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監督・ばんざい! / ビートたけし

監督・ばんざい! /北野武

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旧作

お届け率:100%

解説・ストーリー

 北野武監督が脚本・編集・主演も兼ねて映画への想いを凝縮した異色コメディ。ひとりの映画監督がお得意のギャング映画を封印、様々なジャンルの作品に挑むもののことごとく頓挫を繰り返していくさまを、巨匠へのオマージュや自虐的ギャグなどを織り交ぜ奇想天外に描く。ギャング映画を得意とする映画監督キタノ・タケシ。彼はある時、“ギャング映画は二度と撮らない”と宣言してしまい、これまで撮らなかったタイプの映画に挑戦することに。そして、片っ端から色々なジャンルに挑むが、いずれも中断に追い込まれる…。

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「監督・ばんざい!」 の解説・あらすじ・ストーリー

解説・ストーリー

 北野武監督が脚本・編集・主演も兼ねて映画への想いを凝縮した異色コメディ。ひとりの映画監督がお得意のギャング映画を封印、様々なジャンルの作品に挑むもののことごとく頓挫を繰り返していくさまを、巨匠へのオマージュや自虐的ギャグなどを織り交ぜ奇想天外に描く。ギャング映画を得意とする映画監督キタノ・タケシ。彼はある時、“ギャング映画は二度と撮らない”と宣言してしまい、これまで撮らなかったタイプの映画に挑戦することに。そして、片っ端から色々なジャンルに挑むが、いずれも中断に追い込まれる…。

「監督・ばんざい!」 の作品情報

作品情報

製作年:

2007年

製作国:

日本

「監督・ばんざい!」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ

TSUTAYAだから可能な圧倒的作品数!!

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洋画・邦画

35,500
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国内ドラマも一部含まれております

国内・海外ドラマ

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アニメ

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R-18

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CD

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1〜 5件 / 全86件

三部作なんですか ネタバレ

投稿日:2007/11/17 レビュアー:裸足のラヴァース

※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。

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さて パロールさんの大絶賛がドカーンと最初にあって 勝王さんも おおむね誉めている作品なので 後に続くレヴュアーは言いにくそうといいますか こんなものまったくつまらんって言いずらいと思いますみたいな雰囲気があったりして 面白いんですが つまらんとじゃんじゃん大きな声で言いましょうよ 実際 そうゆうふううに作ってあるんですから笑

ボク朕は「タケシス」は大絶賛で 去年の邦画ナンバー1ですね確か あれ一昨年だったかな忘れた それでこちらはとゆうと 果たしてこんなもんを 肯定していいんだろうかと疑問を感じちゃったりするんですが とりあえず今年の邦画ナンバー3には入れたいと思っています<<わあい 誉めちゃったぞう しらないよう 「監督ばんざい」からしたら実際 「タケシス」がいかに理知的に見えてくることでしょう この何かを対応させるってことが肝ですね 勝王さんが述べてます映画秘宝のインタヴューを知らなかったので これが三部作の二作目だと知って ちょっと納得しましたね なるほどそれなら いまどきの三部作映画の体裁を持ってきてるんだから 深慮遠謀なシネマなんだと納得 スケールがでかいんですね 

それにしても吉田喜重みたいな反映画で 自己言及シネマを立て続けに二本も撮ってしまうなんて いったいなんなのでしょうねこれは自分の映画観のぶち壊しであると共に 旧態然とした映画界 映画表現 そしてそれに反映してるであろう 現実社会に対する 強い危機意識 抵抗があるのでしょうか ただの馬鹿映画ではない ニヒリスチックを感じますけどね

さて この映画でボクが好きな細部といいますか 気にいってるのは なんと言っても 鈴木杏のぬいぐるみみたいなアヒルと もちろんブルーのたけちゃん人形ですね 無茶苦茶な内容のお話なのに こんなオブジェが常に楽しませてくれます 「タケシス」におけるビートたけしの背中のように 奇妙にリアリティーがあって 映画内における異物感が際立ちます アヒルはともかく たけちゃん人形は謎ですね あれはなんなのでしょう

