西鶴一代女 / 田中絹代
西鶴一代女
/溝口健二
平均評価点:
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全体の平均評価点: (5点満点)
(8)
解説・ストーリー
井原西鶴の『好色一代女』を、依田義賢が脚色し溝口健二が監督した文芸作品。お得意の長回しや流麗なカメラワーク、そして田中絹代の熱演などが、ヴェネチア国際映画祭での受賞につながった。<BR> 奈良の荒れ寺に集まる街娼たち。年老いたお春は羅漢堂に入り、過去に出会った男の面影を思い浮かべていた。御所勤めをしていた13歳のお春は、公卿の勝之介に宿に連れ込まれたところを見つかり、両親ともども洛外へ追放となってしまった。その後、松平家に取り立てられ嗣子をもうけたものの、側近の裏切りに遭い実家へ帰されてしまう。島原の郭に売られたお春は、気に入られた客の住み込み女中となるが、その妻に嫉妬され追い出されてしまった。さらに結婚相手が急死し、世話になった男の盗みが発覚して捕らえられるなど、流転の人生を歩むのだった。
井原西鶴の『好色一代女』を、依田義賢が脚色し溝口健二が監督した文芸作品。お得意の長回しや流麗なカメラワーク、そして田中絹代の熱演などが、ヴェネチア国際映画祭での受賞につながった。<BR> 奈良の荒れ寺に集まる街娼たち。年老いたお春は羅漢堂に入り、過去に出会った男の面影を思い浮かべていた。御所勤めをしていた13歳のお春は、公卿の勝之介に宿に連れ込まれたところを見つかり、両親ともども洛外へ追放となってしまった。その後、松平家に取り立てられ嗣子をもうけたものの、側近の裏切りに遭い実家へ帰されてしまう。島原の郭に売られたお春は、気に入られた客の住み込み女中となるが、その妻に嫉妬され追い出されてしまった。さらに結婚相手が急死し、世話になった男の盗みが発覚して捕らえられるなど、流転の人生を歩むのだった。
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「西鶴一代女」 の解説・あらすじ・ストーリー
解説・ストーリー
井原西鶴の『好色一代女』を、依田義賢が脚色し溝口健二が監督した文芸作品。お得意の長回しや流麗なカメラワーク、そして田中絹代の熱演などが、ヴェネチア国際映画祭での受賞につながった。<BR> 奈良の荒れ寺に集まる街娼たち。年老いたお春は羅漢堂に入り、過去に出会った男の面影を思い浮かべていた。御所勤めをしていた13歳のお春は、公卿の勝之介に宿に連れ込まれたところを見つかり、両親ともども洛外へ追放となってしまった。その後、松平家に取り立てられ嗣子をもうけたものの、側近の裏切りに遭い実家へ帰されてしまう。島原の郭に売られたお春は、気に入られた客の住み込み女中となるが、その妻に嫉妬され追い出されてしまった。さらに結婚相手が急死し、世話になった男の盗みが発覚して捕らえられるなど、流転の人生を歩むのだった。
「西鶴一代女」 の作品情報
「西鶴一代女」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ
西鶴一代女の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
137分 |
|
|
レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
TDV24212R |
2014年01月22日
|
在庫枚数 |
1位登録者: |
2位登録者: |
3枚
|
0人
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0人
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西鶴一代女の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
137分 |
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レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
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TDV24212R |
2014年01月22日
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在庫枚数 |
1位登録者: |
