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十七人の忍者 / 里見浩太朗

十七人の忍者 /長谷川安人

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解説・ストーリー

『柳生武芸帳 片目水月の剣』の長谷川安人監督が手掛けた忍者映画。駿府城内に隠された駿河大納言忠長卿の謀反連判状を狙う伊賀忍者17人が、根来忍者が迎え討つ中で任務を遂行すべく繰り広げる30日間の激闘を描く。里見浩太郎ほか出演。

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「十七人の忍者」 の解説・あらすじ・ストーリー

解説・ストーリー

『柳生武芸帳 片目水月の剣』の長谷川安人監督が手掛けた忍者映画。駿府城内に隠された駿河大納言忠長卿の謀反連判状を狙う伊賀忍者17人が、根来忍者が迎え討つ中で任務を遂行すべく繰り広げる30日間の激闘を描く。里見浩太郎ほか出演。

「十七人の忍者」 の作品情報

作品情報

製作年:

1963年

製作国:

日本

「十七人の忍者」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ

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R-18

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タイトル以上

CD

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1〜 5件 / 全6件

隠密にだって「名前」があるんだよ。 ネタバレ

投稿日:2009/04/26 レビュアー:ぴよさん

※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。

レビューを表示する


二代将軍秀忠の死期迫る中、家光の実弟・忠長の謀反を察知した老中・阿部豊後守。謀反の動かぬ証拠となる「連判状」を手中にせんと、伊賀三ノ組頭領・甚伍左(大友柳太郎)含む十七人の忍者が、駿府城へ放たれる。

公儀隠密たる忍者達が戦闘員ではなく、あくまで秘密工作員として描かれる。彼らの使命は戦闘では無く、城に侵入して重要書類を盗み出すこと、それだけだ。
 その意味で、この作品最初のクライマックスは殺陣では無く、防御の盲点をついた城への侵入シーンにある。難攻不落の城壁を、わざわざかさばる専用の道具を使って「石落とし」まで辿り着き、底板に工作して脇の狭間窓に取りつく…そんな、普通の映画なら丸々カットされそうな工程が、延々と映し出されてゆくのだ。忍者が「訓練された、ただの人間」に過ぎないことが、このシークエンスで知れる。それ以外の表現が案外甘い描写だったりするだけに、際立って見える。

また冒頭、駿府への進入の手筈を、甚伍左が一同に伝えるシーンがあって、ここで十六人の忍者一人一人の名前が呼ばれるのが、珍しい。なおかつ、これまでに死んだ者達への追悼の言葉までもが述べられる。名も無き存在として扱われるはずの忍者達に、つかの間、人間としての尊厳を与えているのだ。
しかし密命に就いた瞬間から彼らは一転捨て駒となり、ばたばたと犬死してゆく。この落差が非情さをより際立たせる。

駿府城を防護するのは根来の残党、才賀孫九郎(雑賀では無い、紛らわしい)彼は忍者の心理を読んだ陣立てで、侵入を試みて来る十六人の公儀隠密を一人一人捕縛し、殺してゆく。しかし成果を上げているにも関わらず、城方の武士はそれが面白く無く、評価を渋る。それでもただ一人、智謀を尽くして使命を全うしようとする才賀。遂には、頭領である甚伍左も捕らえ、勝負は決したと思われるのだが…。

才賀を近衛十四郎、甚伍左を大友柳太朗と、両巨頭を並び立てておきながら、なんと二人による殺陣は、ほぼ無い。肉体的殺陣ではなく、牢に黙して繋がれる大友と、戦果を上げながらも実感を得られず焦る近衛の「精神的殺陣」が、この映画の妙味となる。この戦い、真の勝者は誰なのか。


こういうハードな忍者映画を観る度に、つくづくショー・コスギが流布したニンジャ・イメージの罪深さを思う。あれもニンジャ、これも忍者、差別するわけでは無いが、忍者≒超能力者とされてしまったことには、忸怩たるものがある。 

