午後の曳航 / サラ・マイルズ
午後の曳航
/ルイス・ジョン・カーリノ
平均評価点:
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全体の平均評価点: (5点満点)
(10)
解説・ストーリー
とある港町。海と船をこよなく愛する少年の前に現れたひとりの二等航海士。海の男を体現しているかのようなその人物に、少年は強い憧れを抱くが、未亡人である少年の母もまた彼に特別な感情を寄せていた。やがて、男と女の関係が出来上がり、二等航海士が陸に上がる決心をつけた時、少年の胸に奇妙な思いが湧き上がった……。三島由紀夫の原作を映画化した人間ドラマ。
とある港町。海と船をこよなく愛する少年の前に現れたひとりの二等航海士。海の男を体現しているかのようなその人物に、少年は強い憧れを抱くが、未亡人である少年の母もまた彼に特別な感情を寄せていた。やがて、男と女の関係が出来上がり、二等航海士が陸に上がる決心をつけた時、少年の胸に奇妙な思いが湧き上がった……。三島由紀夫の原作を映画化した人間ドラマ。
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「午後の曳航」 の解説・あらすじ・ストーリー
解説・ストーリー
とある港町。海と船をこよなく愛する少年の前に現れたひとりの二等航海士。海の男を体現しているかのようなその人物に、少年は強い憧れを抱くが、未亡人である少年の母もまた彼に特別な感情を寄せていた。やがて、男と女の関係が出来上がり、二等航海士が陸に上がる決心をつけた時、少年の胸に奇妙な思いが湧き上がった……。三島由紀夫の原作を映画化した人間ドラマ。
「午後の曳航」 の作品情報
「午後の曳航」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ
午後の曳航の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
105分 |
日本語 |
1:ドルビーデジタル/モノラル/英語
|
レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
OROR7024 |
2011年01月28日
|
在庫枚数 |
1位登録者: |
2位登録者: |
7枚
|
0人
|
0人
|
午後の曳航の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
105分 |
日本語 |
1:ドルビーデジタル/モノラル/英語
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レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
OROR7024 |
2011年01月28日
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在庫枚数 |
1位登録者: |
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ユーザーレビュー:10件
翻訳しきれなかった精神性。
投稿日:2012/08/20
レビュアー:ぴよさん
なんと評価しにくい映画だろう。破綻は無い。原作を崩してもいない。画面も悪くない。
なのになんだろう、何か映画として、芯が抜けているように感じるのだ。
理由の一つは、少年達の心理描写の軽さかもしれない。三島の原作では、思春期の少年が
或るベクトルの考えに囚われ、それを露とも疑わない様が濃密に描かれていた。大人達の常識的
な思惑が在る一方で、それが全く違う様相に見えている少年の世界がある。世界には表と裏があり
大人と子供が違う世界を見ているという、二つの世界の「乖離」が描かれていた。
この映画でもそれは描かれているのだが、単に「イケナイお遊び」的な扱いにされている感がある。
欧米の感覚では、「秘密結社のミニチュア版」くらいにとられたのかもしれない。だがここには、
三島自身が抜け出せなかったトラウマとコンプレックスが、率直に投影されていると思うのだ。
少年たちのストイックは、三島の精神を因数分解した一要素。自分の世界を頑なまでに
守るという「崇高」、たとえそれが偏ったものだとしても、邪な成熟よりは良しとしている。そして
崇高を汚すものに対しては、徹底的に反抗しようとする。
ジョナサンが部屋に閉じ込められるのは、三島自身が幼少期を祖母に軟禁されて育った事実
を投影している。彼は軟禁された部屋で、唯一の情報源である本によって、ある種の性癖を育
んでしまう。ジョナサンにとってのそれは、あの覗き穴だった。
『金閣寺』の溝口が母の不倫をトラウマとしたのに似て、ここでも少年は母の姿、そして性行為
を窃視する。しかしそれは、母が想像するような「穢らわしい」ものでは無かった。あの覗き穴は、