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ユーザーレビュー:8件
これを観ずして、田中絹代、溝口健二を語るなかれ
祝・国宝級作品新リリース・レビュー その3
( ネタばれあり)
・・・とは、説教めいた上から目線の言い方ですが、僕一個人などの思い入れなんかは横に置いても、この両者がおのれの人生を賭け、真価を発揮して、日本国内のみならず世界にその存在を見せつけた一作であることは、言い過ぎでも何でもないのです。
「五十の婆が二十歳になるのは無理やな。」
冒頭の、厚化粧の老いた娼婦に堕ちた主人公・春が、客に愚弄されて自嘲するこの台詞から映画は動き始めますが、これは当時42歳の田中絹代が観客に向かって放つ啖呵、
「 私はこれから18歳の娘から老婆の娼婦まで演じてみせますよ 」という闘争宣言に他なりません。
この後回想という形で、御所勤めをしていた高貴で誇り高い娘が、路上で客を引く老いた夜鷹になるまでの流転の人生を演じていきます。
外見の華、若々しさのことをうんぬんするなら、42歳が18歳からを演じるなどハナから無理は承知のことでしょう。
いや、だいたい田中絹代は男がひざまずくような、思わず振り返るような絶世の美女などではない。
しかし若くてきれいであれば女優足り得るのか。 女優は古くなったらおしまいなのか。
若い娘の心のときめき、揺れ動く心を、大人の女優は演じられないのか。
この問いに田中絹代は女優生命を賭けて答えてみせようと言うのです。
当時田中絹代自身、苦しい時期にいました。
戦前から戦後になっても大和なでしこのイメージの国民的女優でしたが、1950年日米友好親善使節として渡米、帰国した際、洋服にサングラス姿で投げキッスし「ハロー」と言ったことからひんしゅくを買い、「アメション女優( 小便しに行ったくらいの短期滞在なのにアメリカかぶれしてしまった勘違い女優の意 )」と呼ばれて猛烈なバッシングにあってしまう。 ある作品の批評で「老醜」とまで書かれ、人気は地に堕ちてしまい、田中絹代は長年在籍した松竹も辞めることになりました。
溝口健二も長いスランプの時期でした。 戦前にすでに秀作を作っていましたが、戦時中は監督協会会長とか大日本映画協会理事とかに祀り上げられ、逆に莫大な製作費をかけ赤穂義士を勤王の武士に仕立てた『 元禄忠臣蔵 』が興行的に大失敗するなど、性に合わない国策映画を作らされていました。
戦後も、占領下で民主化の新しい時代に沿った柄にもない作品を作ることにより、また黒澤明が『 羅生門 』でベネチア映画祭グランプリ受賞したり木下恵介、今井正など自分より若い世代が台頭して、逆に古い時代の人という評価になってしまっていたようです。
加えて1941年暮れ、夫人が精神のバランスを崩し長期入院( 溝口の死後、新藤兼人が『 ある映画監督の生涯・溝口健二の記録』発表の1975年時点でもまだ )することになり、梅毒をうつした( 検査結果そうではなかった )のではないか、夫婦関係の心労からくるストレスではない、など、夫として自分に原因があるのではないかと思い悩んでいました。
本作は田中絹代を想定し、1949年の段階で依田義賢のシナリオは完成していましたが、松竹が制作に踏み切らず流れていた企画。
独立系の児井プロが新東宝と提携して作ることになったものの、松竹、大映など京都の撮影所は使えず、戦時中の倉庫跡( 現在のひらかたパークの場所 )を利用して撮影したもの。
国内では評価、興行成績ともふるわなかったが、ベネチア映画祭国際賞2位となり世界に溝口と田中絹代の存在を知らしめ、続く『 雨月物語 』『 山椒太夫 』へとつながっていきます。
また本作はBBC選出21世紀に残したい映画100本の一つに選ばれています。
市川崑監督が田中絹代の生涯を映画化した『 映画女優 』で当時同年齢だった吉永小百合が、この映画のワンシーンを再現してますが、さすがに申し訳ないが、ものが全然違います。 それまでの人生も人格も否定された大女優が演技にこめたスゴ味が違います。
若さと美貌を値踏みされ、子どもを産む道具のように扱われ、歳をとると使い古されたおもちゃのように棄てられても、自分ではどうすることもできず流されていく、一人の弱い女、古い女の話。
もて遊ばれ、貶められ、棄てられても、それでも生きているんだ。
哀しみ、痛み、怒りを持った人間なんだ。
1人の女の人生を全身で演じた田中絹代。
残念ながら画像も音声も保存状態はよくないですが、それを置いても、日本が世界に誇れる一本。 必見です。
このレビューは気に入りましたか?