「タケシス」は二人のタケシが 鏡像関係をなしているのであり二人の人物が映画内を徘徊する訳ですが こちらでは武じゃないタケシがたけちゃん人形と一緒にフレームに収まっているわけであり ヘーゲルの自己疎外じゃないですけど 自己から飛び出たものが当然映画ですから そこに平気で存在するのでしょうか ずうずうしくやっかいなそれは映画の中の生き物なのです このもてあますもの もてあそばれる物は すでに多くの鏡像関係・分身を描くシネマ群を軽く追い抜いていく 茶化してしまう新しい視点なのではないでしょうか 自己省察自己破壊映画がすでに廃棄される予感をこのたけちゃん人形に感じたりするわけでさて 三作目とやらが猛烈に楽しみなのですが あっさり企画は断念 ホラー映画が撮られちゃったりするかもしれません 毎年一作どんな映画でもいいから たけちゃんには撮ってもらいたいのです   

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神は死んだ・・・ ネタバレ

投稿日:2007/12/08 レビュアー:こんちゃん

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 映画監督・北野タケシよりも、ボードヴィリアン・ビートたけしが前面に出てきているような印象です。
 わかる人には、わかるのかもしれませんが、まだまだ未熟な私には、この作品の良さはよくはわかりませんでした。もともと。北野たけしは、映画監督として誰かに認めて欲しいとか思っていたわけではなく、好き勝手にやっていたら、たまたまそのひらめきを理解できる審査員がベネチアにいたんじゃないかと思うのです。(金獅子賞を取ったことが良かったのか、悪かったのか・・・・)
 彼の作品を全部観ているわけではないので、分析なんて偉そうなことはできませんが、自己陶酔だったり、自分の中で立脚していた価値観の破壊だったり、誰かに何かを訴えると言うよりも、非常に自分に対して問いかけている姿勢が見受けられるような気がします。

 作品に一貫性は無いですよね。「菊次郎の夏」で、ほのぼのとした郷愁を描いたと思ったら、「座頭市」では、斬新なリメイクでエンターテインメントもこなせるところを見せますし、「座頭市」を観て、面白いと思った観客を「TAKESHIS'」で、混乱の極致に陥れるし・・・。

 この作品が、前宣伝で言う「ウルトラ・バラエティ・ムービー」と言うほど、面白いかと言えば、それほど面白くは無いと思うのです。キャストの面々がプレミアで言っていたように「腹を抱えて笑う」と言うようなシーンはありませんよね。
 「笑い」というのは、非常に微妙な物であって、計算して人を笑わせると言うことはめちゃくちゃ難しいのです。だから、ら笑いを評価するということも、とても難しいのですが、ビートたけしの笑いは、基本的には「ばかばかしさ」なのだと思っています。そのばかばかしい話とギャグを、絶妙な間で披露するものだから(そう言う意味での天才だと思います。あとはレオナルド熊ね・・・)ビートたけしは、あれほど受けて、なおかつその後も生き残れているのです。
 その「ばかばかしさ」を映像化しているのかなと、想像していたのですが、どうも違うようです。
 「バイオレンス映画はもう作らない」と宣言したことによって、オムニバス的に羅列されるショートストーリーは、「監督」と言う存在に対してのアンチテーゼでもあるのか、徹底的にキタノタケシを揶揄ってこき下ろします。その一つ一つは、面白いと言えば面白いのですが、抱腹絶倒と言うほどではないのです。小ネタでクスリとさせる程度でしょうか。
 「赤信号、みんなでわたれば恐くない」ほど、アンチテーゼを含んだニヒリスティックな笑いでもないし、「コマネチ!」ほど、ばかばかしくもない中途半端な笑いに感じられてしまうのです。
 あ、VEXの使い方が想像していたよりもうまかったのと、やっぱり殺陣はうまいのだなと再認識(織田裕二の「椿三十郎」を観たせいかな。織田裕二の百倍うまい)しましたね。

