お早よう / 佐田啓二
お早よう
/小津安二郎
平均評価点:
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全体の平均評価点: (5点満点)
(31)
解説・ストーリー
世界中の名監督に影響を与えた小津安二郎監督が描いたコメディ。林一家の住む新興住宅地の子供たちの関心事はまだ出始めたばかりのテレビ。林家の兄弟・実と勇もテレビに夢中だったが、両親にテレビをせがんで叱られたことからだんまりストを決行する。
世界中の名監督に影響を与えた小津安二郎監督が描いたコメディ。林一家の住む新興住宅地の子供たちの関心事はまだ出始めたばかりのテレビ。林家の兄弟・実と勇もテレビに夢中だったが、両親にテレビをせがんで叱られたことからだんまりストを決行する。
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「お早よう」 の解説・あらすじ・ストーリー
解説・ストーリー
世界中の名監督に影響を与えた小津安二郎監督が描いたコメディ。林一家の住む新興住宅地の子供たちの関心事はまだ出始めたばかりのテレビ。林家の兄弟・実と勇もテレビに夢中だったが、両親にテレビをせがんで叱られたことからだんまりストを決行する。
「お早よう」 の作品情報
「お早よう」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ
お早よう デジタルリマスター修復版の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
94分 |
日本語 |
1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語
|
レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
DA9288 |
2003年12月25日
|
在庫枚数 |
1位登録者: |
2位登録者: |
0枚
|
0人
|
0人
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お早よう デジタルリマスター修復版の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
94分 |
日本語 |
1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語
|
レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
DA9288 |
2003年12月25日
|
在庫枚数 |
1位登録者: |
2位登録者: |
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ユーザーレビュー:31件
アンファン・テリブル
これは子供がメインの作品なのだろうか、と思うくらい子役がやたらに目立っている映画である。
特に、笠智衆家次男のイサムちゃん役の島津雅彦は凄い。
絶妙のタイミングでくりだすシレっとした物言いと子供らしいしぐさ、あれは演出なのか、本人が勘でやっているのか。
どちらにしろ、大人も舌を巻くアンファン・テリブルの圧倒的な存在感のおかげでまわりの役者たちの影が薄まってしまっているのは否めない。
子供からすると大人の会話は無駄だらけで、「お早よう」「今日は」「良いお天気ですね」などの社交上の挨拶は無駄の極致だといういいぐさが面白い。
少年よ、それをいうなら人間の存在自体無駄なのだ、と諭してあげたくなった(笑)。
でも楽しいことがあるから生きてるわけで、人生楽ありゃ無駄もある、ついでに苦もある、それが生きてくってことなのよ、ってそんな大人のいいぐさが通じないから子供は面白いのだけど。
他の小津作品にちらちら登場する戦後の日本人の精神的な傷跡のようなものはこの作品では見られない。
しかし、一つのコミュニティー内での人間関係の濃密さと開放性が実はとても脆い土台で成り立っていて、一歩間違えると個々人が孤立しかねない、それが嫌さに現代人は自ら壁を作って生活しているのだけど、そうゆう現代日本社会の閉鎖性の予兆みたいなものが、無邪気な子供たちの陰に隠れてなんとなく垣間見えるような気がする。
このレビューは気に入りましたか?
