれる」「しとやかな獣」)と言われているようですが、私には異論があります。この映画の主人公は若尾文子ではない。慈念(高見国一)です。少なくとも映画はそのように描いている。同じ水上勉の映画化に「白蛇抄」がありますが、あれは小柳ルミ子のエロティック映画ということは誰もが認めるでしょう。実に色っぽい。しかし、この「雁の寺」は違います。慈念の生い立ち、女犯、殺人をめぐるお話です。その本筋から離れて、若尾文子の艶技がどうのと言いはやすことは作品にとって不幸なことだと思います。
若尾文子その人は残念ながらエロチックではないんですね。不思議な人です。「女は…」ではいっしょに行った温泉ホテルで男に置いてきぼりをくらうような軽い芸者役なのに、その美顔が邪魔をして演じきれない。この「雁の寺」では、慈念に「あんたはかわいそうな子や」と同情して体を預けてしまうような下町の苦労性の女なのに、知性が邪魔をしてしまっている。小柳ルミ子タイプではまちがってもない。ですからその意味でも、エロ坊主に抱かれる女がどうのという視点は排除してこの映画の若尾文子は観てあげるべきだと思います。
川島雄三はいわゆる「女体」を映像化しませんでした。撮影が中止になったときにモデルさんを呼んで、いつもスタッフとヌード撮影会を開いていたという川島雄三が「女体」に関心ないはずがない。おそらく彼は知っていたんですね。自分がそちらに入り込んでいったら、その映像はとても世間には受け入れられないだろうと。早すぎた天才の悲劇だと思います。
京都のお寺を舞台にした珍しい隠微なミステリ
投稿日
2021/11/14
レビュアー
ちゅく
「雁(がん)の寺」(1962、大映、白黒、97分)。
監督は川島雄三(1918〜1963)、撮影は村井博(1922〜?)、脚本は監督と舟橋和郎(1919〜2006)、原作は若狭生まれの水上勉(1919〜2004)の同名小説(1961)。直木賞受賞作。京都の寺坊主として生きた原作者のミステリを、名優共演で描いています。
京都の禅寺の塔頭「孤峯庵(こほうあん)」の和尚「北見慈海」(三島雅夫)は生臭坊主だった。襖絵を描きに来ていた日本画家「岸本南嶽」(中村鴈治郎)が元・芸妓「さと(桐原里子)」(若尾文子)を囲っていたが、「南嶽」が急死、すぐに「さと」は「慈海」のものになる。寺の小坊主「慈念」(高見國一)は、「慈海」和尚から始終虐待され、愛欲の場面を見せつけられ、次第に殺意を抱く。彼は若狭の寺大工の末子で、口べらしで「孤峯庵」に放逐されたのだった。自分も貧しい育ちだった「さと」はいつも「慈念」に優しかった。
水上勉は、困窮の私小説作家・宇野浩二(1891〜1961)に私事し、「フライパンの歌」(1948)を発表するが、次作が書けず、服の行商などをするうち、松本清張(1909〜1992)の「点と線」(1958)に衝撃を受けた。この方向であれば書けると思った。翌年早くも「霧と影」(1959)を刊行、注目され、「海と牙」(1960)、「耳」(1960)、「爪」(1960)などの社会派推理小説を一気に発表した。生活が急に安定したが、心が満たされず、自分の出自をベースにした新しい小説を書こうとした。それがこの「雁の寺」だった。このあと、水上は「五番町夕霧楼」(1963)、「越前竹人形」(1963)などの推理小説ではない秀作を書いたあと、両者を統合した傑作「飢餓海峡」(1963)を発表した。作風がこれほど変化する作家は珍しい。仏教回帰の中期作「一休」(1975)、「沢庵」(1985)。心筋梗塞で入院、心臓の三分の二が壊死(えし)したが、生還。その入院生活を描いた「蛍」(1993)、「醍醐の桜」(1994)は、晩年の新境地を開く傑作だった。
川島雄三「雁の寺」で、面白い場面が序盤にあります。嵐山駅前で、「慈海」は坊主仲間「雪州」(山茶花究)から「君のところは激しすぎるんや、気をつけんと、破門になるで」と言われる。「それこそ君はモダンガールと」と「慈海」。「僕は総長から許可もらって籍を入れてる。君もそうしなさい」。「雪州」はカメラ狂で隠し撮りしているぜ──と臭わせる。「慈海」はびくつく。生臭坊主同士の足の引っ張り合いというのも隠微ですね。
木村功の「宇田竺道」(「慈念」が通う寺内の学校の教諭)役は、存在感がなかったように思います。何かあったのでしょうか。