 他の北野作品ではあまり考えられない豪華キャスト、中でも江守徹の熱演(北野監督は、確信犯的に役者に演技をさせないように思えるのに・・)は、その演技だけを切って取れば、浮いてしまっているように感じるのですが、北野監督の映画に対するスタンスを具現化した物であって、蹂躙されているのは私たちなのかもしれません。

 爆発シーンは、自身のすべての作品、あるいは世界のすべての映画という物に対しての否定というスタンスでしょうか?「クラッシュ&コンストラクト」と言うことなのでしょうか?一旦、壊さなければ次に進めないと言うような・・・。3部作の2番目というブリッジ的な作品だから、3作目での完結を待つべきなのでしょうか。ちなみに心理学的に言うと、コンストラクトとは、物事を見る(感じる)際における多面的な視点のことをも指すので、そう言う意味なのかしら(こりゃあ、明らかに深読みだなあ・・)

 「神は死んだ」
と言ったニーチェのニヒリズムを思い起こさせる雰囲気を感じさせるのですが、よくはわかりません。やっぱり「おバカ映画」なのかなあ・・・。それにしては馬鹿になり切れていないような・・・。
 まだまだ私は北野作品を理解できるまでの境地に達することは出来ないようです(って、いつになったら理解できるのか。死ぬまでにはわかるかなあ・・・)
 まあ、どんな評価を受けても、最終的にはお客様が正しいというたけしの言葉を素直に受け取ろうと思います。


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迷走映画??

投稿日:2007/11/10 レビュアー:ミルクチョコ

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この作品で北野武は世界の頂点に立った(と後世語り継がれるだろう) ネタバレ

投稿日:2007/10/03 レビュアー:parole

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映画には多くの愉しみ、楽しみ方がある。物語やそこで展開される人間ドラマに感動したり、ハッピーエンドに幸福感を覚えたり、アクション映画に爽快感を感じたりと受け取る人や受け取り方によってそれは千差万別であり、その多様さこそが映画の醍醐味と言えるだろう。物語や登場人物に感情移入をして疑似体験を楽しむのも別に悪いことではないと思うし、疑似体験こそが映画ならではの楽しみ方だという考えもあってしかるべきだとすら思う。でも、そんな多様な楽しみのなかで、自分自身に最も大切であり最も重要なものは何かと自問するなら、自分がそうだと信じていた「映画」が、とある作品によって揺るがされること、その瞬間にこそあると思う。

それは、意外なショットや予想外の展開と言った細部に関するものから、表現方法のポリシーや映画をどのようなものとして考えているかという根本的な問題に至るまで多岐に渡るが、自分が信じていたもの、何ら疑っていなかったものがそれらによって揺れ、場合によっては崩されるという点において同質のものだ。小さく語れば驚き、大上段に構えるなら自己意識の崩壊とでも言うべきこの瞬間は、自分の感性や感情、場合によっては価値観を大きく揺るがすものに他ならない。多くの経験と長い年月を掛けて築き上げてきたものが揺らぐ、もしくは崩れるのだから人によっては何かに脅かされるような虞を抱くかもしれないが、逆に言えば新しい自分に出会えることなのだからこの経験が感動的でないはずがない。実際の人生においても、何ものかが新たに誕生する瞬間ほど感動的なものはないのと同様に。

監督である北野武が自らエンターテインメントと称し、大いに笑って欲しいと語りかけている『監督ばんざい!』はそんな前口上や表面的ないでたちとは裏腹に、ボクが信じていた映画(なるものを)大いに疑わせ揺るがしてくれた大真面目な作品だった。

