小早川家の秋 / 原節子
小早川家の秋
/小津安二郎
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全体の平均評価点: (5点満点)
(17)
解説・ストーリー
小津安二郎監督が描く人間ドラマ。造り酒屋の小早川家では吸収合併の話が持ち上がるが、大旦那は、かつての愛人と再会し、そのもとへ通い詰めていた。そんな中、三女の紀子と死んだ長男の未亡人・秋子に縁談の話が舞いこんできて・・・。 JAN:9999201961341
小津安二郎監督が描く人間ドラマ。造り酒屋の小早川家では吸収合併の話が持ち上がるが、大旦那は、かつての愛人と再会し、そのもとへ通い詰めていた。そんな中、三女の紀子と死んだ長男の未亡人・秋子に縁談の話が舞いこんできて・・・。 JAN:9999201961341
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「小早川家の秋」 の解説・あらすじ・ストーリー
解説・ストーリー
小津安二郎監督が描く人間ドラマ。造り酒屋の小早川家では吸収合併の話が持ち上がるが、大旦那は、かつての愛人と再会し、そのもとへ通い詰めていた。そんな中、三女の紀子と死んだ長男の未亡人・秋子に縁談の話が舞いこんできて・・・。 JAN:9999201961341
「小早川家の秋」 の作品情報
「小早川家の秋」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ
小早川家の秋の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
103分 |
|
|
レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
TDV3206RP |
2008年04月22日
|
在庫枚数 |
1位登録者: |
2位登録者: |
7枚
|
0人
|
0人
|
小早川家の秋の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
103分 |
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レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
TDV3206RP |
2008年04月22日
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在庫枚数 |
1位登録者: |
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ユーザーレビュー:17件
小津作品の愉しみ方 その一
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
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小津安二郎の作品には色々な愉しみ方があって、その多様性と多義性つまり豊かさこそが小津の最大の魅力だと思うのだけれど、中でも「モノ」の即物的な扱い方は小津ならではの魅力であり、彼の独自性を最も際立たせているものだと思う。椅子の利用の仕方はその最もわかりやすく有名な例だけれど、『風の中の雌鶏』における掌と空のビール瓶、『晩春』における壺、『麦秋』における麦畑、『東京暮色』における子供のおもちゃなど例を上げるにこと欠かない。
この『小早川家の秋』における樽もそんな例の一つで、画面をつぶさに見詰めてさえいれば、家の前や路地などで不自然なほど樽が置かれ、また物語の本筋とは関係ないのにその樽が幾度にも渡って描写され、そしてある時点を境にその樽が一切無くなっていること(そしてその無くなった様がわざわざ撮されていること)に気付くはずだ。ある時点というのはこの作品における中核人物である中村鴈治郎の死であり、つまり彼の死と樽の画面上からの消去とが明確な関係性を持っていると言う訳だ。しかしこれを、樽が無くなることが中村雁治郎の死を象徴しているなどと解釈してはいけない。象徴というのは「答え」に対するサインのようなものであり、それでは樽の不在を雁治郎の死として解釈してしまえばその後は用無しになってしまう。そうではなくて、それまで頻繁に見られた物が突然無くなったと言う視覚的な驚きを喪失感として実感することが、つまり喪失=死と言うことを抽象的な事実として認識するのではなく、それを具体的な実感として感じることこそが重要なのだ。