14人の会員が気に入ったと投稿しています
流転の人生
投稿日:2019/05/03
レビュアー:趣味は洋画
西鶴一代女(1952年 日本・東宝、モノクロ、137分)
溝口健二監督作品は、53年「雨月物語」、53年「祇園囃子」、54年「山椒大夫」を観ている。
(75年の記録映画「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」も参考として鑑賞した)
上記3作品が大映映画だったのに対し、本作は東宝映画。
多くの資料・文献で紹介されているように、この映画は井原西鶴の浮世草子「好色一代女」が原作という。予習が必要と思った。
井原西鶴とはいつの時代で、具体的に何をした人なのか。
そもそも「浮世草子」とは何なのか。
「好色一代女」はどんな作品なのか。(溝口作品に欠かせない、依田義賢氏が脚色しているが)
ウィキペディアで調べれば、あらましの情報は得ることが出来る。(田中絹代自身のことも)
しかし、本作を観るにあたって、もう少し踏み込んで映画資料に目を通してみた。
ひとつ確信したのは、本作の成功が、翌年の「雨月物語」につながったということだ。
原作の「好色一代女」は、あるひとりの女の生涯を綴りながらも、当時の風俗のリアルな描写に重きをおいている。溝口監督はこれを別の視点で捉えた演出をみせている。つまり、女の本性をさぐるという構成にし、まったく別の「一代女」を撮ったのである。
結果、「西鶴一代女」は宗教的な雰囲気も漂い、原作とは一線を画しているかもしれない。
それでも本作がヴェネチア映画祭で国際賞を受賞したのは、距離をおいて対象を見据える溝口監督の演出と、主人公のお春を気高く演じ切った田中絹代の女優としての魂に負うところ大であろう。
娼婦に身をやつしたお春(田中絹代)が、夜明け前の奈良の町をひとり歩いている。
三味線と琴の奏でる音色がもの哀しい。
暫くして、画面がゆっくりと切り替わる。そうか、この物語は回想シーンの幕開けなのか...。
十代のお春は御所に仕える身だったが、勝之介(三船敏郎)という公家の若党に言い寄られ、宿での情交を役人に見つかってしまう。勝之介は打ち首、お春は両親ともども都を追放される。お春は竹藪で自害しようとするが果たせない。ある日、松平3万石の世継ぎのない主君のため、家中に見出されたお春は、仕度金百両を得て松平家に入る。やがて若殿を生んだお春だが、奥方(山根壽子)の反感を買い、もう用済みとばかりに実家へ追い返される。娘が殿中入りで羽振りのよかったお春の父親(菅井一郎)は、借金で首が回らなくなり、お春を島原の遊郭へ行かせる。お春の悲惨な人生が始まる...。
三船敏郎はクレジット3位ながら、出演シーンは冒頭から数分のみで肩透かしを食ったよう。
溝口映画常連の、進藤英太郎、毛利菊枝、菅井一郎らに加え、宇野重吉、沢村貞子、加東大介といった名優も出演しているが、本作に限っては、田中絹代の独壇場である。
お春の気骨な面がよくでているシーンがある。
郭に遊びに来た越後の金持ちの男(後に、贋金と判る)が、女や使用人に金をばらまく中、お春は一切金を手にせず、‘私は物乞いではない’と突っぱねる。
笹屋の女房(沢村貞子)から髪を切られるが、耐え忍ぶ。
文無しになったお春は、自分が生んだ世継ぎを遠くから無表情で見るが、やがて伏して泣く。
さて次に触手する溝口作品は、
「新・平家物語」、はたまた「武蔵野夫人」か、「夜の女たち」か、夢想かけめぐる。
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5人の会員が気に入ったと投稿しています
封建制を糾弾した傑作
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
レビューを表示する
前から観たかったが、ようやく観る事が出来た。
さすがの秀作だった。
溝口の作風には、元々、凄みがあるが
田中絹代の凄みも相まって強烈だった。
時系列的には最古だろうが、ベルイマンの「野いちご」