…ま、好きなんだけどさ。伊賀の影丸とかも。




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(1vs16)vs ネタバレ

投稿日:2009/03/14 レビュアー:kobarou

※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。

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 六十年代半ばに狂い咲いた東映集団抗争時代劇といえば、工藤栄一の『十三人の刺客』がその代名詞となっている。また山内鉄也のデビュー作『忍者狩り』はそのカルト的一作としてしられている。この形式は単発大作化されてのちのち延命するとはいえ、プログラム・ピクチャとしての寿命は短かった。直後の任侠映画の隆盛に覇権をうばわれるのだ。
 この東映集団抗争時代劇は、日本映画史のなかでみれば、黒澤明が主導した反チャンバラ的、リアルな立ち廻りをもつ時代劇の、チャンバラ映画の本家東映が生き残りをかけた試行錯誤のリアクションであったろう。もっとも、リアルな立ち廻りもべつなチャンバラであり、もうひとつの様式であるわけだが、その映像的飽和点、その圧倒的なダイナミズムは、東宝の岡本喜八『斬る』や『大菩薩峠』に、その美学的錬成とその後のスペクタクル的解体は、大映の三隅研次『斬る』や『子連れ狼』シリーズでみることができる。この流れでみれば、東映の伝統的チャンバラ精神は、任侠映画のラストの殴り込みへ、いくぶんリアルにあるいみ甘美に保存されたというべきであろう。プログラム・ピクチャとしての東映集団抗争時代劇は、そのいみでは徒花であった。だがその血の集団抗争の生き残りの論理学は種子をかくし、70年代、任侠死したのちの仁義なき実録路線のなかで再装填され、みごと炸裂することになる。

 さて本作は、東映集団時代劇の傑作中の傑作だとおもう。『忍者狩り』のような東映らしからぬ(いってみれば大映的)シャープで鮮烈な映像=音響ではない。だが『十三人の刺客』をはるかにこえ簡潔に練り込まれた脚本がともかくすばらしいのだ。池上金男の最高傑作なのではないか。その脚本を長谷川安人が奇を衒うことなく丹念に映像化している。そこがいい。
 十五人の伊賀忍者の頭目である大友柳太郎の「柔」と「黙」にたいし、たったひとりの根来忍者の生き残り近衛十四郎が「剛」と「饒」で対峙する。近衛は多勢の侍を指揮する権限をえているとはいえ、しょせんは臨時雇用の差別される忍者でしかない。敵の伊賀忍者をひとりずつ片付けてゆくうちに、着実に成果をあげるごとに、じぶんの重用度が減ってゆく現実をおもいしらされる。敵は残るひとりとなったとき、かれは得意の絶頂と、かつてない不安に襲われることになる。いや伊賀ものすべてを片付けたと豪語した瞬間、かれはじぶんの失策をおもいしらされ奈落につきおとされるのだ。それでも最後までがんと戦い抜く。みごとなキャラクタリゼーションというほかない。『忍者狩り』での雇われ浪人もの、忍者ひとりを斬るためには疑わしき十人を斬るべし、罪なき子どもも容赦なく囮につかうべしという復讐のニヒリズムが強烈であったが、それをもうわまわる存在感だ(この作の難点は敵役である天津敏の造形であろう。かれひきいる公儀隠密が弱すぎる)。
 この敵の裏をかいてくる近衛の、さらに裏をかく智者、配下を容赦なく捨て駒につかう、もっとも残酷な男が大友柳太郎だ。れいのごとく滑舌のまわらぬゆるやかなセリフが、かれの寡黙な決意を体してみごとにいきている。そのかれがこの死の任務のなかで、任務を果たしつついまひとつの祈願をこめていたのだという、映画のラストは絶品である。一対十六の忍者の死闘はじつは、十七対権力者との目にみえぬ闘争でもあったのだ。それは歴史の外に埋もれること、隠れることである。というならまさしく忍者の本分というべきか。それがどんな生き残りの論理であったか、佇まいの風景であったかは、ぜひご覧いただきたい。

 ダムダムさんレビューに補足させていただくなら、非侍的な身分集団、かりに侍であったとしてもそれを仮の姿にしている異能者たちを「忍者」として現代に蘇生させたのは山田風太郎の独創的な忍法帖でした。六十年代の忍者映画はおおかれすくなかれ風太郎の奇想的成果によっている(根来を「忍者」とする造形は『伊賀忍法帖』の妖術をつかう根来衆などにみられる)。戦国時代後期には鉄砲集団の職能者は足軽として組織され、徳川の平和の時代には鉄砲は剣の下位おかれた。たしか本作でも、侍の手下を減らされた根来出の近衛が、蔑視される足軽衆を巧みに配置して対抗するなんていう展開があったと記憶しています。
 本作は詰め将棋のような知的スリルにあふれつつも人物本位のみごとな脚本です。プログラム・ピクチャとくゆうの傷はあり、個人的にはヒロイン三島ゆり子さんはどうだろう(近衛の拷問責めにあいます。70年代のエログロにはなりませんが)とおもってしまうのですが、そんなわが狭量は近衛vs大友の圧倒的な対決で昇華される。ふたりの駆け引き、演技だけでもいつかもういちどみてみたい、そう記憶に刻まれた一作です。

 


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十七人、各々の責務を全うしろ! 組織の歯車となれっ!