11人の会員が気に入ったと投稿しています
額面以上の表現
投稿日:2007/01/13
レビュアー:ケチケチ
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
レビューを表示する
小津作品群の中にあっては深い感慨を呼ぶような作品ではなく、そのため非常に小品な感覚が残る作品です。
この作品が作られた昭和34年、時代は高度成長期で、効率化・機能化を求め躍進している時代。そんな時代の中でふと立ち止まり"言葉"というものを切り口に、日本の文化を顧みるとでも言うような作品だと思います。
現実社会においても言葉はその額面以上(以外)の物を表現するわけですが、ドラマにおいてはさらにその度合いは高く、「絵は雰囲気、音はイメージ、言葉は嘘」とも言われるように、物語の流れを追う中で額面以上の物を得るのがドラマの醍醐味です。そしてそれが台詞や俳優の表情などではなく、きわめて間接的であるからこそ共感の度合いも深いわけですが、映画においてその言葉に注目したところがこの作品の面白さでしょうか。
"言葉"に着目したところで、私のレビューでは普段余り触れることのない演技について書いてみたいと思います。
小津作品独特の特徴は他のレビューでも触れてきましたが、その独特の"型"があるため俳優たちにもその型の中での演技が求められます。切り返しの中で行われる台詞の繰り返しであったり、簡単な相づちであったり、さらにそこには大げさな感情は必要なく、そういった演技の中で登場人物の味や存在の意味を出すことが求められるわけで、非常に器用さを求められる演技だと思うのです。淡々としているからこそ俳優が発するオーラそのものが小津の演出と相乗効果を起こして登場人物を表現していくわけですが、これが場合によっては非常に難しい場合があるように思えます。例えば「東京物語」における大坂志郎を例に取ると、兄弟の中で中間的な存在としての役割を担い、大阪弁というツールでその人物の曖昧な立場を表現する役所ではあるのですが、非常に明確なポジションを持ち、体臭さえ感じられるがごとくな他の登場人物と比較すると、今ひとつ存在の薄さを感じてしまったりしました。「さればとて、墓に布団は掛けられずや」この二度登場する台詞の違いが演技という面からは生きているとは言えなかったように思うのです。
なぜこんな事を書くのかというと、「お早よう」における子供も、作品の中では非常に曖昧さを含んだ存在で、「生れてはみたけれど」のような辛辣な扱いではないだけに非常に難しい役所だと思います。結果的に作品の中核をなす子供がカタルシスに向けてのエネルギーを作り出し、額面以上の物を表現できなかったという面から考えれば、小津作品としては失敗作と言っても良い作品じゃないかと思うのです。(単にコミカルさとか物語の表現とかいう問題ではなく、作品から受ける感慨を醸し出していないという意味で)
そのため、非常に右脳で見る映画と言うよりは、左脳であれこれ考えるという映画になってしまっている感覚がします。小宇宙のごとくに集合した土手の下の文化住宅、申し訳程度の瓦屋根、ダイニングに通じるカウンターのある台所、生活に浸透するアルファベットの文字などなど、左脳が反応する要素はふんだんにあるのですが、それらをまとめあげて右脳に働きかける要素が不足しているのではないかな。
終盤、久我美子と佐田啓二の関係を使って解放に向けての展開を行っていますが、本来はフラフープを廻す子供がクライマックスであるはずで、上手くごまかしたという印象が非常に強く残ります。
軽い喜劇として十分に楽しめる作品ではありますが、小津に期待する物という点からは満足できない作品でした。5段階評価は3。
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11人の会員が気に入ったと投稿しています
小津作品の愉しみ方 その二