マスコミでは小津安二郎風と言われる「定年」を皮切りとする短編集的な構成のみが大きく取り上げられているきらいがあるが、このパートは作品への導入部もしくは物語もしくは作品を進めるための骨格のようなものに過ぎない。事実1時間足らずでこのパートは終わり、その後はキタノタケシ扮する吉祥寺太(きちじょうじふとし)なる空手道場の師範[北野武が扮するキタノタケシがさらに吉祥寺太を演じている重層性に留意!]を軸に、謎の政財界の大物である東大泉大善(江守徹)、吉祥寺太を金持ちと誤解して娘を嫁がせようと画策する高円寺久美子(岸本加代子)と喜美子(鈴木杏)母子など多彩な人物がからむドタバタナンセンスコメディーが繰り広げられるのだ。後半部はビートたけしがテレビで培ったお笑いのセンスが炸裂しまくる爆笑喜劇で、いかにもビートたけしらしいベタなギャグにしこたま笑わせてもらった。

こうした表面的な要素だけを見れば、知的な好奇心を満たす前半部分と、素直に笑えるコメディーである後半部分とが、ちょっと不思議な雰囲気をまぶしながら一つになった、サービス満点のエンターテインメントとして観ることができるし、こうした見方も別に間違いではないと思う。しかし、これが決して二つの要素を一つに無理矢理まとめたものではなく、前半と後半とが有機的に繋がり、その背後に確固たるものが貫いていることこそが、本作の本当の面白さであり恐ろしさでもあるのだ。それは一言で言うなら、作品に対する自己批評的な観点と言えるものだろう。

感心したり大笑いしてこの作品を観ながら、同時にどのような観点から自己批評が成されているのかを突き止めようとしたが結局明確な足がかりは掴めなかった。しかし、「崩壊」と呼ぶにふさわしいラストシークエンスを眼にした時に、その足がかりが固定化することを避けることこそがこの作品の真意なのではないかと感じた。視点なり立場なりを確定化した上で何かを語る(あるいは批評する)のではなく、位相的な転位とでも言うしかない視点の根本的な変化を求めること。

『ソナチネ』もしくは『HANA-BI』において物語作品としての頂点を迎えた北野武は、『監督ばんざい!』において本質的な意味における変化を遂げたのだろう。そして彼が立ち得た位置はゴダールを筆頭とする、映画表現の限界に挑戦している人々が立つ地平であり、現時点において北野武が映画作家として世界の頂点に立つ一人になったことを意味している。

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★★★★ 徹底的な自己破壊は全ての映画監督への挑戦状 ネタバレ

投稿日:2008/03/01 レビュアー:ガラリーナ

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「小津的空間で首を吊る」
「TAKESHI’S」で分裂させた自己を、徹底的に破壊するのが目的で作られた本作。何を撮っても駄目な北野監督が続く序盤。その駄目な作品群は、全てが「○○モノ」というジャンルで称されるものばかりだ。「悲恋モノ」「忍者モノ」「昭和モノ」…etc。それらが撮れないと自虐的に嘆いてみせるものの、これは明らかな「○○モノ」とイージーにカテゴライズされてしまう映画への徹底的な批判。そして、それは同時に「○○モノ」という冠がつけばヒットする映画を撮っている監督たちへの批判であり、挑戦状ではないだろうか。ここまで、同業者をこてんぱんに批判して大丈夫なのかと心配するのは、私だけだろうか。面白いのは、そのようなジャンル別作品の中で、小津安二郎の作品だけが固有名詞で挙げられていること。しかも、この小津的空間で北野監督の分身人形は首を吊っている。映画ファンなら、この一瞬のカットにドキリとしないわけがない。果たして、このカットが意味するものは何か。小津作品について語るものを持っていない私など、このカットをどう理解していいのかお手上げだ。小津作品には叶わないという白旗なのか、それとも小津的なるものを追いかけることは、すなわち己の首を絞めることであるという日本映画への示唆か。