彼の純粋な好奇心の窓だった。その穴の先に少年は、理想の母の姿を期待したのだ。
エディプス・コンプレックスの複雑をも描いているのだが、父親「役」のクリス・クリストファーソン
が説得力に欠けた。それは原作では多く割かれていた彼の人物描写が、ほとんど削られて
しまったせいでもある。同性であり、かつてのジョナサンであったはずのジムの思いが、少年達と
これだけ乖離しているということが表現されなければならなかった。でないと、どれほどに少年達
が失望し、そして最後にあのような行為に至らねばならないかが、はっきりしないからだ。
ラスト、海を見渡せる丘は美しかった。男は少年達というタグボートによって、完璧なる海へ
曳航されたのだ。
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12人の会員が気に入ったと投稿しています
無機質で冷たい憎悪。
(ネタバレあり )
原作も未読、映画も初見なので、勝手にもっと官能的な、主人公が子どもでも熱い愛憎のドラマだと思いましたが、全然違いました。
男の子にとって母親というのは、異性にして同一体という胎児の記憶があり、また父親というのは生まれながら同性の他人格であり、男として生きるモデルとであると同時に、母親をめぐってのライバルであります。
母親が自分のものではなく別人格の他者というのを受け入れること、父親に対する憧れと反発の葛藤の中から、社会というものを知り自分を客観視するというのが、男の子の成長の過程です。
この少年、母親が自慰をしたり、男と交わってエクスタシーを感じるところを覗き見て、母親が自分を超越する聖なる存在ではなく、生身の女であることを知りますね、
冷静な観察のように見えて、内心本来自然な欲求であるセックスの衝動を嫌悪し、女性を憎悪する感情が芽生えても不思議ではありません。
セックスの衝動とならぶ、もう一つの衝動、暴力性は、あこがれが失望に変わり母親をめぐって愛が嫉妬に変わったとき、その矛先は父親に向かいます。
ノーマン・ベイツもそれでおかしくなりました。
しかしその憎悪は熱いものではなく、無機質で虚無的な冷たいもの。
愛と死に神秘性も畏れも感じず、暴力的な衝動を自覚しながら果たそうとするこのガキども、名前ではなく番号で呼び合い、観念的で生命をモノとして見る彼らにはぞっとさせられます。
原作では「14歳以下では、人を殺しても罰せられない」と言い放つ。 神戸の事件を予見してますね。
社会と乖離した自己完結の世界、現実と遊離した観念の世界では衝動をおさえるものも何もなくて、無力な人間は万能感を得られますが、なんとも虚しい。
ダグラス・スローカム({『 レイダース・失われたアーク 』や『 華麗なるギャツビー 』 }のキャメラによる美しい映像ですが、なんともつらい映画でした。
母親役のサラ・マイルズ。 『 ライアンの娘 』のヒロインですが、同作や『 アラビアのロレンス』『ドクトル・ジバゴ』などの脚本家、ロバート・ボルトの奥さんで、子どもも一人いました。
しかし共演したバート・レイノルズと不倫が原因で、この作品の前の年離婚しています。
その後ボルトとヨリを戻し1988年再婚、死別するまで続きました。
ジム役のクリス・クリストファーソン。
僕らの世代では、ジャニス・ジョプリンの「 ミー・アンド・ボビー・マギー 」を作曲したシンガー・ソングライターで、一時期リタ・クーリッジと結婚していたことで知られています。
俳優としては『 アリスの恋 』や『 ガルシアの首 』を初めとする作品で印象に残ってますが、出演作品のチョイスが悪いのか、その後はあまりパッとしなくなりましたね。
たとえば興行的な大失敗作『 天国の門 』の主演が響いたかな。
(ykk1976さんの映画会・第23回レビュー)
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9人の会員が気に入ったと投稿しています
血が泡立つ記憶
題名は思い出せないが、向田邦子がエッセイの中で三島由紀夫を「男らしさを執拗に誇示する姿が痛々しい」と評しているのを読んだ記憶がある。
(この通りの表現ではなかったが。)
目にする三島の姿・言動にどこか不自然を感じていた私には、思わず膝を叩く文章だった。
本来の自分(育ちが良く華奢な印象)を男性としては不完全と嫌い、矮躯を筋骨隆々に鍛え、「楯の会」なるものを組織して右翼活動を行った三島。
あの市ヶ谷のバルコニー、そして壮絶な最期に至るその生涯は、男性としての「完璧」を求めた結果だったのだろうか。
作品の多くを読んだ訳ではないが、こと本作に関しては少年の求める「完璧」が、三島本人のそれと重なるような気がするのである。
「彼が戻ったのは間違いだ。完璧をぶち壊してしまった。 (中 略) これは犯罪だ。キャメロンの罪科は帰ってきた事。」
少年にとって男は、あくまで海にいなくては「英雄(理想の男性)」たり得ない。
丘に上がる、ましてや結婚なぞ言語道断。(それも自分の母親とだ!)