井戸と時間差と棺桶のトリック───これも一種のハッピーエンドです。
少年僧の“心の闇”
投稿日
2010/04/04
レビュアー
港のマリー
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
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これには打ちのめされた。あまりに救いがない。水上勉は仏教作家ではなかったのか。それとも内なる悪をとことん見据え人殺しの大罪を犯すまでに堕ちてこそ初めて、悟りの道は見えてくるものなのか。
時は戦争の迫る昭和10年ぐらい、洛北にある禅宗の古刹「弧峯庵」の住職慈海(三島雅夫)は、寺に雁の襖絵を描いた画家(中村雁治郎)の死後、その愛人里子(若尾文子)を譲り受け一緒に住まわせて愛欲に溺れる日々を送っていた。そこには見習い僧慈念(高見国一)が住み込んでいて修行に名を借りた住職の虐待に耐えていた。寺にダブルベッドを運び入れた慈海は自分らの痴態を慈念に見せつけさえする始末。一方、捨て子だった慈念の身の上を知って憐れんだ里子は「みんな上げる」と少年に美しい肉体を押しつける。厳かなはずの寺にムンムンと淫蕩の湯気が立ち上る。
とはいえあからさまなベッドシーンはない。寝乱れた姿、剥き出しになった脚、汗ばんで寝室を出る二人の姿などで暗示するだけ。それが例えようもなく淫靡である。若尾文子またたまらなく色っぽい。
前半の禅寺の禁断のエロスが後半で重苦しいサスペンスに変わる。
抑圧されていた慈念の情念が一気に爆発するかのようだ。寺の庭にくる鳶について里子に語る台詞、
「あの木のてっぺんに大きな穴がありますねん。暗い壺がありますねん。その真っ暗な壺の中にヘビやら蛙やら鼠やらうじょうじょしてますねん。それらが黒いどろどろとした中でぐじょぐじょと」
これを私は仏に仕える身にあらざる和尚の色狂いぶりを非難した言葉と思っていたが、慈念自身の情動、暗くどろどろとして抑制が効かない、を表していると考えるべきなのだろう。父も母も知らず捨てられて、育ての親は貧しい「乞食谷」の住民、口減らしのために寺にやられ帰る所はないと見下した住職には必要以上に辛く当たられる。積年の憎しみと恨みが充分に発酵したところへ不用意に「母」を思わせる女が近付いてきた。母を凌辱する住職への殺意を、もう抑えられない。
木村功扮する先輩僧だけが慈念を優しく諭す。
「人を殺すことはやっぱ悪いことですか」との問いに対して
「殺すことも生きることも修行を積めば虚しい」と。
それを慈念はしょせん「幸せな人」の言うことと切り捨てて「和尚さんのところへ行く」と旅に出る。
里子の方は雁の絵の襖を次々と狂ったように開け放ち、母雁の絵が切り抜かれているのを見つけて愕然とする。「斬る」のラストシーンを思わせるような鮮烈さ。木村功はここでも何もできない。
不幸な宿命を背負ったものはそれを放り出すことなど決してできない。顔を歪めたまま黒い壺に悪しき情動をため込んでいくんだ、闇を歩き続けていくしかないのだと、情け容赦ないニヒリズムを見せつける。水上勉は怖い作家で川島雄三は案外怖い監督だと思った。
突如カラーに変わるラスト、今までの深刻さを、なーんちゃってと照れ隠しをしているようでここはいかにも川島監督らしい。賛否はあるが私は救われた。「覗き見カット」とでも言うべき斬新な映像が映画全篇冴えわたっています。
エロ坊主め!
投稿日
2009/08/04
レビュアー
ますだっく
すごいことになってますよ。
エロ坊主が。
自分たちで戒律を決めて色んなことを禁止(禁欲)しておきながら、
勝手にドロドロしてんだから世話ないですよね。
坊主の世界って何なんだろ。
こういう映画ができると、一応は抗議とかするんですかね?
*
暗くて、いかにも「日本映画」って感じですが、
アングルがかっこいいし、台詞を面白い。特にトンビのとこなんて最高です。
最後には蒲田オチ形式のエピローグもあるので、けっこう面白い映画だと思います。
あ、これ見た後に同じ監督の
「女は二度生まれる」を見ると、「え?あの二人が!?」って驚きがあります。
よかったら見てみてください。
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雁の寺