「脱線しまくる映画は、一体誰のものか」
脱線に脱線を重ね、物語としては全く破綻してしまう後半部。その破綻ぶりを岸本佳代子と鈴木杏が嘆くシーンにおいて、「そんなのコイツに聞きなさいよ」と分身人形は何度も殴られる。そして、延々と続く笑えないベタなギャグ。果たして、ここに「観客」という概念が存在しているのかどうかすら疑わしい。北野監督が試みているのは、「映画」と「観客」の断絶なのだろうか。己を否定し、観客との関係性を断ち切った上で、最終作にとりかかる。本作はそのための準備作品のような気がしてならない。首をくくっても、殴られても、ラストの宣言は「監督、ばんざい!」。好調と言われる今の日本映画界において、映画監督たるものを見つめることに徹する北野監督。そもそもタイトルは、「OPUS 19/31」だったとか。そう言えば、フェリーニの「81/2」は、スランプの映画監督が現実と妄想を行ったり来たりする話だったけ。こりゃ、完結編をじっと待つしかないのかな。

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ユーザーレビュー

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ユーザーレビュー:86件

三部作なんですか

投稿日

2007/11/17

レビュアー

裸足のラヴァース

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さて パロールさんの大絶賛がドカーンと最初にあって 勝王さんも おおむね誉めている作品なので 後に続くレヴュアーは言いにくそうといいますか こんなものまったくつまらんって言いずらいと思いますみたいな雰囲気があったりして 面白いんですが つまらんとじゃんじゃん大きな声で言いましょうよ 実際 そうゆうふううに作ってあるんですから笑

ボク朕は「タケシス」は大絶賛で 去年の邦画ナンバー1ですね確か あれ一昨年だったかな忘れた それでこちらはとゆうと 果たしてこんなもんを 肯定していいんだろうかと疑問を感じちゃったりするんですが とりあえず今年の邦画ナンバー3には入れたいと思っています<<わあい 誉めちゃったぞう しらないよう 「監督ばんざい」からしたら実際 「タケシス」がいかに理知的に見えてくることでしょう この何かを対応させるってことが肝ですね 勝王さんが述べてます映画秘宝のインタヴューを知らなかったので これが三部作の二作目だと知って ちょっと納得しましたね なるほどそれなら いまどきの三部作映画の体裁を持ってきてるんだから 深慮遠謀なシネマなんだと納得 スケールがでかいんですね 

それにしても吉田喜重みたいな反映画で 自己言及シネマを立て続けに二本も撮ってしまうなんて いったいなんなのでしょうねこれは自分の映画観のぶち壊しであると共に 旧態然とした映画界 映画表現 そしてそれに反映してるであろう 現実社会に対する 強い危機意識 抵抗があるのでしょうか ただの馬鹿映画ではない ニヒリスチックを感じますけどね

さて この映画でボクが好きな細部といいますか 気にいってるのは なんと言っても 鈴木杏のぬいぐるみみたいなアヒルと もちろんブルーのたけちゃん人形ですね 無茶苦茶な内容のお話なのに こんなオブジェが常に楽しませてくれます 「タケシス」におけるビートたけしの背中のように 奇妙にリアリティーがあって 映画内における異物感が際立ちます アヒルはともかく たけちゃん人形は謎ですね あれはなんなのでしょう

「タケシス」は二人のタケシが 鏡像関係をなしているのであり二人の人物が映画内を徘徊する訳ですが こちらでは武じゃないタケシがたけちゃん人形と一緒にフレームに収まっているわけであり ヘーゲルの自己疎外じゃないですけど 自己から飛び出たものが当然映画ですから そこに平気で存在するのでしょうか ずうずうしくやっかいなそれは映画の中の生き物なのです このもてあますもの もてあそばれる物は すでに多くの鏡像関係・分身を描くシネマ群を軽く追い抜いていく 茶化してしまう新しい視点なのではないでしょうか 自己省察自己破壊映画がすでに廃棄される予感をこのたけちゃん人形に感じたりするわけでさて 三作目とやらが猛烈に楽しみなのですが あっさり企画は断念 ホラー映画が撮られちゃったりするかもしれません 毎年一作どんな映画でもいいから たけちゃんには撮ってもらいたいのです   