彼はあくまで「英雄」として存在すべきで、「父」「ただの男」になってはいけないのだ。
少年達は絶望感から男を罰そうとし、同時に意固地な純粋さは「堕落」から救わねばならないと行動に移す。
被った皮の下の筋肉・臓器・心臓こそが、「完璧な存在」、「理想」なのだ。
チーフの冷静とエキセントリックに、青臭い少年期の本気がうかがえてゾッとさせられる。
一方、若い頃の理想に疲れた中年男が、次に求めたのは愛情と安定なのだ。
それぞれの「理想」は真逆なのだが年齢と共に移ろうのは当然で、しかし少年達はそれを許さない。
その背後には「完璧な理想的男性像」を追い求める三島の執念が見え隠れし、空恐ろしいものがある。
抜けるような青空、絶景の中の惨劇を想像させるラストには、正直救いようが無いほど滅入ってしまった。
1970年のその日、私はまだ小学生だった。
報道に接した時、血が泡立つような興奮をおぼえた。
文字通り、「子供」だったからだろう。
究極の自己犠牲で自分を理想的「英雄」とした三島だが、今となっては自己陶酔にしか受け取れないのは悲しい。
(これはあくまで個人的意見ですが。)
三島作品との出会いは「潮騒」、亡くなって間もなくだったと記憶している。
私はこれが一番好きだ。
当時、作者の激しさとの乖離に戸惑ったが、これが鎧を着ない素の氏なんじゃないかとも思うのだ。
但し、主人公ふたりの「男らしさ」「女らしさ」にはやはり「完璧」の匂いがしてしまう。
理想に縛られた窮屈な生涯だったんじゃないか…とは、いちファンの勝手な思い込みなのかも知れないが。
サラ・マイルズの蠱惑から目が離せない。
クリス・クリストファーソンはちょっと役不足な気が。
ジョナサン・カーンの「不完全」な美貌が皮肉に見えたのは、単に意地悪な鑑賞眼からだろうか。
もの知らずの勝手な解釈。どうかご笑納を。
(ykk1976さんの映画会・第23回)
このレビューは気に入りましたか?
8人の会員が気に入ったと投稿しています
この世はわからないことばかり
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
レビューを表示する
三島由紀夫の原作を読んだ時のような後味の悪さというか、なんとも言いようのない居心地の悪さはやはり映画からも感じます。
主人公のジョナ(ジョナサン・カーン)を含めた少年たちの無邪気さや無垢さを昇華させ、自分たちにとっては崇高な世界の秩序を取り戻そうとします。
「エディプスコンプレックス」とか少年少女が一度は通る道だとか、作品について語られる時に、言われるものですが、
わたしには、こんなに無垢で純粋であった瞬間は覚えていません。原作を初めて読んだのも、中学時代だったと思います。
ジョナは、父を亡くしており、美しい母アン(サラ・マイルズ)と小さな港町に暮らしています。
ジョナには、学校の学友と秘密結社とも言うべきグループを形成しており、ナンバー3と呼ばれています。
そのリーダーは、裕福で理想高い少年にして、思いやりや人間らしいやさしさを全く持ち合わせていない様子ですが、
グループに属する少年たちは、彼の深い影響下にあります。
ある日、ベル号という大きな船が入港し、母とジョナは二等航海士ジム・キャメロン(クリス・クリストファーソン)と出会います。
エディプスコンプレックスについて大いに語られる作品ですが、そもそも母親の部屋を覗く少年の気持ちがまったくわかりません。
男の子の気持ちはそんなものなんでしょうか。
異性の肉親を、自覚しない意識下でそのように思っていたとしても、現実には嫌悪感の方が先立つ気がします。
ましてや、母と男性の・・・オエッ。考えただけで肌が泡立ちます。
しかし、それを覗いていることで、母親と過ごす航海士ジムを完璧な男性と感じ、
力強さと男らしさだけ見せ、海へ戻るジムに心酔します。そして、ジムが普通の男性だと気づくと、彼への気持ちが憎悪にかわります。
やっぱり、それも理解できない。だからと言って、息子がいるのに、女女している母親の気持ちもわかりません。
わたしの感性が鈍いのか、男女の性差なのか、居心地の悪さばかり感じる作品です。
ただ、ラストの丘から出港する船を望む海へのシーンの美しいこと。
そこで行われていることが残酷であることが、その美しさをもっと高めているような気もします。
このレビューは気に入りましたか?