小津の作品は須くこのように画面における事実をつぶさにかつ丹念に追いかけることによって得られるものこそが重要なんだと思う。小津というワビサビだとか、日本的なもの云々だとか、あるいは家族愛だとかとかく抽象的なことが語られがちだし、これらが全て間違いだなどと言うつもりもないが、このような誰もがそれを聴くだけで納得したつもりになってしまうような言葉に、「言いたいこと」に還元してしまうのは小津作品の豊かさと凶暴性とを矮小化してしまうのだと思う。小津の作品はそんなものでは収まりがつかないほど開放的で可能性があるものなのだ。
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「ちゃう、ちゃう」
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
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山茶花究が店員同士の会話の中で何度も繰り返す言葉。「違う、違う」と言ったり「ちゃう、ちゃう」と言ったり。抑揚がなくゆっくりとお行儀良く話す出演者達の中で彼だけは異彩を放っていた。
軽やかな音楽で始まるが決して明るいお話ではない
冒頭のシーンはアドリブが多いとされる森繁。加東大介と並んでいると社長シリーズを彷彿とさせる。この部分、小津監督も森繁を御すことを諦めたのか、好き勝手にやらせているように見受けられた。そこに現れる原節子。一挙に小津映画へと様子を変える。
新珠三千代が美しい。監督に甚く気に入られたらしいが、可愛いおじいちゃん、鴈治郎との掛け合いも面白く、造り酒屋を取り仕切る長女の役がピッタリとはまっている。
その長女が古い日本家屋の中を縦横無尽に歩く、歩く。
そして万兵衛も、下駄の音をカタカタ鳴らしながら路地から路地へ歩く、歩く。
19年ぶりに焼けぼっくいに火がついた昔の愛人役の浪花千栄子が色っぽい。
「うちが初めて女にしてもうた」なんてエロティックな言葉を吐く。
しかし、どこかこの世のものとは思えない不気味さ。「雨月物語」で男に取り付いた死霊に似ている。
何しろ一度死に掛けた男をしゃんと立たせて虚ろな目で自分のところに向かわせるのだから・・・横たわった遺体を団扇であおぐ行為もどこか気持ち悪い。
この映画では原節子だけが浮いていた。
この後の1本で映画界から引退することになる彼女。搨キけてみえる。半眼気味にカメラを捉え微笑みながら話すふくよかな表情は殆ど「如来」を連想させた。
奇しくも同じくこの映画のあとの「秋刀魚の味」が最後の作品となった小津監督。思えば二人の顔合わせはこの作品が最後ということになる。
朝には笑っていた人が夜にはもうこの世の人ではなくなる。人の世の無常、死生観を扱った作品でもあるので、ラストで喪服を着た彼女が葬列の最後尾を歩いていく姿は、どこか運命的なものを感じてしまってしかたがないのである。
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能動的に感じ取れるから映画だと思うのです
投稿日:2007/01/17
レビュアー:ケチケチ
「秋日和」で「これで休憩」と書いておきながら、また小津作品に投稿しちゃってます。(^^;)
paroleさん、とっておきの「東京物語」で宣伝していただき恐縮の至りです。また「作品論」なんて過ぎたるお褒めの言葉までいただきお恥ずかしい限りです。(^^;)しかし様々に論じる要素があるから小津作品は素晴らしいんですよね。
最近劇場で見ると、私的には「金返せぇ〜」っていう邦画が多いのですが、○○製作委員会などと称して、テレビ局や広告代理店が映画の制作費を出費しているというのもその要因の一つではないかと思うのです。何につけ、映画を作るお金が集まり、若い人たちも劇場に足を運ぶことは喜ばしい限りですが、劇場で上映することが費用回収の手段であった頃と比べ、テレビ放映やDVD化など2次使用による費用回収が大きなウエイトを占めるようになり、映画そのものの作品としての品質が低下してきているように感じられてなりません。