この作品は正直言って余り好きくない。小津の作品は某巨匠とは違って初期の作品を含めても殆ど当たり外れが無く、この作品にしても悪いとは言えないんだけど、どうもギャグのセンスや子供の扱いに違和感の方が先立ってしまう。あの子供たちのおどけたポーズなんかは、例えば『生まれてはみたけれど』のようなサイレント作品において突貫小僧のような特異なキャラクターがやるからこそ面白味が感じられるのであり、今風の子供たちがやってもぎこちなさの方をより強く感じてしまうのだ。
だからこの作品、少年ものという本筋においてはどうも今一つという感じがしてしまうのだが、多様性をこそ本領とする小津作品だからこの作品でも本筋とは異なった部分において充分に楽しめてしまうのだ。その一つが奥(縦)の構図を最大限に活用した、主人公達が住む住宅地における人の行き交う様だ。今となっては古臭く懐かしささえ感じる、でも当時としては最先端だったであろう文化住宅の中をとにかくやたらめったら人が行き交う。左に右に、奥から手前にと、それぞれそれなりの理由や用事があっての移動なんだけど、物語上の必然性というよりは人を行き来させたいから用事を作っているような感じがする。それもいかにも小津的なシンメトリーを基本とした幾何学的な構図の中で動くものだから、見方を変えればまるで前衛作品であるかのようなのだ。住宅の間だけじゃなくて、住宅の向こうにある土手の上も人が不自然に歩く様が何度も撮されているので尚更のこと人の移動が気になってしまう。ついでに言うと、この人の移動、フォーカスを複数に当てて、つまり左右と前後とで別な人が同時に動くシーンなんかもあったりするのだ(まるでジャン・ルノワールの『ゲームの規則』における館の夜の騒動のシーンみたいだ)。
じゃあ、だから何なんだってことは言わないでおく。もちろん、例えば(当時における)現代の家庭や近所付き合いの有様だとか、それぞれ異なった事情や形態を持つ家庭を横断的に照らし合わせることによって伺える家族のあり方の具象化だとか、その気になれば何とでも「言い訳」を積み重ねることはできるが、こうした指摘をしたり結論を導き出したとたん、そこで言い尽くせなかったことがこぼれ落ちてしまう。
それが何かと言うことを敢えて語らないことも小津の愉しみ方の一つだと思う。
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10人の会員が気に入ったと投稿しています
アイラブユー!
監督:小津安二郎(1959年・日本・94分・カラー)
1959年の作品ですが、モノクロではなかったのが意外でした。
小津作品2本目のカラー作品だそうです。
舞台となるのは、東京多摩川沿いの新興住宅地。多分、建売住宅の“はしり”なのでしょう。
同じような造りの平屋住宅が並んでいます。
隣り近所が顔を合わせると「おはよう」「よいお天気ですね」と挨拶を交わし、開け放しになっているお勝手口に顔を出しては、世間話をしています。
町内会費はとうに集めたのに、会長さんの元へ届いていないのはどうしたことか。
そんな噂話を始めたのは、富沢とよ子(長岡輝子)でした。
自分が会長宅へ届ける役だけれど「まだ受け取っちゃいませんよ」と答えたのは原口きく江(杉村春子)です。
とよ子は次に林民子(三宅邦子)を訪ね、「町内会費が会長さんにまだ届いていないんですって。」
「あら、私はとっくに原口さんに届けましたよ。」
すると「お隣の原口さん、最近洗濯機をお買いになったでしょ?」と意味深に。
「まさか…」「ねぇ…」
こんな風に根も葉もないことが噂話に発展して行くのだなあ〜と。
真相は、預かった原口家のお年寄りが、ウッカリ忘れてしまっただけでした。
林家には、二人の男の子がいて、長男・実(設楽幸嗣)と次男・勇(島津雅彦)は、オナラを出す遊びに夢中です。
よくオナラが出るように「芋」がいいとか「軽石」を粉にして飲むだとか、呆れてしまいます。(教えた大人がいるのです。)
また、近所に子供のいない丸山さんという若夫婦がいて、そこにはテレビがあるので、兄弟は入り浸っています。
それを注意された兄弟は、テレビが家にあったら行かないから、うちにもテレビを買ってくれと文句を言い、帰宅した父親(笠智衆)に「女の腐ったのみたいに余計なことを言わんでもよい。」と叱られます。
実の言い分はこうです。