7人の会員が気に入ったと投稿しています
タナトスとエロス
投稿日:2012/08/20
レビュアー:さっちゃん
本作が三島由紀夫原作であることは知っていたので、ちょっとおっかなびっくりで鑑賞しました。うーん、原作を読んだことは無いし、小説と映画は別物と常々書いておりますが、どうしても三島由紀夫を意識してしまいそうです。
イギリスの寂しい海辺の町に未亡人の母親(サラ・マイルズ)と暮らす主人公の少年ジョナサン(ジョナサン・カーン)と機関の故障によりその町の港に立ち寄った貨物船ベル号の二等航海士ジム・キャメロン(クリス・クリストファーソン)との関係を描いた映画と要約はできますが、そこにジョナサンが通う中学校(?)の秘密クラブのメンバーが絡んで純粋なものを追及した三島美学の世界が展開されてということなのでしょうね。
どうも三島由紀夫という人とは(作家ではなく人間としての三島由紀夫という意味で)最初からいい出会いをしていないのであります。元々、SFやらミステリーなどが守備範囲だったこともあり彼の名前を知ったのが例の自衛隊籠城割腹事件のときという(計算してみたら中学生の頃ですね)最初から怖い人という印象を持ったのでした。その後、高校から大学くらいまでは読んでみようという気にならず、大分、大きくなってから「なでと皇(すめらぎ)は人となりしか」などという文章を読んで理解できる部分もあったりはしても、ちょっと苦手な人だったのです。
原作を知らないので蛮勇を奮って断定すると、頭の良すぎるガキは怖いというのが、まず頭に浮かんだ感想でした。頭が良いけれども経験に乏しい子供の思考は、どうしても観念論的な方向へ突っ走る傾向があり、純粋なもの、永遠の真理というようなものを追い求める思想は寛容のないものになりがちです。
ある種、タナトス的な美を求めているようにも感じました。それと対比するエロス的存在がジョナサンの母とジムとの関係として描かれているように思います。大人が作ったルールを全て否定し、絶対的なものを追及し、猫をあのように扱う行動を見ていると、変化を恐れ、いつまでも子供でいたいという幼い感情が見えてしまいます。一方の母親とジムは生きることを肯定し、変化を受け入れる大人の生き方と私には見えるのです。それを象徴するのが繰り返し描かれる彼らの愛の交歓でしょう。肉体的なものも含めて生を受け入れられるというのは大人の特権だと思うのです。
もしかすると文体で描写できる小説では受け取る印象も違ってくるのかもしれませんが、生身の人間が演じる映画ではリアルの要素が強すぎて、三島由紀夫の美学も、ある程度の忖度がなければ理解しにくいのかもしれません。
どうも三島由紀夫原作ということを意識し過ぎた感がありますが、たまには自分の考えと違った作品を観るのも刺激になります。多分、自分では借りなかったでしょうから。
(ykk1976さんの映画会:第23回)
このレビューは気に入りましたか?