神は死んだ・・・

投稿日

2007/12/08

レビュアー

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 映画監督・北野タケシよりも、ボードヴィリアン・ビートたけしが前面に出てきているような印象です。
 わかる人には、わかるのかもしれませんが、まだまだ未熟な私には、この作品の良さはよくはわかりませんでした。もともと。北野たけしは、映画監督として誰かに認めて欲しいとか思っていたわけではなく、好き勝手にやっていたら、たまたまそのひらめきを理解できる審査員がベネチアにいたんじゃないかと思うのです。(金獅子賞を取ったことが良かったのか、悪かったのか・・・・)
 彼の作品を全部観ているわけではないので、分析なんて偉そうなことはできませんが、自己陶酔だったり、自分の中で立脚していた価値観の破壊だったり、誰かに何かを訴えると言うよりも、非常に自分に対して問いかけている姿勢が見受けられるような気がします。

 作品に一貫性は無いですよね。「菊次郎の夏」で、ほのぼのとした郷愁を描いたと思ったら、「座頭市」では、斬新なリメイクでエンターテインメントもこなせるところを見せますし、「座頭市」を観て、面白いと思った観客を「TAKESHIS'」で、混乱の極致に陥れるし・・・。

 この作品が、前宣伝で言う「ウルトラ・バラエティ・ムービー」と言うほど、面白いかと言えば、それほど面白くは無いと思うのです。キャストの面々がプレミアで言っていたように「腹を抱えて笑う」と言うようなシーンはありませんよね。
 「笑い」というのは、非常に微妙な物であって、計算して人を笑わせると言うことはめちゃくちゃ難しいのです。だから、ら笑いを評価するということも、とても難しいのですが、ビートたけしの笑いは、基本的には「ばかばかしさ」なのだと思っています。そのばかばかしい話とギャグを、絶妙な間で披露するものだから(そう言う意味での天才だと思います。あとはレオナルド熊ね・・・)ビートたけしは、あれほど受けて、なおかつその後も生き残れているのです。
 その「ばかばかしさ」を映像化しているのかなと、想像していたのですが、どうも違うようです。
 「バイオレンス映画はもう作らない」と宣言したことによって、オムニバス的に羅列されるショートストーリーは、「監督」と言う存在に対してのアンチテーゼでもあるのか、徹底的にキタノタケシを揶揄ってこき下ろします。その一つ一つは、面白いと言えば面白いのですが、抱腹絶倒と言うほどではないのです。小ネタでクスリとさせる程度でしょうか。
 「赤信号、みんなでわたれば恐くない」ほど、アンチテーゼを含んだニヒリスティックな笑いでもないし、「コマネチ!」ほど、ばかばかしくもない中途半端な笑いに感じられてしまうのです。
 あ、VEXの使い方が想像していたよりもうまかったのと、やっぱり殺陣はうまいのだなと再認識(織田裕二の「椿三十郎」を観たせいかな。織田裕二の百倍うまい)しましたね。

 他の北野作品ではあまり考えられない豪華キャスト、中でも江守徹の熱演(北野監督は、確信犯的に役者に演技をさせないように思えるのに・・)は、その演技だけを切って取れば、浮いてしまっているように感じるのですが、北野監督の映画に対するスタンスを具現化した物であって、蹂躙されているのは私たちなのかもしれません。

 爆発シーンは、自身のすべての作品、あるいは世界のすべての映画という物に対しての否定というスタンスでしょうか?「クラッシュ&コンストラクト」と言うことなのでしょうか?一旦、壊さなければ次に進めないと言うような・・・。3部作の2番目というブリッジ的な作品だから、3作目での完結を待つべきなのでしょうか。ちなみに心理学的に言うと、コンストラクトとは、物事を見る(感じる)際における多面的な視点のことをも指すので、そう言う意味なのかしら(こりゃあ、明らかに深読みだなあ・・)