「大人だって、おはよう。いいお天気ですね。どちらまで?ちょっとそこまで。」「どうでもいいことを喋っているじゃないか!?」
更に父親からお小言を頂戴した実は、今から、ひと言も喋らないと宣言します。
弟の勇は、兄に従います。
二人は家庭内だけでなく近所の大人の「おはよう」にも無言で通し、学校で先生に指名されても無言です。
この無言の行が、またご近所に要らない波風を立てることになるのですが、ちょっとした教訓を得ました。
分からない事は、分かっている人(本人、当事者)に聞くのが宜しい。
それを、ちょっと後ろめたいことがあるばかりに、自分の悪口を子供にも聞かせたのだろうと、勘ぐってしまうのですね。
林家には、節子(久我美子)という叔母も同居していて、親と子供たちとの間に入って取り成してくれます。
男の子たちが英語を習っているのが、節子が仕事の関係で翻訳を頼んでいる福井(佐田啓二)です。
福井は、兄弟が無言でいる理由を聞いて「なるほどね。子供には無駄に思えることが、案外、世間の潤滑油になっているのだが、子供には分からないでしょうね。」
小津作品には、同じ役名・役柄が繰り返し登場するそうです。
本作で言えば、実と勇です。この名前は小さな子供によくつける名前らしいです。
笠智衆には父親役を、三宅邦子には妻役を、桜むつ子には水商売の女性を…何度もキャスティングしたようです。
そう言えば、本作で杉村春子が「いやんなっちゃうわ。」と言う場面がありました。
「東京物語」でも杉村春子が同じセリフを同じ口調で言っていたので、面白かったです。
佐田啓二は中井貴一の父親で、37歳で亡くなっていますから、本作の5年後には他界しているのですね。
母がハンサムだったと言っていましたが、本当に正統派の美男子でした。
笠智衆は、この時55歳ですが、年齢相応の役を演じているように見えました。
話し方も特徴は出ていますが、晩年の「クセの強さ」は、まだなかったです。(笑)
この新興住宅地の1軒1軒を回る「押し売り」の応対や撃退法が、見ていて面白かったです。
今なら訪問販売と言うのでしょうが、戸を開け放している当時の様子が不用心に見えました。時代を感じました。
あ、忘れるところでした。
タイトルの「アイラブユー!」は、弟の勇が、自分に都合よく運んだ際に元気に言う言葉です。
彼の仕草やセリフがとても自然で、アイラブユー!を聞くと、思わず笑ってしまいます。
このレビューは気に入りましたか?
8人の会員が気に入ったと投稿しています
ポップサイドの安二郎
小津のとぼけたユーモアセンスと軽快なテンポが冴え渡る、飛び切りにキャッチーな作品。オープニングのショットから次々と素晴らしい構図と原色の強烈な映像が満載の、オモチャのようにキュートな建て売り住宅で展開される他愛もない群像劇。
本作では子役のわんぱくな弾けっぷりがメインになっており、その無邪気でコミカルで掘り下げない空気が、作品全体のトーンをふんわりと持ち上げて支配している。佐田啓二はナイスガイで、久我美子はナイスガールで、笠智衆はナイスダディで、他愛もないからこそナイスな日常が繰り広げられる。
フラフープにテレビに洗濯機。一見、古き良きALWAYSな昭和の風景を思わせていながら、実は日本のどこにも存在しない、パティキュラーな風景と文化が交差する、小津だけのカラフルなポップワールドの炸裂。数ある小津作品の中で、圧倒的に推したい一本。
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7人の会員が気に入ったと投稿しています
ユーザーレビュー
アンファン・テリブル
投稿日
2007/02/04
レビュアー
かふう
これは子供がメインの作品なのだろうか、と思うくらい子役がやたらに目立っている映画である。
特に、笠智衆家次男のイサムちゃん役の島津雅彦は凄い。
絶妙のタイミングでくりだすシレっとした物言いと子供らしいしぐさ、あれは演出なのか、本人が勘でやっているのか。
どちらにしろ、大人も舌を巻くアンファン・テリブルの圧倒的な存在感のおかげでまわりの役者たちの影が薄まってしまっているのは否めない。