6人の会員が気に入ったと投稿しています
ユーザーレビュー
翻訳しきれなかった精神性。
投稿日
2012/08/20
レビュアー
ぴよさん
なんと評価しにくい映画だろう。破綻は無い。原作を崩してもいない。画面も悪くない。
なのになんだろう、何か映画として、芯が抜けているように感じるのだ。
理由の一つは、少年達の心理描写の軽さかもしれない。三島の原作では、思春期の少年が
或るベクトルの考えに囚われ、それを露とも疑わない様が濃密に描かれていた。大人達の常識的
な思惑が在る一方で、それが全く違う様相に見えている少年の世界がある。世界には表と裏があり
大人と子供が違う世界を見ているという、二つの世界の「乖離」が描かれていた。
この映画でもそれは描かれているのだが、単に「イケナイお遊び」的な扱いにされている感がある。
欧米の感覚では、「秘密結社のミニチュア版」くらいにとられたのかもしれない。だがここには、
三島自身が抜け出せなかったトラウマとコンプレックスが、率直に投影されていると思うのだ。
少年たちのストイックは、三島の精神を因数分解した一要素。自分の世界を頑なまでに
守るという「崇高」、たとえそれが偏ったものだとしても、邪な成熟よりは良しとしている。そして
崇高を汚すものに対しては、徹底的に反抗しようとする。
ジョナサンが部屋に閉じ込められるのは、三島自身が幼少期を祖母に軟禁されて育った事実
を投影している。彼は軟禁された部屋で、唯一の情報源である本によって、ある種の性癖を育
んでしまう。ジョナサンにとってのそれは、あの覗き穴だった。
『金閣寺』の溝口が母の不倫をトラウマとしたのに似て、ここでも少年は母の姿、そして性行為
を窃視する。しかしそれは、母が想像するような「穢らわしい」ものでは無かった。あの覗き穴は、
彼の純粋な好奇心の窓だった。その穴の先に少年は、理想の母の姿を期待したのだ。
エディプス・コンプレックスの複雑をも描いているのだが、父親「役」のクリス・クリストファーソン
が説得力に欠けた。それは原作では多く割かれていた彼の人物描写が、ほとんど削られて
しまったせいでもある。同性であり、かつてのジョナサンであったはずのジムの思いが、少年達と
これだけ乖離しているということが表現されなければならなかった。でないと、どれほどに少年達
が失望し、そして最後にあのような行為に至らねばならないかが、はっきりしないからだ。
ラスト、海を見渡せる丘は美しかった。男は少年達というタグボートによって、完璧なる海へ
曳航されたのだ。
無機質で冷たい憎悪。
投稿日
2012/08/20
レビュアー
ロキュータス
(ネタバレあり )
原作も未読、映画も初見なので、勝手にもっと官能的な、主人公が子どもでも熱い愛憎のドラマだと思いましたが、全然違いました。
男の子にとって母親というのは、異性にして同一体という胎児の記憶があり、また父親というのは生まれながら同性の他人格であり、男として生きるモデルとであると同時に、母親をめぐってのライバルであります。
母親が自分のものではなく別人格の他者というのを受け入れること、父親に対する憧れと反発の葛藤の中から、社会というものを知り自分を客観視するというのが、男の子の成長の過程です。
この少年、母親が自慰をしたり、男と交わってエクスタシーを感じるところを覗き見て、母親が自分を超越する聖なる存在ではなく、生身の女であることを知りますね、
冷静な観察のように見えて、内心本来自然な欲求であるセックスの衝動を嫌悪し、女性を憎悪する感情が芽生えても不思議ではありません。
セックスの衝動とならぶ、もう一つの衝動、暴力性は、あこがれが失望に変わり母親をめぐって愛が嫉妬に変わったとき、その矛先は父親に向かいます。
ノーマン・ベイツもそれでおかしくなりました。
しかしその憎悪は熱いものではなく、無機質で虚無的な冷たいもの。
愛と死に神秘性も畏れも感じず、暴力的な衝動を自覚しながら果たそうとするこのガキども、名前ではなく番号で呼び合い、観念的で生命をモノとして見る彼らにはぞっとさせられます。
原作では「14歳以下では、人を殺しても罰せられない」と言い放つ。 神戸の事件を予見してますね。
社会と乖離した自己完結の世界、現実と遊離した観念の世界では衝動をおさえるものも何もなくて、無力な人間は万能感を得られますが、なんとも虚しい。
ダグラス・スローカム({『 レイダース・失われたアーク 』や『 華麗なるギャツビー 』 }のキャメラによる美しい映像ですが、なんともつらい映画でした。
