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吉田喜重監督が自らのオリジナルのシナリオを映画化した犯罪アクション。東京オリンピックに沸き立つ中、アメリカに歌の修行に行きたいと願うバンド青年・竜夫。彼は資金繰りのために偶然知り合った仲間と金庫破りを企てる。
製作年: |
1964年 |
---|---|
製作国: |
日本 |
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
93分 | 1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語 |
|
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
DA9905 | 2006年02月25日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
12枚 | 0人 | 0人 |
収録時間:
93分
字幕:
音声:
1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語
レイティング:
記番:
DA9905
レンタル開始日:
2006年02月25日
在庫枚数
12枚
1位登録者:
0人
2位登録者:
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DVD
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
93分 | 1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語 |
|
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
DA9905 | 2006年02月25日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
12枚 | 0人 | 0人 |
収録時間:
93分
字幕:
音声:
1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語
レイティング:
記番:
DA9905
レンタル開始日:
2006年02月25日
在庫枚数
12枚
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(ネタバレ御免)全編を通じて、足元の定まらないイヤな感覚が続く作品だ。後期の吉田喜重スタイルとはまるで異質な、荒々しいアクション演出になっている。
まさに東京オリンピックが始まろうとする1964年。バンドボーイの竜夫は、ヤクザな兄貴分の浅川・郷田と共に、特殊浴場の売り上げ金を強奪する。逃亡中に警官を殺してしまうと、仲間割れも誘発して、ついには浅川の恋人ヤスエとの、二人だけの逃避行になってしまう。竜夫の唯一の夢は、渡米してロックシンガーになること。オリンピック狂想曲のドサクサに紛れて、なんとか日本を脱出しようとあがく竜夫だったが、徐々に追い詰められていくのだった…。
とにかくこの竜夫(鈴木やすし)という男が、見苦しいことこのうえない。これほど卑小で、臆病で、イライラさせるキャラはあまり見たことがない。また、自分を犠牲にしてまで竜夫を逃がそうとするヤスエ(桑野みゆき)にしても、その行動規範がよく分からない。この人物達の落ち着かなさは何だろうか。
山本直樹氏(映画史研究)は「これは境界を描いた映画だ」と言う。東京オリンピックという時代の境界、日本とアメリカという国家の境界、一般社会と犯罪を犯した者の境界、そして、正常な精神と狂気の境界。(さらに言うなら、喜重が松竹を離れる前後という境界も、後から加わる)この落ち着かなさは、観る者がその境界に立たされて、どちらに傾くとも決定づけられない感覚によるものなのか。
この映画には、松竹によって削られた「本当のラストシーン」が在る。それは、発狂した竜夫が「俺はアメリカ人だ〜イエ〜イ♪」と精神科病院で踊り狂う、というシークエンスだったらしい。
これを松竹がイカンと判断した基準は、(今ならよく分かるが)当時にしてそんなに問題だったのか、それとも問題は表現自体では無かったのか。詳しい経緯までは分からない。
岡本太郎氏の起用も、私は時代の変革を象徴させるという肯定的な意図があると思ったのだが、むしろ喜重には、芸術家たる岡本が国家イベントである大阪万博のデザインプロデューサーに就任するということを、やや皮肉る意図があったのだという。しかし同時に武満徹の音を使ったことも彼の意思だとすれば、喜重自身の思惑が境界で揺らいでいるとも感じてしまうのだが。
カージャックしたラジオ中継車の中から、「あばよ!祖国ニッポーン!」と叫びながら、なおも脱出出来ずに日本に在り続ける竜夫の姿は、日本人の曖昧さが生み出す様々な矛盾と重なっても見える。喜重は、そんな日本人を皮肉っていたのか、それとも自らもそうであることを含めて、悲哀を感じていたのだろうか。
しかし何しろ、どこにも落ち着くことは無い。
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ユーザーレビュー:2件
投稿日
2009/02/26
レビュアー
ぴよさん※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
(ネタバレ御免)全編を通じて、足元の定まらないイヤな感覚が続く作品だ。後期の吉田喜重スタイルとはまるで異質な、荒々しいアクション演出になっている。
まさに東京オリンピックが始まろうとする1964年。バンドボーイの竜夫は、ヤクザな兄貴分の浅川・郷田と共に、特殊浴場の売り上げ金を強奪する。逃亡中に警官を殺してしまうと、仲間割れも誘発して、ついには浅川の恋人ヤスエとの、二人だけの逃避行になってしまう。竜夫の唯一の夢は、渡米してロックシンガーになること。オリンピック狂想曲のドサクサに紛れて、なんとか日本を脱出しようとあがく竜夫だったが、徐々に追い詰められていくのだった…。
とにかくこの竜夫(鈴木やすし)という男が、見苦しいことこのうえない。これほど卑小で、臆病で、イライラさせるキャラはあまり見たことがない。また、自分を犠牲にしてまで竜夫を逃がそうとするヤスエ(桑野みゆき)にしても、その行動規範がよく分からない。この人物達の落ち着かなさは何だろうか。
山本直樹氏(映画史研究)は「これは境界を描いた映画だ」と言う。東京オリンピックという時代の境界、日本とアメリカという国家の境界、一般社会と犯罪を犯した者の境界、そして、正常な精神と狂気の境界。(さらに言うなら、喜重が松竹を離れる前後という境界も、後から加わる)この落ち着かなさは、観る者がその境界に立たされて、どちらに傾くとも決定づけられない感覚によるものなのか。
この映画には、松竹によって削られた「本当のラストシーン」が在る。それは、発狂した竜夫が「俺はアメリカ人だ〜イエ〜イ♪」と精神科病院で踊り狂う、というシークエンスだったらしい。
これを松竹がイカンと判断した基準は、(今ならよく分かるが)当時にしてそんなに問題だったのか、それとも問題は表現自体では無かったのか。詳しい経緯までは分からない。
岡本太郎氏の起用も、私は時代の変革を象徴させるという肯定的な意図があると思ったのだが、むしろ喜重には、芸術家たる岡本が国家イベントである大阪万博のデザインプロデューサーに就任するということを、やや皮肉る意図があったのだという。しかし同時に武満徹の音を使ったことも彼の意思だとすれば、喜重自身の思惑が境界で揺らいでいるとも感じてしまうのだが。
カージャックしたラジオ中継車の中から、「あばよ!祖国ニッポーン!」と叫びながら、なおも脱出出来ずに日本に在り続ける竜夫の姿は、日本人の曖昧さが生み出す様々な矛盾と重なっても見える。喜重は、そんな日本人を皮肉っていたのか、それとも自らもそうであることを含めて、悲哀を感じていたのだろうか。
しかし何しろ、どこにも落ち着くことは無い。
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