コッポラの「ゴッドファーザーpart2」のような格調高さがあった。
武士の娘が大名の側室から夜鷹までの浮沈を繰り返すというのは荒唐無稽でもあるが、恐らく、原作の巧さも手伝ってか
一つ一つのエピソードに、それなりの説得力があった。
詰まる所、西鶴が言いたかったのは、冒頭、身分違いの下級武士との恋愛で人生を転落してゆくシーンに表れているように
厳格な封建制への批判だったのではないだろうか。
江戸時代には、庶民にも、そういう心情が芽生えていたという事なのだろう。
そういえば、マルティン・ルターの宗教改革もその頃ではなかっただろうか。
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西鶴一代女
投稿日:2014/10/13
レビュアー:片山刑事
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
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物語は御所にまで仕えた主人公が洛外追放になり、島原へ行ったり追い出されたり、見受けされたかと思えばまた追い出されて夜鷹になってしまい最後は尼となるまでの女性の一代記。
ひたすら運命に翻弄されて流れていく話ですが、何と言ってもワンシーンワンカットの映像美が凄いです。登場人物の配置だけでなく、カメラの構図や小道具の位置、画面の奥にいるエキストラに至るまでどの画も絵画のようになっているのが凄いです。登場人物が画面に出入りするのも計算されているかのように一定のリズムで行われるので気持ちが途絶えることがなかったです。
日本の封建主義や男尊女卑が描かれて1人の人間がこれでもかという不幸の連続でどん底まで落ちていくのが描かれていきます。自由な恋愛はやっちゃいけない時代。女性が男性を求めたら追放されるという。けど男性の性欲処理の道具として夜鷹がいたりして。
なんて生きにくい世の中なんだとまざまざと見せつけてくれる映画でした。それでいてそんな世の中でも生きていかないといけない現実と希望。
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実はフェミニストであったのかもしれない溝口健二
投稿日:2014/02/13
レビュアー:港のマリー
溝口監督は背中を切りつけられるほどの暴言を平気で女性に向けて放つ人だったそうですが、この映画を見ると外に現れる行動と内心とは少し違っていたのでは?と思ってしまいます。
老いを厚化粧で隠し、派手な着物をまとって客を求めて夜更けの道をさまよう後ろ姿をロングの長回しで追うカメラは、お春(田中絹代)の堕ちていくさまを冷徹に見据えているとの評もあるようだけれど、私はそれに与しない。
溝口監督はお春にありったけの愛と共感をそそいでいます。
なぜそう思うのか。答えはお春をいいように利用した者たちの下劣さ、卑劣さ、差別・偏見、理不尽、非人情、をこれでもかと容赦なく描いているから。
娘が大名の側室になり世継ぎを産んだというので気が大きくなり、借金をして商売を広げ、娘が訳あって暇を出されると今度は島原遊郭へ出てくれという。お金の前には親子の情愛などありません。
西鶴の生きた17世紀後半の上方の現代をしのぐ徹底的した拝金主義にはびっくり。偽金作りのお大尽のエピソートも実に風刺が効いていました。ほの暗い画面の小判の山のきらきらした輝きも印象的でした。島原を去ったお春は大店に奉公しますが、もとの仕事がばれたときの主人進藤栄太郎の「これからはタダで傾城と…」のイヤらしさには虫酸が走りました。
町人がカネ万能なら武家は体面と権威を守ることに汲々として人情をかえりみない窮屈な偽善社会。どちらもお春を翻弄し傷つけます。
しかしどんな境遇に落とされどれだけ貶められてもお春の真心の輝きは少しも損なわれることはなかった。成長したわが子を燃えるような目で追い続ける田中絹代の姿にそれは現れています。流転の半生にお春は二度、真実の愛にめぐり会いますが、二度とも死に別れ、お春は後を追おうして果たせず出家しようとして妨げられました。