 「神は死んだ」
と言ったニーチェのニヒリズムを思い起こさせる雰囲気を感じさせるのですが、よくはわかりません。やっぱり「おバカ映画」なのかなあ・・・。それにしては馬鹿になり切れていないような・・・。
 まだまだ私は北野作品を理解できるまでの境地に達することは出来ないようです(って、いつになったら理解できるのか。死ぬまでにはわかるかなあ・・・)
 まあ、どんな評価を受けても、最終的にはお客様が正しいというたけしの言葉を素直に受け取ろうと思います。


迷走映画??

投稿日

2007/11/10

レビュアー

ミルクチョコ

この作品で北野武は世界の頂点に立った(と後世語り継がれるだろう)

投稿日

2007/10/03

レビュアー

parole

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映画には多くの愉しみ、楽しみ方がある。物語やそこで展開される人間ドラマに感動したり、ハッピーエンドに幸福感を覚えたり、アクション映画に爽快感を感じたりと受け取る人や受け取り方によってそれは千差万別であり、その多様さこそが映画の醍醐味と言えるだろう。物語や登場人物に感情移入をして疑似体験を楽しむのも別に悪いことではないと思うし、疑似体験こそが映画ならではの楽しみ方だという考えもあってしかるべきだとすら思う。でも、そんな多様な楽しみのなかで、自分自身に最も大切であり最も重要なものは何かと自問するなら、自分がそうだと信じていた「映画」が、とある作品によって揺るがされること、その瞬間にこそあると思う。

それは、意外なショットや予想外の展開と言った細部に関するものから、表現方法のポリシーや映画をどのようなものとして考えているかという根本的な問題に至るまで多岐に渡るが、自分が信じていたもの、何ら疑っていなかったものがそれらによって揺れ、場合によっては崩されるという点において同質のものだ。小さく語れば驚き、大上段に構えるなら自己意識の崩壊とでも言うべきこの瞬間は、自分の感性や感情、場合によっては価値観を大きく揺るがすものに他ならない。多くの経験と長い年月を掛けて築き上げてきたものが揺らぐ、もしくは崩れるのだから人によっては何かに脅かされるような虞を抱くかもしれないが、逆に言えば新しい自分に出会えることなのだからこの経験が感動的でないはずがない。実際の人生においても、何ものかが新たに誕生する瞬間ほど感動的なものはないのと同様に。

監督である北野武が自らエンターテインメントと称し、大いに笑って欲しいと語りかけている『監督ばんざい!』はそんな前口上や表面的ないでたちとは裏腹に、ボクが信じていた映画(なるものを)大いに疑わせ揺るがしてくれた大真面目な作品だった。

マスコミでは小津安二郎風と言われる「定年」を皮切りとする短編集的な構成のみが大きく取り上げられているきらいがあるが、このパートは作品への導入部もしくは物語もしくは作品を進めるための骨格のようなものに過ぎない。事実1時間足らずでこのパートは終わり、その後はキタノタケシ扮する吉祥寺太(きちじょうじふとし)なる空手道場の師範[北野武が扮するキタノタケシがさらに吉祥寺太を演じている重層性に留意!]を軸に、謎の政財界の大物である東大泉大善(江守徹)、吉祥寺太を金持ちと誤解して娘を嫁がせようと画策する高円寺久美子(岸本加代子)と喜美子(鈴木杏)母子など多彩な人物がからむドタバタナンセンスコメディーが繰り広げられるのだ。後半部はビートたけしがテレビで培ったお笑いのセンスが炸裂しまくる爆笑喜劇で、いかにもビートたけしらしいベタなギャグにしこたま笑わせてもらった。

