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国策によってつくられた東北のある開拓村。当初は20家族が入植したこの村も、今では38歳の母と17歳の娘が住むだけとなった。この荒涼たる不毛の地を開拓することはあまりにも困難で、みな次々と脱落し村を離れていったのだった。二十歳の時に結婚した亭主は都会へ出稼ぎに出たまま姿を消した。女ふたりだけが残る廃墟と化した村。それでも、山向こうで始まったダム建設の関係者、電気屋、水道屋、県の役人に麓の警察の巡査といった男たちがここにやって来た。そして、ふしぎなことにどの男たちもそのまま姿を消してしまうのだった…。
国策によってつくられた東北のある開拓村。当初は20家族が入植したこの村も、今では38歳の母と17歳の娘が住むだけとなった。この荒涼たる不毛の地を開拓することはあまりにも困難で、みな次々と脱落し村を離れていったのだった。二十歳の時に結婚した亭主は都会へ出稼ぎに出たまま姿を消した。女ふたりだけが残る廃墟と化した村。それでも、山向こうで始まったダム建設の関係者、電気屋、水道屋、県の役人に麓の警察の巡査といった男たちがここにやって来た。そして、ふしぎなことにどの男たちもそのまま姿を消してしまうのだった…。
製作年: |
2003年 |
---|---|
製作国: |
日本 |
原題: |
OWL |
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
119分 | 1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語 |
|
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
DA9388 | 2004年08月25日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
9枚 | 0人 | 0人 |
収録時間:
119分
字幕:
音声:
1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語
レイティング:
記番:
DA9388
レンタル開始日:
2004年08月25日
在庫枚数
9枚
1位登録者:
0人
2位登録者:
0人
DVD
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
119分 | 1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語 |
|
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
DA9388 | 2004年08月25日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
9枚 | 0人 | 0人 |
収録時間:
119分
字幕:
音声:
1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語
レイティング:
記番:
DA9388
レンタル開始日:
2004年08月25日
在庫枚数
9枚
1位登録者:
0人
2位登録者:
0人
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大竹しのぶと新藤兼人監督のコンビと知って録画していた1本。
娘が溜め撮りを整理していて観ていないのではと急遽夜中の鑑賞。
90歳を超えての作品。
その制作意欲にまず驚かされる。
とてもそんな高齢の監督作品とは思えない。
国策による東北の開拓村が舞台。
夢と希望を持ち意気揚々と開拓村に入植した人々。
ところが荒れ放題の大地は不毛の大地と呼ぶにふさわしい代物だった。1軒1軒とこの地を去る同胞。
いまや残されたものは母と娘の二人きり。
売り払うもの、食べられるものが底をつき、生きるために選んだ親子のとった行動は・・・
人間が、女が、極限状態に置かれ選ぶ道・・・
麓の村から訪ねて来る男たち。
最初の男はこちらから声を掛けた。
目的がはっきりしていた。
男と母親が奥の部屋へ消える。
事を終えて戻る「客」にサービスと言って差し出す酒。
これを飲んで悶絶する男。
何事もなかったかのように「客」を外に運び出す母娘。