すがった先の尼寺の尼僧の俗物ぶりにも唖然とします。お春にも隙はあったのですが尼僧の「私にできないことをして私をバカにする」とは、仏に仕える身とはうらはらただ嫉妬に狂った欲求不満の言わせた言葉にしか聞こえない。仏の道を修行しても人間、浅ましさからはなかなか解脱できないらしい。
お春には愛に殉じようとする気持ちは確かにあったのです。好色や淫乱とは正反対、それなのに世間はなぜか色眼鏡で見る。溝口監督は俺はわかっているぞ、と慰めているかのようです。
それでも雅で可憐な御所づとめの乙女が蕾が開き、花弁がしだいに濃く色付いていくような妖艶さを漂わせるようになる、香水の種類が一回ずつ変わっていくかのような田中絹代の演技は見事の一語に尽きます。舞台装置と撮影の流麗さと相まって耽美的、陶酔的な世界が繰り広げられていきます。
いつも思うのですが溝口映画は絵巻物をひもとく感覚ですね。
気になる継ぎ目がなく流れるように次々と場面が現れては斯界の外に消えていく。ロングショットは絵巻物を長く机上に広げた時。とくに面白い美しい場面では手を止めて目を近づけて見る。映画では控えめなアップになります。その切り替えの呼吸をするが如きなめらかさは驚嘆に値します。
文化財の絵巻物なみに画面の構図も美しいです。障子やふすまを利用したデザインが市川崑ほどこれみよがしなシャープさを見せつけることなく、ほのかにモダニズムの息吹を感じさせます。障子に映る影の使い方も繊細です。部屋のしつらえ、家具、調度といった美術、照明、衣裳も贅沢なアート作品でした。
私はアマゾンで¥420で買ったのですが、ここに紹介されているジャケットがカラーの版は2300円ぐらいだったと思います。画質に違いがあるのでしょうか。
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3人の会員が気に入ったと投稿しています
ユーザーレビュー
これを観ずして、田中絹代、溝口健二を語るなかれ
投稿日
2014/01/17
レビュアー
ロキュータス
祝・国宝級作品新リリース・レビュー その3
( ネタばれあり)
・・・とは、説教めいた上から目線の言い方ですが、僕一個人などの思い入れなんかは横に置いても、この両者がおのれの人生を賭け、真価を発揮して、日本国内のみならず世界にその存在を見せつけた一作であることは、言い過ぎでも何でもないのです。
「五十の婆が二十歳になるのは無理やな。」
冒頭の、厚化粧の老いた娼婦に堕ちた主人公・春が、客に愚弄されて自嘲するこの台詞から映画は動き始めますが、これは当時42歳の田中絹代が観客に向かって放つ啖呵、
「 私はこれから18歳の娘から老婆の娼婦まで演じてみせますよ 」という闘争宣言に他なりません。
この後回想という形で、御所勤めをしていた高貴で誇り高い娘が、路上で客を引く老いた夜鷹になるまでの流転の人生を演じていきます。
外見の華、若々しさのことをうんぬんするなら、42歳が18歳からを演じるなどハナから無理は承知のことでしょう。
いや、だいたい田中絹代は男がひざまずくような、思わず振り返るような絶世の美女などではない。
しかし若くてきれいであれば女優足り得るのか。 女優は古くなったらおしまいなのか。
若い娘の心のときめき、揺れ動く心を、大人の女優は演じられないのか。
この問いに田中絹代は女優生命を賭けて答えてみせようと言うのです。
当時田中絹代自身、苦しい時期にいました。
戦前から戦後になっても大和なでしこのイメージの国民的女優でしたが、1950年日米友好親善使節として渡米、帰国した際、洋服にサングラス姿で投げキッスし「ハロー」と言ったことからひんしゅくを買い、「アメション女優( 小便しに行ったくらいの短期滞在なのにアメリカかぶれしてしまった勘違い女優の意 )」と呼ばれて猛烈なバッシングにあってしまう。 ある作品の批評で「老醜」とまで書かれ、人気は地に堕ちてしまい、田中絹代は長年在籍した松竹も辞めることになりました。