本来映画は暗闇の中で集中して見る物ですし、観客が映画から"能動的に"何かを感じる取るものだと思います。お涙頂戴の映画は悪いとは言いません。しかし、それだけの映画、一様に同じものしか感じ取れないような演出しか施されていない映画は、やはりつまらないと思うのです。「お早よう」ではテレビを取り上げ「一億総白痴化」という当時の流行語も登場しますが、映画とテレビの違いは、能動的に何かを感じ取るものか、極めて受動的に受け取ることしか考えていないものかの差であると思います。
調子に乗って口幅ったいことを書いてしまいましたが、前述したDVD化のデメリットとは逆に、手軽に古い名作も見ることが出来るようになったメリットを生かし、是非是非多くの若い方に小津作品を堪能していただきたいですね。小津作品は海外で評価の高い某巨匠の作品以上に、日本人にしか分からない感情の機微を感じ取れる作品だと思います。また演出も非常に独特ですし、手垢の付いた古くささというものも感じないのではないかと思います。
私のレビューに対してparoleさんから過ぎたるお褒めの言葉をいただいたりしておりますが、あくまで独断と偏見で、私が小津作品から能動的に感じたことを書かせていただいたまでですので、100人100様のレビューが投稿され様々な感想を読ませていただけることを楽しみにしています。
とこれだけで終わると、石を投げられそうだけど、長文になってきたしこの作品に関してはノーレビューで。(^^;)
個人的には今年は忘却の彼方に去ってしまっている古い映画を出来るだけ掘り起こして見ていきたいと思っております。その手始めが小津作品でした。(^^ゞ
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7人の会員が気に入ったと投稿しています
淡々とした日常生活
じっとしたままの姿勢でのセリフに最初は違和感があったが、見続けているとこれが昔の姿勢の良い日本人なのだなと感じました。
小林桂樹が最初はまったくわからず、母に「小林桂樹は誰?」と尋ねた程に今の小林桂樹とは違った味の俳優さんでした。
この映画の小林桂樹は好きですね〜^^ 今の役柄は多少卑屈な感じがして少し抵抗がありますが、この映画での小林桂樹は大好きです。いい味出しています。
ホワイトさんが好きだと言う理由がわかりました。
母は懐かしそうに役者の名前を一生懸命思い出してはうなずいていました。実に懐かしいと感激していました。
親孝行をしたと思います。ぜひ、ディスカスの方々も新しい作品ばかりでなく、古き良き日本の映画をご両親と祖父母とご覧ください。
本当にうれしそうな懐かしそうな顔で目が生き生きとしていて、傍にいる者も幸せになれる映画です。
このレビューは気に入りましたか?
6人の会員が気に入ったと投稿しています
中村鴈次郎は扇千景の義父です。
中村鴈治郎は、
坂田藤十郎と中村玉緒の実父です。
ということは、扇千景と勝新太郎の義理の父であり、
日本歌舞伎界を見限った男です。
この映画は、私が大好きな小津安二郎の作品ですが、
(先代)中村鴈次郎の存在感に圧倒され、
完全に鴈次郎映画になってしまっております。
まぁ、製作が東宝ということも少なからず影響しているとは思いますが、
ラストにしか、笠智衆が出てこないことからも、
容易に想像がつきます。
歌舞伎役者、いや、一芸人として、坂田藤十郎も尊敬に値する大芸人と思いますが、
父親の鴈次郎はその上を行く、超芸人だったのではないか思います。
だからこそ、歌舞伎の枠に収まらなかったんでしょう。
カラー映像もさることながら、予告編映像は
必見です。
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ユーザーレビュー
小津作品の愉しみ方 その一
投稿日
2006/02/17
レビュアー
parole
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小津安二郎の作品には色々な愉しみ方があって、その多様性と多義性つまり豊かさこそが小津の最大の魅力だと思うのだけれど、中でも「モノ」の即物的な扱い方は小津ならではの魅力であり、彼の独自性を最も際立たせているものだと思う。椅子の利用の仕方はその最もわかりやすく有名な例だけれど、『風の中の雌鶏』における掌と空のビール瓶、『晩春』における壺、『麦秋』における麦畑、『東京暮色』における子供のおもちゃなど例を上げるにこと欠かない。