そして宴が始まる。
訪ねて来る電気工事のひと、水道局の人、工事現場の監督など次々に餌食にする母娘。
そして外に運び出される男たち。
惨殺シーンはなく、ことを終えて悶絶する男たちはある意味頂点に行ったままなので気分は最高!状態。
お話しはとても深く、開拓村の現状や、お国の対策の不備、母娘の置かれた飢餓状態と、とても語りつくせないようなものですが、囲炉裏のある部屋を中心にした場面のためか、全体を通して舞台劇を観ているように感じました。
それもコミカルな感じさえ覚えるほど。
大竹しのぶをはじめ、取り囲む男優陣も見事。
娘役の女優さんも淡々とした演技の中、全裸シーンと体当たりでよかったです。
「黒い家」での大竹しのぶの演技は鬼気迫るものがあり、少しくどい感じがしたんですが、こちらは怪演。
終盤娘と二人希望に燃えていた頃の「開拓村の唄」を歌うシーン。
絶叫とはこういうことだ、と思わせるような歌いっぷり。
全編通して「大竹しのぶ」に魅せられたような気がしました。
一緒に観ていた娘。
「こんな状態やったら、こうするしかないんかなぁ。でも殺す意味がわからん。何べんも来てもろたらその分はように目標額達成するやん。まあ、臨時収入のほうが多かったけどな。」
「おかんとうちやったらどや!絶対あかんわ!みんな引くわぁ」
「あほぅ、すてたもんちゃうで」
「おかんが足引っ張るて。うちばっかりやったらややで。儲けたお金独り占めして逃げたるわぁ」
なんちゅう会話や(><)
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※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
舞台風と言えば、いいんでしょうか。
ほとんどの映像が、一つの家の中だけで起こります。
大竹しのぶと伊藤歩の親子。
なんだか、開拓地として、新しい村があったものの、
その土地には、作物がならず、
この二人以外は、離村していった村。
電気も、水も止められたこの家で、
二人は、行動を起こす。
そこで、なけなしのお金で、近くのダム建設現場に電話をかけ、
男を売春目的に、おびき出す。
飯場の勤務だった、男は、この家に来て・・・
その後、電気屋、水道屋など、復旧に来た男が、
次々に姿を消すことになるが・・・
という、、ま、犯罪の映画というか、
貧困をテーマにした映画というか、
何か、趣旨がありそうなんだが、
よく意味がわからない。
少し前の映画だからということもあるのかもしれないけど、
作りもちゃちいし、演技もちゃちい。
唯一、大竹しのぶは、頑張ってはいるが、
ここまで、映画のつくりがちゃちいと、、、
舞台ならいいけど、映画ではななぁ。。。
もちろん、ほとんど一室しか舞台にしない映画というのは、
結構あって、面白いものも多く、
決して、舞台風なのが悪いとは思わないけど、
これは、それがちゃちさに直結してるところが、だめなんだと思う。
根本的には、描いているものの重さと、
コミカルさの配合の具合が悪いんだと思う。
犯罪の部分は、シリアスに描き、
それ以外は、コミカルにとか、分ければ、
もうちょっと、まともに見れる映画になったのではないかなと、
そんな気がした。
このレビューは気に入りましたか? 6人の会員が気に入ったと投稿しています
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1980年代という設定は、満蒙開拓という国家による最大の暴力を抽象的に扱うためでしょうか。もっともそれは突出した事柄に過ぎず、現在でも弱い物が犠牲を払う国策という偉大な力に支配されていることも確かだと思います。
新藤兼人さんも恵まれた映画人生を歩んできた人では決してなく、独立プロの先駆者として底辺に這い蹲るような中で映画を製作してきた人だけに、支配する偉大な力に対する抵抗という面で、本作のシニカルな描写も説得力を持ちます。
舞台となるのは開拓村に残された一軒家のセットで、まるで小劇場の芝居でも見るかのような閉塞感が作品を覆います。この土地から離れるに離れられないユミエ(大竹しのぶ)とエミコ(伊藤歩)親子の切羽詰まった心情を代弁するものだと思いますね。