溝口健二も長いスランプの時期でした。 戦前にすでに秀作を作っていましたが、戦時中は監督協会会長とか大日本映画協会理事とかに祀り上げられ、逆に莫大な製作費をかけ赤穂義士を勤王の武士に仕立てた『 元禄忠臣蔵 』が興行的に大失敗するなど、性に合わない国策映画を作らされていました。
戦後も、占領下で民主化の新しい時代に沿った柄にもない作品を作ることにより、また黒澤明が『 羅生門 』でベネチア映画祭グランプリ受賞したり木下恵介、今井正など自分より若い世代が台頭して、逆に古い時代の人という評価になってしまっていたようです。
加えて1941年暮れ、夫人が精神のバランスを崩し長期入院( 溝口の死後、新藤兼人が『 ある映画監督の生涯・溝口健二の記録』発表の1975年時点でもまだ )することになり、梅毒をうつした( 検査結果そうではなかった )のではないか、夫婦関係の心労からくるストレスではない、など、夫として自分に原因があるのではないかと思い悩んでいました。
本作は田中絹代を想定し、1949年の段階で依田義賢のシナリオは完成していましたが、松竹が制作に踏み切らず流れていた企画。
独立系の児井プロが新東宝と提携して作ることになったものの、松竹、大映など京都の撮影所は使えず、戦時中の倉庫跡( 現在のひらかたパークの場所 )を利用して撮影したもの。
国内では評価、興行成績ともふるわなかったが、ベネチア映画祭国際賞2位となり世界に溝口と田中絹代の存在を知らしめ、続く『 雨月物語 』『 山椒太夫 』へとつながっていきます。
また本作はBBC選出21世紀に残したい映画100本の一つに選ばれています。
市川崑監督が田中絹代の生涯を映画化した『 映画女優 』で当時同年齢だった吉永小百合が、この映画のワンシーンを再現してますが、さすがに申し訳ないが、ものが全然違います。 それまでの人生も人格も否定された大女優が演技にこめたスゴ味が違います。
若さと美貌を値踏みされ、子どもを産む道具のように扱われ、歳をとると使い古されたおもちゃのように棄てられても、自分ではどうすることもできず流されていく、一人の弱い女、古い女の話。
もて遊ばれ、貶められ、棄てられても、それでも生きているんだ。
哀しみ、痛み、怒りを持った人間なんだ。
1人の女の人生を全身で演じた田中絹代。
残念ながら画像も音声も保存状態はよくないですが、それを置いても、日本が世界に誇れる一本。 必見です。
流転の人生
投稿日
2019/05/03
レビュアー
趣味は洋画
西鶴一代女(1952年 日本・東宝、モノクロ、137分)
溝口健二監督作品は、53年「雨月物語」、53年「祇園囃子」、54年「山椒大夫」を観ている。
(75年の記録映画「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」も参考として鑑賞した)
上記3作品が大映映画だったのに対し、本作は東宝映画。
多くの資料・文献で紹介されているように、この映画は井原西鶴の浮世草子「好色一代女」が原作という。予習が必要と思った。
井原西鶴とはいつの時代で、具体的に何をした人なのか。
そもそも「浮世草子」とは何なのか。
「好色一代女」はどんな作品なのか。(溝口作品に欠かせない、依田義賢氏が脚色しているが)
ウィキペディアで調べれば、あらましの情報は得ることが出来る。(田中絹代自身のことも)
しかし、本作を観るにあたって、もう少し踏み込んで映画資料に目を通してみた。
ひとつ確信したのは、本作の成功が、翌年の「雨月物語」につながったということだ。
原作の「好色一代女」は、あるひとりの女の生涯を綴りながらも、当時の風俗のリアルな描写に重きをおいている。溝口監督はこれを別の視点で捉えた演出をみせている。つまり、女の本性をさぐるという構成にし、まったく別の「一代女」を撮ったのである。
結果、「西鶴一代女」は宗教的な雰囲気も漂い、原作とは一線を画しているかもしれない。
それでも本作がヴェネチア映画祭で国際賞を受賞したのは、距離をおいて対象を見据える溝口監督の演出と、主人公のお春を気高く演じ切った田中絹代の女優としての魂に負うところ大であろう。