投稿日:2015/12/14 レビュアー:伝衛門

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陳腐としか言いようがないのですが…

投稿日:2008/05/22 レビュアー:ダムダム

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やはり傑作です

投稿日:2009/04/04 レビュアー:シノピリカ

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ユーザーレビュー

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ユーザーレビュー:6件

隠密にだって「名前」があるんだよ。

投稿日

2009/04/26

レビュアー

ぴよさん

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二代将軍秀忠の死期迫る中、家光の実弟・忠長の謀反を察知した老中・阿部豊後守。謀反の動かぬ証拠となる「連判状」を手中にせんと、伊賀三ノ組頭領・甚伍左(大友柳太郎)含む十七人の忍者が、駿府城へ放たれる。

公儀隠密たる忍者達が戦闘員ではなく、あくまで秘密工作員として描かれる。彼らの使命は戦闘では無く、城に侵入して重要書類を盗み出すこと、それだけだ。
 その意味で、この作品最初のクライマックスは殺陣では無く、防御の盲点をついた城への侵入シーンにある。難攻不落の城壁を、わざわざかさばる専用の道具を使って「石落とし」まで辿り着き、底板に工作して脇の狭間窓に取りつく…そんな、普通の映画なら丸々カットされそうな工程が、延々と映し出されてゆくのだ。忍者が「訓練された、ただの人間」に過ぎないことが、このシークエンスで知れる。それ以外の表現が案外甘い描写だったりするだけに、際立って見える。

また冒頭、駿府への進入の手筈を、甚伍左が一同に伝えるシーンがあって、ここで十六人の忍者一人一人の名前が呼ばれるのが、珍しい。なおかつ、これまでに死んだ者達への追悼の言葉までもが述べられる。名も無き存在として扱われるはずの忍者達に、つかの間、人間としての尊厳を与えているのだ。
しかし密命に就いた瞬間から彼らは一転捨て駒となり、ばたばたと犬死してゆく。この落差が非情さをより際立たせる。

駿府城を防護するのは根来の残党、才賀孫九郎(雑賀では無い、紛らわしい)彼は忍者の心理を読んだ陣立てで、侵入を試みて来る十六人の公儀隠密を一人一人捕縛し、殺してゆく。しかし成果を上げているにも関わらず、城方の武士はそれが面白く無く、評価を渋る。それでもただ一人、智謀を尽くして使命を全うしようとする才賀。遂には、頭領である甚伍左も捕らえ、勝負は決したと思われるのだが…。

才賀を近衛十四郎、甚伍左を大友柳太朗と、両巨頭を並び立てておきながら、なんと二人による殺陣は、ほぼ無い。肉体的殺陣ではなく、牢に黙して繋がれる大友と、戦果を上げながらも実感を得られず焦る近衛の「精神的殺陣」が、この映画の妙味となる。この戦い、真の勝者は誰なのか。


こういうハードな忍者映画を観る度に、つくづくショー・コスギが流布したニンジャ・イメージの罪深さを思う。あれもニンジャ、これも忍者、差別するわけでは無いが、忍者≒超能力者とされてしまったことには、忸怩たるものがある。 