母親役のサラ・マイルズ。 『 ライアンの娘 』のヒロインですが、同作や『 アラビアのロレンス』『ドクトル・ジバゴ』などの脚本家、ロバート・ボルトの奥さんで、子どもも一人いました。
しかし共演したバート・レイノルズと不倫が原因で、この作品の前の年離婚しています。
その後ボルトとヨリを戻し1988年再婚、死別するまで続きました。
ジム役のクリス・クリストファーソン。
僕らの世代では、ジャニス・ジョプリンの「 ミー・アンド・ボビー・マギー 」を作曲したシンガー・ソングライターで、一時期リタ・クーリッジと結婚していたことで知られています。
俳優としては『 アリスの恋 』や『 ガルシアの首 』を初めとする作品で印象に残ってますが、出演作品のチョイスが悪いのか、その後はあまりパッとしなくなりましたね。
たとえば興行的な大失敗作『 天国の門 』の主演が響いたかな。
(ykk1976さんの映画会・第23回レビュー)
血が泡立つ記憶
投稿日
2012/08/20
レビュアー
まりこ
題名は思い出せないが、向田邦子がエッセイの中で三島由紀夫を「男らしさを執拗に誇示する姿が痛々しい」と評しているのを読んだ記憶がある。
(この通りの表現ではなかったが。)
目にする三島の姿・言動にどこか不自然を感じていた私には、思わず膝を叩く文章だった。
本来の自分(育ちが良く華奢な印象)を男性としては不完全と嫌い、矮躯を筋骨隆々に鍛え、「楯の会」なるものを組織して右翼活動を行った三島。
あの市ヶ谷のバルコニー、そして壮絶な最期に至るその生涯は、男性としての「完璧」を求めた結果だったのだろうか。
作品の多くを読んだ訳ではないが、こと本作に関しては少年の求める「完璧」が、三島本人のそれと重なるような気がするのである。
「彼が戻ったのは間違いだ。完璧をぶち壊してしまった。 (中 略) これは犯罪だ。キャメロンの罪科は帰ってきた事。」
少年にとって男は、あくまで海にいなくては「英雄(理想の男性)」たり得ない。
丘に上がる、ましてや結婚なぞ言語道断。(それも自分の母親とだ!)
彼はあくまで「英雄」として存在すべきで、「父」「ただの男」になってはいけないのだ。
少年達は絶望感から男を罰そうとし、同時に意固地な純粋さは「堕落」から救わねばならないと行動に移す。
被った皮の下の筋肉・臓器・心臓こそが、「完璧な存在」、「理想」なのだ。
チーフの冷静とエキセントリックに、青臭い少年期の本気がうかがえてゾッとさせられる。
一方、若い頃の理想に疲れた中年男が、次に求めたのは愛情と安定なのだ。
それぞれの「理想」は真逆なのだが年齢と共に移ろうのは当然で、しかし少年達はそれを許さない。
その背後には「完璧な理想的男性像」を追い求める三島の執念が見え隠れし、空恐ろしいものがある。
抜けるような青空、絶景の中の惨劇を想像させるラストには、正直救いようが無いほど滅入ってしまった。
1970年のその日、私はまだ小学生だった。
報道に接した時、血が泡立つような興奮をおぼえた。
文字通り、「子供」だったからだろう。
究極の自己犠牲で自分を理想的「英雄」とした三島だが、今となっては自己陶酔にしか受け取れないのは悲しい。
(これはあくまで個人的意見ですが。)
三島作品との出会いは「潮騒」、亡くなって間もなくだったと記憶している。
私はこれが一番好きだ。
当時、作者の激しさとの乖離に戸惑ったが、これが鎧を着ない素の氏なんじゃないかとも思うのだ。
但し、主人公ふたりの「男らしさ」「女らしさ」にはやはり「完璧」の匂いがしてしまう。
理想に縛られた窮屈な生涯だったんじゃないか…とは、いちファンの勝手な思い込みなのかも知れないが。
サラ・マイルズの蠱惑から目が離せない。
クリス・クリストファーソンはちょっと役不足な気が。
ジョナサン・カーンの「不完全」な美貌が皮肉に見えたのは、単に意地悪な鑑賞眼からだろうか。
もの知らずの勝手な解釈。どうかご笑納を。
(ykk1976さんの映画会・第23回)
この世はわからないことばかり
投稿日
2012/08/20
レビュアー
ykk1976
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
レビューを表示する
三島由紀夫の原作を読んだ時のような後味の悪さというか、なんとも言いようのない居心地の悪さはやはり映画からも感じます。
主人公のジョナ(ジョナサン・カーン)を含めた少年たちの無邪気さや無垢さを昇華させ、自分たちにとっては崇高な世界の秩序を取り戻そうとします。
「エディプスコンプレックス」とか少年少女が一度は通る道だとか、作品について語られる時に、言われるものですが、