この『小早川家の秋』における樽もそんな例の一つで、画面をつぶさに見詰めてさえいれば、家の前や路地などで不自然なほど樽が置かれ、また物語の本筋とは関係ないのにその樽が幾度にも渡って描写され、そしてある時点を境にその樽が一切無くなっていること(そしてその無くなった様がわざわざ撮されていること)に気付くはずだ。ある時点というのはこの作品における中核人物である中村鴈治郎の死であり、つまり彼の死と樽の画面上からの消去とが明確な関係性を持っていると言う訳だ。しかしこれを、樽が無くなることが中村雁治郎の死を象徴しているなどと解釈してはいけない。象徴というのは「答え」に対するサインのようなものであり、それでは樽の不在を雁治郎の死として解釈してしまえばその後は用無しになってしまう。そうではなくて、それまで頻繁に見られた物が突然無くなったと言う視覚的な驚きを喪失感として実感することが、つまり喪失=死と言うことを抽象的な事実として認識するのではなく、それを具体的な実感として感じることこそが重要なのだ。
小津の作品は須くこのように画面における事実をつぶさにかつ丹念に追いかけることによって得られるものこそが重要なんだと思う。小津というワビサビだとか、日本的なもの云々だとか、あるいは家族愛だとかとかく抽象的なことが語られがちだし、これらが全て間違いだなどと言うつもりもないが、このような誰もがそれを聴くだけで納得したつもりになってしまうような言葉に、「言いたいこと」に還元してしまうのは小津作品の豊かさと凶暴性とを矮小化してしまうのだと思う。小津の作品はそんなものでは収まりがつかないほど開放的で可能性があるものなのだ。
「ちゃう、ちゃう」
投稿日
2008/07/29
レビュアー
おうち大好き
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
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山茶花究が店員同士の会話の中で何度も繰り返す言葉。「違う、違う」と言ったり「ちゃう、ちゃう」と言ったり。抑揚がなくゆっくりとお行儀良く話す出演者達の中で彼だけは異彩を放っていた。
軽やかな音楽で始まるが決して明るいお話ではない
冒頭のシーンはアドリブが多いとされる森繁。加東大介と並んでいると社長シリーズを彷彿とさせる。この部分、小津監督も森繁を御すことを諦めたのか、好き勝手にやらせているように見受けられた。そこに現れる原節子。一挙に小津映画へと様子を変える。
新珠三千代が美しい。監督に甚く気に入られたらしいが、可愛いおじいちゃん、鴈治郎との掛け合いも面白く、造り酒屋を取り仕切る長女の役がピッタリとはまっている。
その長女が古い日本家屋の中を縦横無尽に歩く、歩く。
そして万兵衛も、下駄の音をカタカタ鳴らしながら路地から路地へ歩く、歩く。
19年ぶりに焼けぼっくいに火がついた昔の愛人役の浪花千栄子が色っぽい。
「うちが初めて女にしてもうた」なんてエロティックな言葉を吐く。
しかし、どこかこの世のものとは思えない不気味さ。「雨月物語」で男に取り付いた死霊に似ている。
何しろ一度死に掛けた男をしゃんと立たせて虚ろな目で自分のところに向かわせるのだから・・・横たわった遺体を団扇であおぐ行為もどこか気持ち悪い。
この映画では原節子だけが浮いていた。
この後の1本で映画界から引退することになる彼女。搨キけてみえる。半眼気味にカメラを捉え微笑みながら話すふくよかな表情は殆ど「如来」を連想させた。
奇しくも同じくこの映画のあとの「秋刀魚の味」が最後の作品となった小津監督。思えば二人の顔合わせはこの作品が最後ということになる。
朝には笑っていた人が夜にはもうこの世の人ではなくなる。人の世の無常、死生観を扱った作品でもあるので、ラストで喪服を着た彼女が葬列の最後尾を歩いていく姿は、どこか運命的なものを感じてしまってしかたがないのである。
能動的に感じ取れるから映画だと思うのです
投稿日
2007/01/17
レビュアー
ケチケチ
「秋日和」で「これで休憩」と書いておきながら、また小津作品に投稿しちゃってます。(^^;)