木の根を囓る生活でも、『小動物を食べるくらいなら死んだ方がまし』というユミエですが、爆発する彼女の最後の活力は体を売ることなんですね。「母」以来、新藤さんの作品は性こそが人間の生きる活力を表現するものという描写に執着していますが、本作もまた切羽詰まった状況の中で、人間が人間として平等になれる瞬間として性を捉えているんではないでしょうか。
この家を訪れる男たちは、小役人という言葉が相応しくないまでも、国家権力の傘の下に生きる男たちです。劇中では描写されない"奥の部屋"が、閉塞感漂うセットと相反して、彼女たちが優位な立場に立つ開放感を暗示させます。「男たちを食う」言い換えれば「国家権力を食う」ことが彼女たちにとっては重要で、人間として平等な立場になれる瞬間、あるいは支配者と被支配者が逆転する瞬間だったんじゃないでしょうか。生気を取り戻した彼女たちは生き生きと蘇り、それを表す描写が伊藤歩の全裸のシャワーシーンではないかと思います。
彼女たちが立ち去った家には、彼女たちが食った男たちよりもさらに上層部の役人たちが顔を揃えます。彼らとて国家権力の手先でしかないわけですが、起こった事件の本質を見つめない、火事後見物さながらの描写がシニカルなコミカルさを誘うんですね。
怪しげな毒牙を臭わせる大竹しのぶの演技も流石ですが、直接的に性を描写しないまでも、90歳を過ぎてもなお性への執着を臭わせる新藤さんの演出も異様な怪しさを漂わせます。
今年(2008年)の秋には、ご自身の人生に影響を与えた小学校教師をモデルとした最新作「花は散れども」が公開されるようですが、96歳にしてどのような映画を見せてくれるのか今から楽しみでもあったりしますね。
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ユーザーレビュー:27件
投稿日
2010/11/11
レビュアー
mitamita観た〜!!※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
大竹しのぶと新藤兼人監督のコンビと知って録画していた1本。
娘が溜め撮りを整理していて観ていないのではと急遽夜中の鑑賞。
90歳を超えての作品。
その制作意欲にまず驚かされる。
とてもそんな高齢の監督作品とは思えない。
国策による東北の開拓村が舞台。
夢と希望を持ち意気揚々と開拓村に入植した人々。
ところが荒れ放題の大地は不毛の大地と呼ぶにふさわしい代物だった。1軒1軒とこの地を去る同胞。
いまや残されたものは母と娘の二人きり。
売り払うもの、食べられるものが底をつき、生きるために選んだ親子のとった行動は・・・
人間が、女が、極限状態に置かれ選ぶ道・・・
麓の村から訪ねて来る男たち。
最初の男はこちらから声を掛けた。
目的がはっきりしていた。
男と母親が奥の部屋へ消える。
事を終えて戻る「客」にサービスと言って差し出す酒。
これを飲んで悶絶する男。
何事もなかったかのように「客」を外に運び出す母娘。
そして宴が始まる。
訪ねて来る電気工事のひと、水道局の人、工事現場の監督など次々に餌食にする母娘。
そして外に運び出される男たち。
惨殺シーンはなく、ことを終えて悶絶する男たちはある意味頂点に行ったままなので気分は最高!状態。
お話しはとても深く、開拓村の現状や、お国の対策の不備、母娘の置かれた飢餓状態と、とても語りつくせないようなものですが、囲炉裏のある部屋を中心にした場面のためか、全体を通して舞台劇を観ているように感じました。
それもコミカルな感じさえ覚えるほど。
大竹しのぶをはじめ、取り囲む男優陣も見事。
娘役の女優さんも淡々とした演技の中、全裸シーンと体当たりでよかったです。
「黒い家」での大竹しのぶの演技は鬼気迫るものがあり、少しくどい感じがしたんですが、こちらは怪演。
終盤娘と二人希望に燃えていた頃の「開拓村の唄」を歌うシーン。
絶叫とはこういうことだ、と思わせるような歌いっぷり。
全編通して「大竹しのぶ」に魅せられたような気がしました。
一緒に観ていた娘。
「こんな状態やったら、こうするしかないんかなぁ。でも殺す意味がわからん。何べんも来てもろたらその分はように目標額達成するやん。まあ、臨時収入のほうが多かったけどな。」
「おかんとうちやったらどや!絶対あかんわ!みんな引くわぁ」
「あほぅ、すてたもんちゃうで」
「おかんが足引っ張るて。うちばっかりやったらややで。儲けたお金独り占めして逃げたるわぁ」
なんちゅう会話や(><)
投稿日
2010/12/02
レビュアー