娼婦に身をやつしたお春(田中絹代)が、夜明け前の奈良の町をひとり歩いている。
三味線と琴の奏でる音色がもの哀しい。
暫くして、画面がゆっくりと切り替わる。そうか、この物語は回想シーンの幕開けなのか...。
十代のお春は御所に仕える身だったが、勝之介(三船敏郎)という公家の若党に言い寄られ、宿での情交を役人に見つかってしまう。勝之介は打ち首、お春は両親ともども都を追放される。お春は竹藪で自害しようとするが果たせない。ある日、松平3万石の世継ぎのない主君のため、家中に見出されたお春は、仕度金百両を得て松平家に入る。やがて若殿を生んだお春だが、奥方(山根壽子)の反感を買い、もう用済みとばかりに実家へ追い返される。娘が殿中入りで羽振りのよかったお春の父親(菅井一郎)は、借金で首が回らなくなり、お春を島原の遊郭へ行かせる。お春の悲惨な人生が始まる...。
三船敏郎はクレジット3位ながら、出演シーンは冒頭から数分のみで肩透かしを食ったよう。
溝口映画常連の、進藤英太郎、毛利菊枝、菅井一郎らに加え、宇野重吉、沢村貞子、加東大介といった名優も出演しているが、本作に限っては、田中絹代の独壇場である。
お春の気骨な面がよくでているシーンがある。
郭に遊びに来た越後の金持ちの男(後に、贋金と判る)が、女や使用人に金をばらまく中、お春は一切金を手にせず、‘私は物乞いではない’と突っぱねる。
笹屋の女房(沢村貞子)から髪を切られるが、耐え忍ぶ。
文無しになったお春は、自分が生んだ世継ぎを遠くから無表情で見るが、やがて伏して泣く。
さて次に触手する溝口作品は、
「新・平家物語」、はたまた「武蔵野夫人」か、「夜の女たち」か、夢想かけめぐる。
封建制を糾弾した傑作
投稿日
2015/11/26
レビュアー
alterd
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
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前から観たかったが、ようやく観る事が出来た。
さすがの秀作だった。
溝口の作風には、元々、凄みがあるが
田中絹代の凄みも相まって強烈だった。
時系列的には最古だろうが、ベルイマンの「野いちご」
コッポラの「ゴッドファーザーpart2」のような格調高さがあった。
武士の娘が大名の側室から夜鷹までの浮沈を繰り返すというのは荒唐無稽でもあるが、恐らく、原作の巧さも手伝ってか
一つ一つのエピソードに、それなりの説得力があった。
詰まる所、西鶴が言いたかったのは、冒頭、身分違いの下級武士との恋愛で人生を転落してゆくシーンに表れているように
厳格な封建制への批判だったのではないだろうか。
江戸時代には、庶民にも、そういう心情が芽生えていたという事なのだろう。
そういえば、マルティン・ルターの宗教改革もその頃ではなかっただろうか。
西鶴一代女
投稿日
2014/10/13
レビュアー
片山刑事
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
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物語は御所にまで仕えた主人公が洛外追放になり、島原へ行ったり追い出されたり、見受けされたかと思えばまた追い出されて夜鷹になってしまい最後は尼となるまでの女性の一代記。
ひたすら運命に翻弄されて流れていく話ですが、何と言ってもワンシーンワンカットの映像美が凄いです。登場人物の配置だけでなく、カメラの構図や小道具の位置、画面の奥にいるエキストラに至るまでどの画も絵画のようになっているのが凄いです。登場人物が画面に出入りするのも計算されているかのように一定のリズムで行われるので気持ちが途絶えることがなかったです。
日本の封建主義や男尊女卑が描かれて1人の人間がこれでもかという不幸の連続でどん底まで落ちていくのが描かれていきます。自由な恋愛はやっちゃいけない時代。女性が男性を求めたら追放されるという。けど男性の性欲処理の道具として夜鷹がいたりして。