…ま、好きなんだけどさ。伊賀の影丸とかも。




(1vs16)vs

投稿日

2009/03/14

レビュアー

kobarou

※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。

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 六十年代半ばに狂い咲いた東映集団抗争時代劇といえば、工藤栄一の『十三人の刺客』がその代名詞となっている。また山内鉄也のデビュー作『忍者狩り』はそのカルト的一作としてしられている。この形式は単発大作化されてのちのち延命するとはいえ、プログラム・ピクチャとしての寿命は短かった。直後の任侠映画の隆盛に覇権をうばわれるのだ。
 この東映集団抗争時代劇は、日本映画史のなかでみれば、黒澤明が主導した反チャンバラ的、リアルな立ち廻りをもつ時代劇の、チャンバラ映画の本家東映が生き残りをかけた試行錯誤のリアクションであったろう。もっとも、リアルな立ち廻りもべつなチャンバラであり、もうひとつの様式であるわけだが、その映像的飽和点、その圧倒的なダイナミズムは、東宝の岡本喜八『斬る』や『大菩薩峠』に、その美学的錬成とその後のスペクタクル的解体は、大映の三隅研次『斬る』や『子連れ狼』シリーズでみることができる。この流れでみれば、東映の伝統的チャンバラ精神は、任侠映画のラストの殴り込みへ、いくぶんリアルにあるいみ甘美に保存されたというべきであろう。プログラム・ピクチャとしての東映集団抗争時代劇は、そのいみでは徒花であった。だがその血の集団抗争の生き残りの論理学は種子をかくし、70年代、任侠死したのちの仁義なき実録路線のなかで再装填され、みごと炸裂することになる。

 さて本作は、東映集団時代劇の傑作中の傑作だとおもう。『忍者狩り』のような東映らしからぬ(いってみれば大映的)シャープで鮮烈な映像=音響ではない。だが『十三人の刺客』をはるかにこえ簡潔に練り込まれた脚本がともかくすばらしいのだ。池上金男の最高傑作なのではないか。その脚本を長谷川安人が奇を衒うことなく丹念に映像化している。そこがいい。
 十五人の伊賀忍者の頭目である大友柳太郎の「柔」と「黙」にたいし、たったひとりの根来忍者の生き残り近衛十四郎が「剛」と「饒」で対峙する。近衛は多勢の侍を指揮する権限をえているとはいえ、しょせんは臨時雇用の差別される忍者でしかない。敵の伊賀忍者をひとりずつ片付けてゆくうちに、着実に成果をあげるごとに、じぶんの重用度が減ってゆく現実をおもいしらされる。敵は残るひとりとなったとき、かれは得意の絶頂と、かつてない不安に襲われることになる。いや伊賀ものすべてを片付けたと豪語した瞬間、かれはじぶんの失策をおもいしらされ奈落につきおとされるのだ。それでも最後までがんと戦い抜く。みごとなキャラクタリゼーションというほかない。『忍者狩り』での雇われ浪人もの、忍者ひとりを斬るためには疑わしき十人を斬るべし、罪なき子どもも容赦なく囮につかうべしという復讐のニヒリズムが強烈であったが、それをもうわまわる存在感だ(この作の難点は敵役である天津敏の造形であろう。かれひきいる公儀隠密が弱すぎる)。
 この敵の裏をかいてくる近衛の、さらに裏をかく智者、配下を容赦なく捨て駒につかう、もっとも残酷な男が大友柳太郎だ。れいのごとく滑舌のまわらぬゆるやかなセリフが、かれの寡黙な決意を体してみごとにいきている。そのかれがこの死の任務のなかで、任務を果たしつついまひとつの祈願をこめていたのだという、映画のラストは絶品である。一対十六の忍者の死闘はじつは、十七対権力者との目にみえぬ闘争でもあったのだ。それは歴史の外に埋もれること、隠れることである。というならまさしく忍者の本分というべきか。それがどんな生き残りの論理であったか、佇まいの風景であったかは、ぜひご覧いただきたい。

 ダムダムさんレビューに補足させていただくなら、非侍的な身分集団、かりに侍であったとしてもそれを仮の姿にしている異能者たちを「忍者」として現代に蘇生させたのは山田風太郎の独創的な忍法帖でした。六十年代の忍者映画はおおかれすくなかれ風太郎の奇想的成果によっている(根来を「忍者」とする造形は『伊賀忍法帖』の妖術をつかう根来衆などにみられる)。戦国時代後期には鉄砲集団の職能者は足軽として組織され、徳川の平和の時代には鉄砲は剣の下位おかれた。たしか本作でも、侍の手下を減らされた根来出の近衛が、蔑視される足軽衆を巧みに配置して対抗するなんていう展開があったと記憶しています。
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投稿日

2015/12/14

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伝衛門

陳腐としか言いようがないのですが…

投稿日

2008/05/22

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やはり傑作です

投稿日

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