わたしには、こんなに無垢で純粋であった瞬間は覚えていません。原作を初めて読んだのも、中学時代だったと思います。
ジョナは、父を亡くしており、美しい母アン(サラ・マイルズ)と小さな港町に暮らしています。
ジョナには、学校の学友と秘密結社とも言うべきグループを形成しており、ナンバー3と呼ばれています。
そのリーダーは、裕福で理想高い少年にして、思いやりや人間らしいやさしさを全く持ち合わせていない様子ですが、
グループに属する少年たちは、彼の深い影響下にあります。
ある日、ベル号という大きな船が入港し、母とジョナは二等航海士ジム・キャメロン(クリス・クリストファーソン)と出会います。
エディプスコンプレックスについて大いに語られる作品ですが、そもそも母親の部屋を覗く少年の気持ちがまったくわかりません。
男の子の気持ちはそんなものなんでしょうか。
異性の肉親を、自覚しない意識下でそのように思っていたとしても、現実には嫌悪感の方が先立つ気がします。
ましてや、母と男性の・・・オエッ。考えただけで肌が泡立ちます。
しかし、それを覗いていることで、母親と過ごす航海士ジムを完璧な男性と感じ、
力強さと男らしさだけ見せ、海へ戻るジムに心酔します。そして、ジムが普通の男性だと気づくと、彼への気持ちが憎悪にかわります。
やっぱり、それも理解できない。だからと言って、息子がいるのに、女女している母親の気持ちもわかりません。
わたしの感性が鈍いのか、男女の性差なのか、居心地の悪さばかり感じる作品です。
ただ、ラストの丘から出港する船を望む海へのシーンの美しいこと。
そこで行われていることが残酷であることが、その美しさをもっと高めているような気もします。
タナトスとエロス
投稿日
2012/08/20
レビュアー
さっちゃん
本作が三島由紀夫原作であることは知っていたので、ちょっとおっかなびっくりで鑑賞しました。うーん、原作を読んだことは無いし、小説と映画は別物と常々書いておりますが、どうしても三島由紀夫を意識してしまいそうです。
イギリスの寂しい海辺の町に未亡人の母親(サラ・マイルズ)と暮らす主人公の少年ジョナサン(ジョナサン・カーン)と機関の故障によりその町の港に立ち寄った貨物船ベル号の二等航海士ジム・キャメロン(クリス・クリストファーソン)との関係を描いた映画と要約はできますが、そこにジョナサンが通う中学校(?)の秘密クラブのメンバーが絡んで純粋なものを追及した三島美学の世界が展開されてということなのでしょうね。
どうも三島由紀夫という人とは(作家ではなく人間としての三島由紀夫という意味で)最初からいい出会いをしていないのであります。元々、SFやらミステリーなどが守備範囲だったこともあり彼の名前を知ったのが例の自衛隊籠城割腹事件のときという(計算してみたら中学生の頃ですね)最初から怖い人という印象を持ったのでした。その後、高校から大学くらいまでは読んでみようという気にならず、大分、大きくなってから「なでと皇(すめらぎ)は人となりしか」などという文章を読んで理解できる部分もあったりはしても、ちょっと苦手な人だったのです。
原作を知らないので蛮勇を奮って断定すると、頭の良すぎるガキは怖いというのが、まず頭に浮かんだ感想でした。頭が良いけれども経験に乏しい子供の思考は、どうしても観念論的な方向へ突っ走る傾向があり、純粋なもの、永遠の真理というようなものを追い求める思想は寛容のないものになりがちです。
ある種、タナトス的な美を求めているようにも感じました。それと対比するエロス的存在がジョナサンの母とジムとの関係として描かれているように思います。大人が作ったルールを全て否定し、絶対的なものを追及し、猫をあのように扱う行動を見ていると、変化を恐れ、いつまでも子供でいたいという幼い感情が見えてしまいます。一方の母親とジムは生きることを肯定し、変化を受け入れる大人の生き方と私には見えるのです。それを象徴するのが繰り返し描かれる彼らの愛の交歓でしょう。肉体的なものも含めて生を受け入れられるというのは大人の特権だと思うのです。
もしかすると文体で描写できる小説では受け取る印象も違ってくるのかもしれませんが、生身の人間が演じる映画ではリアルの要素が強すぎて、三島由紀夫の美学も、ある程度の忖度がなければ理解しにくいのかもしれません。
どうも三島由紀夫原作ということを意識し過ぎた感がありますが、たまには自分の考えと違った作品を観るのも刺激になります。多分、自分では借りなかったでしょうから。
(ykk1976さんの映画会:第23回)
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