子供からすると大人の会話は無駄だらけで、「お早よう」「今日は」「良いお天気ですね」などの社交上の挨拶は無駄の極致だといういいぐさが面白い。
少年よ、それをいうなら人間の存在自体無駄なのだ、と諭してあげたくなった(笑)。
でも楽しいことがあるから生きてるわけで、人生楽ありゃ無駄もある、ついでに苦もある、それが生きてくってことなのよ、ってそんな大人のいいぐさが通じないから子供は面白いのだけど。
他の小津作品にちらちら登場する戦後の日本人の精神的な傷跡のようなものはこの作品では見られない。
しかし、一つのコミュニティー内での人間関係の濃密さと開放性が実はとても脆い土台で成り立っていて、一歩間違えると個々人が孤立しかねない、それが嫌さに現代人は自ら壁を作って生活しているのだけど、そうゆう現代日本社会の閉鎖性の予兆みたいなものが、無邪気な子供たちの陰に隠れてなんとなく垣間見えるような気がする。
額面以上の表現
投稿日
2007/01/13
レビュアー
ケチケチ
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
レビューを表示する
小津作品群の中にあっては深い感慨を呼ぶような作品ではなく、そのため非常に小品な感覚が残る作品です。
この作品が作られた昭和34年、時代は高度成長期で、効率化・機能化を求め躍進している時代。そんな時代の中でふと立ち止まり"言葉"というものを切り口に、日本の文化を顧みるとでも言うような作品だと思います。
現実社会においても言葉はその額面以上(以外)の物を表現するわけですが、ドラマにおいてはさらにその度合いは高く、「絵は雰囲気、音はイメージ、言葉は嘘」とも言われるように、物語の流れを追う中で額面以上の物を得るのがドラマの醍醐味です。そしてそれが台詞や俳優の表情などではなく、きわめて間接的であるからこそ共感の度合いも深いわけですが、映画においてその言葉に注目したところがこの作品の面白さでしょうか。
"言葉"に着目したところで、私のレビューでは普段余り触れることのない演技について書いてみたいと思います。
小津作品独特の特徴は他のレビューでも触れてきましたが、その独特の"型"があるため俳優たちにもその型の中での演技が求められます。切り返しの中で行われる台詞の繰り返しであったり、簡単な相づちであったり、さらにそこには大げさな感情は必要なく、そういった演技の中で登場人物の味や存在の意味を出すことが求められるわけで、非常に器用さを求められる演技だと思うのです。淡々としているからこそ俳優が発するオーラそのものが小津の演出と相乗効果を起こして登場人物を表現していくわけですが、これが場合によっては非常に難しい場合があるように思えます。例えば「東京物語」における大坂志郎を例に取ると、兄弟の中で中間的な存在としての役割を担い、大阪弁というツールでその人物の曖昧な立場を表現する役所ではあるのですが、非常に明確なポジションを持ち、体臭さえ感じられるがごとくな他の登場人物と比較すると、今ひとつ存在の薄さを感じてしまったりしました。「さればとて、墓に布団は掛けられずや」この二度登場する台詞の違いが演技という面からは生きているとは言えなかったように思うのです。
なぜこんな事を書くのかというと、「お早よう」における子供も、作品の中では非常に曖昧さを含んだ存在で、「生れてはみたけれど」のような辛辣な扱いではないだけに非常に難しい役所だと思います。結果的に作品の中核をなす子供がカタルシスに向けてのエネルギーを作り出し、額面以上の物を表現できなかったという面から考えれば、小津作品としては失敗作と言っても良い作品じゃないかと思うのです。(単にコミカルさとか物語の表現とかいう問題ではなく、作品から受ける感慨を醸し出していないという意味で)
そのため、非常に右脳で見る映画と言うよりは、左脳であれこれ考えるという映画になってしまっている感覚がします。小宇宙のごとくに集合した土手の下の文化住宅、申し訳程度の瓦屋根、ダイニングに通じるカウンターのある台所、生活に浸透するアルファベットの文字などなど、左脳が反応する要素はふんだんにあるのですが、それらをまとめあげて右脳に働きかける要素が不足しているのではないかな。