ヴィル※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
舞台風と言えば、いいんでしょうか。
ほとんどの映像が、一つの家の中だけで起こります。
大竹しのぶと伊藤歩の親子。
なんだか、開拓地として、新しい村があったものの、
その土地には、作物がならず、
この二人以外は、離村していった村。
電気も、水も止められたこの家で、
二人は、行動を起こす。
そこで、なけなしのお金で、近くのダム建設現場に電話をかけ、
男を売春目的に、おびき出す。
飯場の勤務だった、男は、この家に来て・・・
その後、電気屋、水道屋など、復旧に来た男が、
次々に姿を消すことになるが・・・
という、、ま、犯罪の映画というか、
貧困をテーマにした映画というか、
何か、趣旨がありそうなんだが、
よく意味がわからない。
少し前の映画だからということもあるのかもしれないけど、
作りもちゃちいし、演技もちゃちい。
唯一、大竹しのぶは、頑張ってはいるが、
ここまで、映画のつくりがちゃちいと、、、
舞台ならいいけど、映画ではななぁ。。。
もちろん、ほとんど一室しか舞台にしない映画というのは、
結構あって、面白いものも多く、
決して、舞台風なのが悪いとは思わないけど、
これは、それがちゃちさに直結してるところが、だめなんだと思う。
根本的には、描いているものの重さと、
コミカルさの配合の具合が悪いんだと思う。
犯罪の部分は、シリアスに描き、
それ以外は、コミカルにとか、分ければ、
もうちょっと、まともに見れる映画になったのではないかなと、
そんな気がした。
投稿日
2008/01/11
レビュアー
ケチケチ※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
1980年代という設定は、満蒙開拓という国家による最大の暴力を抽象的に扱うためでしょうか。もっともそれは突出した事柄に過ぎず、現在でも弱い物が犠牲を払う国策という偉大な力に支配されていることも確かだと思います。
新藤兼人さんも恵まれた映画人生を歩んできた人では決してなく、独立プロの先駆者として底辺に這い蹲るような中で映画を製作してきた人だけに、支配する偉大な力に対する抵抗という面で、本作のシニカルな描写も説得力を持ちます。
舞台となるのは開拓村に残された一軒家のセットで、まるで小劇場の芝居でも見るかのような閉塞感が作品を覆います。この土地から離れるに離れられないユミエ(大竹しのぶ)とエミコ(伊藤歩)親子の切羽詰まった心情を代弁するものだと思いますね。
木の根を囓る生活でも、『小動物を食べるくらいなら死んだ方がまし』というユミエですが、爆発する彼女の最後の活力は体を売ることなんですね。「母」以来、新藤さんの作品は性こそが人間の生きる活力を表現するものという描写に執着していますが、本作もまた切羽詰まった状況の中で、人間が人間として平等になれる瞬間として性を捉えているんではないでしょうか。
この家を訪れる男たちは、小役人という言葉が相応しくないまでも、国家権力の傘の下に生きる男たちです。劇中では描写されない"奥の部屋"が、閉塞感漂うセットと相反して、彼女たちが優位な立場に立つ開放感を暗示させます。「男たちを食う」言い換えれば「国家権力を食う」ことが彼女たちにとっては重要で、人間として平等な立場になれる瞬間、あるいは支配者と被支配者が逆転する瞬間だったんじゃないでしょうか。生気を取り戻した彼女たちは生き生きと蘇り、それを表す描写が伊藤歩の全裸のシャワーシーンではないかと思います。
彼女たちが立ち去った家には、彼女たちが食った男たちよりもさらに上層部の役人たちが顔を揃えます。彼らとて国家権力の手先でしかないわけですが、起こった事件の本質を見つめない、火事後見物さながらの描写がシニカルなコミカルさを誘うんですね。
怪しげな毒牙を臭わせる大竹しのぶの演技も流石ですが、直接的に性を描写しないまでも、90歳を過ぎてもなお性への執着を臭わせる新藤さんの演出も異様な怪しさを漂わせます。
今年(2008年)の秋には、ご自身の人生に影響を与えた小学校教師をモデルとした最新作「花は散れども」が公開されるようですが、96歳にしてどのような映画を見せてくれるのか今から楽しみでもあったりしますね。
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