paroleさん、とっておきの「東京物語」で宣伝していただき恐縮の至りです。また「作品論」なんて過ぎたるお褒めの言葉までいただきお恥ずかしい限りです。(^^;)しかし様々に論じる要素があるから小津作品は素晴らしいんですよね。
最近劇場で見ると、私的には「金返せぇ〜」っていう邦画が多いのですが、○○製作委員会などと称して、テレビ局や広告代理店が映画の制作費を出費しているというのもその要因の一つではないかと思うのです。何につけ、映画を作るお金が集まり、若い人たちも劇場に足を運ぶことは喜ばしい限りですが、劇場で上映することが費用回収の手段であった頃と比べ、テレビ放映やDVD化など2次使用による費用回収が大きなウエイトを占めるようになり、映画そのものの作品としての品質が低下してきているように感じられてなりません。
本来映画は暗闇の中で集中して見る物ですし、観客が映画から"能動的に"何かを感じる取るものだと思います。お涙頂戴の映画は悪いとは言いません。しかし、それだけの映画、一様に同じものしか感じ取れないような演出しか施されていない映画は、やはりつまらないと思うのです。「お早よう」ではテレビを取り上げ「一億総白痴化」という当時の流行語も登場しますが、映画とテレビの違いは、能動的に何かを感じ取るものか、極めて受動的に受け取ることしか考えていないものかの差であると思います。
調子に乗って口幅ったいことを書いてしまいましたが、前述したDVD化のデメリットとは逆に、手軽に古い名作も見ることが出来るようになったメリットを生かし、是非是非多くの若い方に小津作品を堪能していただきたいですね。小津作品は海外で評価の高い某巨匠の作品以上に、日本人にしか分からない感情の機微を感じ取れる作品だと思います。また演出も非常に独特ですし、手垢の付いた古くささというものも感じないのではないかと思います。
私のレビューに対してparoleさんから過ぎたるお褒めの言葉をいただいたりしておりますが、あくまで独断と偏見で、私が小津作品から能動的に感じたことを書かせていただいたまでですので、100人100様のレビューが投稿され様々な感想を読ませていただけることを楽しみにしています。
とこれだけで終わると、石を投げられそうだけど、長文になってきたしこの作品に関してはノーレビューで。(^^;)
個人的には今年は忘却の彼方に去ってしまっている古い映画を出来るだけ掘り起こして見ていきたいと思っております。その手始めが小津作品でした。(^^ゞ
淡々とした日常生活
投稿日
2008/11/15
レビュアー
totoro
じっとしたままの姿勢でのセリフに最初は違和感があったが、見続けているとこれが昔の姿勢の良い日本人なのだなと感じました。
小林桂樹が最初はまったくわからず、母に「小林桂樹は誰?」と尋ねた程に今の小林桂樹とは違った味の俳優さんでした。
この映画の小林桂樹は好きですね〜^^ 今の役柄は多少卑屈な感じがして少し抵抗がありますが、この映画での小林桂樹は大好きです。いい味出しています。
ホワイトさんが好きだと言う理由がわかりました。
母は懐かしそうに役者の名前を一生懸命思い出してはうなずいていました。実に懐かしいと感激していました。
親孝行をしたと思います。ぜひ、ディスカスの方々も新しい作品ばかりでなく、古き良き日本の映画をご両親と祖父母とご覧ください。
本当にうれしそうな懐かしそうな顔で目が生き生きとしていて、傍にいる者も幸せになれる映画です。
中村鴈次郎は扇千景の義父です。
投稿日
2008/02/03
レビュアー
とく
中村鴈治郎は、
坂田藤十郎と中村玉緒の実父です。
ということは、扇千景と勝新太郎の義理の父であり、
日本歌舞伎界を見限った男です。
この映画は、私が大好きな小津安二郎の作品ですが、
(先代)中村鴈次郎の存在感に圧倒され、
完全に鴈次郎映画になってしまっております。
まぁ、製作が東宝ということも少なからず影響しているとは思いますが、
ラストにしか、笠智衆が出てこないことからも、
容易に想像がつきます。
歌舞伎役者、いや、一芸人として、坂田藤十郎も尊敬に値する大芸人と思いますが、
父親の鴈次郎はその上を行く、超芸人だったのではないか思います。
だからこそ、歌舞伎の枠に収まらなかったんでしょう。
カラー映像もさることながら、予告編映像は
必見です。
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