終盤、久我美子と佐田啓二の関係を使って解放に向けての展開を行っていますが、本来はフラフープを廻す子供がクライマックスであるはずで、上手くごまかしたという印象が非常に強く残ります。
軽い喜劇として十分に楽しめる作品ではありますが、小津に期待する物という点からは満足できない作品でした。5段階評価は3。
小津作品の愉しみ方 その二
投稿日
2006/02/17
レビュアー
parole
この作品は正直言って余り好きくない。小津の作品は某巨匠とは違って初期の作品を含めても殆ど当たり外れが無く、この作品にしても悪いとは言えないんだけど、どうもギャグのセンスや子供の扱いに違和感の方が先立ってしまう。あの子供たちのおどけたポーズなんかは、例えば『生まれてはみたけれど』のようなサイレント作品において突貫小僧のような特異なキャラクターがやるからこそ面白味が感じられるのであり、今風の子供たちがやってもぎこちなさの方をより強く感じてしまうのだ。
だからこの作品、少年ものという本筋においてはどうも今一つという感じがしてしまうのだが、多様性をこそ本領とする小津作品だからこの作品でも本筋とは異なった部分において充分に楽しめてしまうのだ。その一つが奥(縦)の構図を最大限に活用した、主人公達が住む住宅地における人の行き交う様だ。今となっては古臭く懐かしささえ感じる、でも当時としては最先端だったであろう文化住宅の中をとにかくやたらめったら人が行き交う。左に右に、奥から手前にと、それぞれそれなりの理由や用事があっての移動なんだけど、物語上の必然性というよりは人を行き来させたいから用事を作っているような感じがする。それもいかにも小津的なシンメトリーを基本とした幾何学的な構図の中で動くものだから、見方を変えればまるで前衛作品であるかのようなのだ。住宅の間だけじゃなくて、住宅の向こうにある土手の上も人が不自然に歩く様が何度も撮されているので尚更のこと人の移動が気になってしまう。ついでに言うと、この人の移動、フォーカスを複数に当てて、つまり左右と前後とで別な人が同時に動くシーンなんかもあったりするのだ(まるでジャン・ルノワールの『ゲームの規則』における館の夜の騒動のシーンみたいだ)。
じゃあ、だから何なんだってことは言わないでおく。もちろん、例えば(当時における)現代の家庭や近所付き合いの有様だとか、それぞれ異なった事情や形態を持つ家庭を横断的に照らし合わせることによって伺える家族のあり方の具象化だとか、その気になれば何とでも「言い訳」を積み重ねることはできるが、こうした指摘をしたり結論を導き出したとたん、そこで言い尽くせなかったことがこぼれ落ちてしまう。
それが何かと言うことを敢えて語らないことも小津の愉しみ方の一つだと思う。
アイラブユー!
投稿日
2021/10/20
レビュアー
kazupon
監督:小津安二郎(1959年・日本・94分・カラー)
1959年の作品ですが、モノクロではなかったのが意外でした。
小津作品2本目のカラー作品だそうです。
舞台となるのは、東京多摩川沿いの新興住宅地。多分、建売住宅の“はしり”なのでしょう。
同じような造りの平屋住宅が並んでいます。
隣り近所が顔を合わせると「おはよう」「よいお天気ですね」と挨拶を交わし、開け放しになっているお勝手口に顔を出しては、世間話をしています。
町内会費はとうに集めたのに、会長さんの元へ届いていないのはどうしたことか。
そんな噂話を始めたのは、富沢とよ子(長岡輝子)でした。
自分が会長宅へ届ける役だけれど「まだ受け取っちゃいませんよ」と答えたのは原口きく江(杉村春子)です。
とよ子は次に林民子(三宅邦子)を訪ね、「町内会費が会長さんにまだ届いていないんですって。」
「あら、私はとっくに原口さんに届けましたよ。」
すると「お隣の原口さん、最近洗濯機をお買いになったでしょ?」と意味深に。
「まさか…」「ねぇ…」
こんな風に根も葉もないことが噂話に発展して行くのだなあ〜と。
真相は、預かった原口家のお年寄りが、ウッカリ忘れてしまっただけでした。