こうした表面的な要素だけを見れば、知的な好奇心を満たす前半部分と、素直に笑えるコメディーである後半部分とが、ちょっと不思議な雰囲気をまぶしながら一つになった、サービス満点のエンターテインメントとして観ることができるし、こうした見方も別に間違いではないと思う。しかし、これが決して二つの要素を一つに無理矢理まとめたものではなく、前半と後半とが有機的に繋がり、その背後に確固たるものが貫いていることこそが、本作の本当の面白さであり恐ろしさでもあるのだ。それは一言で言うなら、作品に対する自己批評的な観点と言えるものだろう。

感心したり大笑いしてこの作品を観ながら、同時にどのような観点から自己批評が成されているのかを突き止めようとしたが結局明確な足がかりは掴めなかった。しかし、「崩壊」と呼ぶにふさわしいラストシークエンスを眼にした時に、その足がかりが固定化することを避けることこそがこの作品の真意なのではないかと感じた。視点なり立場なりを確定化した上で何かを語る(あるいは批評する)のではなく、位相的な転位とでも言うしかない視点の根本的な変化を求めること。

『ソナチネ』もしくは『HANA-BI』において物語作品としての頂点を迎えた北野武は、『監督ばんざい!』において本質的な意味における変化を遂げたのだろう。そして彼が立ち得た位置はゴダールを筆頭とする、映画表現の限界に挑戦している人々が立つ地平であり、現時点において北野武が映画作家として世界の頂点に立つ一人になったことを意味している。

★★★★ 徹底的な自己破壊は全ての映画監督への挑戦状

投稿日

2008/03/01

レビュアー

ガラリーナ

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「小津的空間で首を吊る」
「TAKESHI’S」で分裂させた自己を、徹底的に破壊するのが目的で作られた本作。何を撮っても駄目な北野監督が続く序盤。その駄目な作品群は、全てが「○○モノ」というジャンルで称されるものばかりだ。「悲恋モノ」「忍者モノ」「昭和モノ」…etc。それらが撮れないと自虐的に嘆いてみせるものの、これは明らかな「○○モノ」とイージーにカテゴライズされてしまう映画への徹底的な批判。そして、それは同時に「○○モノ」という冠がつけばヒットする映画を撮っている監督たちへの批判であり、挑戦状ではないだろうか。ここまで、同業者をこてんぱんに批判して大丈夫なのかと心配するのは、私だけだろうか。面白いのは、そのようなジャンル別作品の中で、小津安二郎の作品だけが固有名詞で挙げられていること。しかも、この小津的空間で北野監督の分身人形は首を吊っている。映画ファンなら、この一瞬のカットにドキリとしないわけがない。果たして、このカットが意味するものは何か。小津作品について語るものを持っていない私など、このカットをどう理解していいのかお手上げだ。小津作品には叶わないという白旗なのか、それとも小津的なるものを追いかけることは、すなわち己の首を絞めることであるという日本映画への示唆か。

「脱線しまくる映画は、一体誰のものか」
脱線に脱線を重ね、物語としては全く破綻してしまう後半部。その破綻ぶりを岸本佳代子と鈴木杏が嘆くシーンにおいて、「そんなのコイツに聞きなさいよ」と分身人形は何度も殴られる。そして、延々と続く笑えないベタなギャグ。果たして、ここに「観客」という概念が存在しているのかどうかすら疑わしい。北野監督が試みているのは、「映画」と「観客」の断絶なのだろうか。己を否定し、観客との関係性を断ち切った上で、最終作にとりかかる。本作はそのための準備作品のような気がしてならない。首をくくっても、殴られても、ラストの宣言は「監督、ばんざい!」。好調と言われる今の日本映画界において、映画監督たるものを見つめることに徹する北野監督。そもそもタイトルは、「OPUS 19/31」だったとか。そう言えば、フェリーニの「81/2」は、スランプの映画監督が現実と妄想を行ったり来たりする話だったけ。こりゃ、完結編をじっと待つしかないのかな。

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