なんて生きにくい世の中なんだとまざまざと見せつけてくれる映画でした。それでいてそんな世の中でも生きていかないといけない現実と希望。
実はフェミニストであったのかもしれない溝口健二
投稿日
2014/02/13
レビュアー
港のマリー
溝口監督は背中を切りつけられるほどの暴言を平気で女性に向けて放つ人だったそうですが、この映画を見ると外に現れる行動と内心とは少し違っていたのでは?と思ってしまいます。
老いを厚化粧で隠し、派手な着物をまとって客を求めて夜更けの道をさまよう後ろ姿をロングの長回しで追うカメラは、お春(田中絹代)の堕ちていくさまを冷徹に見据えているとの評もあるようだけれど、私はそれに与しない。
溝口監督はお春にありったけの愛と共感をそそいでいます。
なぜそう思うのか。答えはお春をいいように利用した者たちの下劣さ、卑劣さ、差別・偏見、理不尽、非人情、をこれでもかと容赦なく描いているから。
娘が大名の側室になり世継ぎを産んだというので気が大きくなり、借金をして商売を広げ、娘が訳あって暇を出されると今度は島原遊郭へ出てくれという。お金の前には親子の情愛などありません。
西鶴の生きた17世紀後半の上方の現代をしのぐ徹底的した拝金主義にはびっくり。偽金作りのお大尽のエピソートも実に風刺が効いていました。ほの暗い画面の小判の山のきらきらした輝きも印象的でした。島原を去ったお春は大店に奉公しますが、もとの仕事がばれたときの主人進藤栄太郎の「これからはタダで傾城と…」のイヤらしさには虫酸が走りました。
町人がカネ万能なら武家は体面と権威を守ることに汲々として人情をかえりみない窮屈な偽善社会。どちらもお春を翻弄し傷つけます。
しかしどんな境遇に落とされどれだけ貶められてもお春の真心の輝きは少しも損なわれることはなかった。成長したわが子を燃えるような目で追い続ける田中絹代の姿にそれは現れています。流転の半生にお春は二度、真実の愛にめぐり会いますが、二度とも死に別れ、お春は後を追おうして果たせず出家しようとして妨げられました。
すがった先の尼寺の尼僧の俗物ぶりにも唖然とします。お春にも隙はあったのですが尼僧の「私にできないことをして私をバカにする」とは、仏に仕える身とはうらはらただ嫉妬に狂った欲求不満の言わせた言葉にしか聞こえない。仏の道を修行しても人間、浅ましさからはなかなか解脱できないらしい。
お春には愛に殉じようとする気持ちは確かにあったのです。好色や淫乱とは正反対、それなのに世間はなぜか色眼鏡で見る。溝口監督は俺はわかっているぞ、と慰めているかのようです。
それでも雅で可憐な御所づとめの乙女が蕾が開き、花弁がしだいに濃く色付いていくような妖艶さを漂わせるようになる、香水の種類が一回ずつ変わっていくかのような田中絹代の演技は見事の一語に尽きます。舞台装置と撮影の流麗さと相まって耽美的、陶酔的な世界が繰り広げられていきます。
いつも思うのですが溝口映画は絵巻物をひもとく感覚ですね。
気になる継ぎ目がなく流れるように次々と場面が現れては斯界の外に消えていく。ロングショットは絵巻物を長く机上に広げた時。とくに面白い美しい場面では手を止めて目を近づけて見る。映画では控えめなアップになります。その切り替えの呼吸をするが如きなめらかさは驚嘆に値します。
文化財の絵巻物なみに画面の構図も美しいです。障子やふすまを利用したデザインが市川崑ほどこれみよがしなシャープさを見せつけることなく、ほのかにモダニズムの息吹を感じさせます。障子に映る影の使い方も繊細です。部屋のしつらえ、家具、調度といった美術、照明、衣裳も贅沢なアート作品でした。
私はアマゾンで¥420で買ったのですが、ここに紹介されているジャケットがカラーの版は2300円ぐらいだったと思います。画質に違いがあるのでしょうか。
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西鶴一代女