林家には、二人の男の子がいて、長男・実(設楽幸嗣)と次男・勇(島津雅彦)は、オナラを出す遊びに夢中です。
よくオナラが出るように「芋」がいいとか「軽石」を粉にして飲むだとか、呆れてしまいます。(教えた大人がいるのです。)
また、近所に子供のいない丸山さんという若夫婦がいて、そこにはテレビがあるので、兄弟は入り浸っています。
それを注意された兄弟は、テレビが家にあったら行かないから、うちにもテレビを買ってくれと文句を言い、帰宅した父親(笠智衆)に「女の腐ったのみたいに余計なことを言わんでもよい。」と叱られます。
実の言い分はこうです。
「大人だって、おはよう。いいお天気ですね。どちらまで?ちょっとそこまで。」「どうでもいいことを喋っているじゃないか!?」
更に父親からお小言を頂戴した実は、今から、ひと言も喋らないと宣言します。
弟の勇は、兄に従います。
二人は家庭内だけでなく近所の大人の「おはよう」にも無言で通し、学校で先生に指名されても無言です。
この無言の行が、またご近所に要らない波風を立てることになるのですが、ちょっとした教訓を得ました。
分からない事は、分かっている人(本人、当事者)に聞くのが宜しい。
それを、ちょっと後ろめたいことがあるばかりに、自分の悪口を子供にも聞かせたのだろうと、勘ぐってしまうのですね。
林家には、節子(久我美子)という叔母も同居していて、親と子供たちとの間に入って取り成してくれます。
男の子たちが英語を習っているのが、節子が仕事の関係で翻訳を頼んでいる福井(佐田啓二)です。
福井は、兄弟が無言でいる理由を聞いて「なるほどね。子供には無駄に思えることが、案外、世間の潤滑油になっているのだが、子供には分からないでしょうね。」
小津作品には、同じ役名・役柄が繰り返し登場するそうです。
本作で言えば、実と勇です。この名前は小さな子供によくつける名前らしいです。
笠智衆には父親役を、三宅邦子には妻役を、桜むつ子には水商売の女性を…何度もキャスティングしたようです。
そう言えば、本作で杉村春子が「いやんなっちゃうわ。」と言う場面がありました。
「東京物語」でも杉村春子が同じセリフを同じ口調で言っていたので、面白かったです。
佐田啓二は中井貴一の父親で、37歳で亡くなっていますから、本作の5年後には他界しているのですね。
母がハンサムだったと言っていましたが、本当に正統派の美男子でした。
笠智衆は、この時55歳ですが、年齢相応の役を演じているように見えました。
話し方も特徴は出ていますが、晩年の「クセの強さ」は、まだなかったです。(笑)
この新興住宅地の1軒1軒を回る「押し売り」の応対や撃退法が、見ていて面白かったです。
今なら訪問販売と言うのでしょうが、戸を開け放している当時の様子が不用心に見えました。時代を感じました。
あ、忘れるところでした。
タイトルの「アイラブユー!」は、弟の勇が、自分に都合よく運んだ際に元気に言う言葉です。
彼の仕草やセリフがとても自然で、アイラブユー!を聞くと、思わず笑ってしまいます。
ポップサイドの安二郎
投稿日
2008/06/06
レビュアー
TETSUYA
小津のとぼけたユーモアセンスと軽快なテンポが冴え渡る、飛び切りにキャッチーな作品。オープニングのショットから次々と素晴らしい構図と原色の強烈な映像が満載の、オモチャのようにキュートな建て売り住宅で展開される他愛もない群像劇。
本作では子役のわんぱくな弾けっぷりがメインになっており、その無邪気でコミカルで掘り下げない空気が、作品全体のトーンをふんわりと持ち上げて支配している。佐田啓二はナイスガイで、久我美子はナイスガールで、笠智衆はナイスダディで、他愛もないからこそナイスな日常が繰り広げられる。
フラフープにテレビに洗濯機。一見、古き良きALWAYSな昭和の風景を思わせていながら、実は日本のどこにも存在しない、パティキュラーな風景と文化が交差する、小津だけのカラフルなポップワールドの炸裂。数ある小津作品の中で、圧倒的に推したい一本。
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