安城家の舞踏会 / 原節子
安城家の舞踏会
/吉村公三郎
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(11)
解説・ストーリー
華族の舞踏会を背景に人生の悲愁を描いた、吉村公三郎監督の代表作。名門華族の安城家に、太平洋戦争終結と共に家名を揺るがす悲劇が訪れる。
華族の舞踏会を背景に人生の悲愁を描いた、吉村公三郎監督の代表作。名門華族の安城家に、太平洋戦争終結と共に家名を揺るがす悲劇が訪れる。
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「安城家の舞踏会」 の解説・あらすじ・ストーリー
解説・ストーリー
華族の舞踏会を背景に人生の悲愁を描いた、吉村公三郎監督の代表作。名門華族の安城家に、太平洋戦争終結と共に家名を揺るがす悲劇が訪れる。
「安城家の舞踏会」 の作品情報
「安城家の舞踏会」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ
安城家の舞踏會の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
90分 |
|
1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語
|
レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
|
DB9209 |
2008年06月27日
|
在庫枚数 |
1位登録者: |
2位登録者: |
5枚
|
0人
|
0人
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安城家の舞踏會の詳細
収録時間: |
字幕: |
音声: |
90分 |
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1:ドルビーデジタル/モノラル/日本語
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レイティング: |
記番: |
レンタル開始日: |
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DB9209 |
2008年06月27日
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在庫枚数 |
1位登録者: |
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5枚
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ユーザーレビュー:11件
スリリングなエンターテインメント
投稿日:2008/07/13
レビュアー:JUCE
チェーホフの『桜の園』をモチーフに新藤兼人が脚本した作品ですが、堅苦しく重厚な文学作品という映画では無く、良い意味で観やすいエンターテインメントな作品です。吉村公三郎監督の代表作としてはもちろんのこと、新藤兼人のシナリオ作家としての出世作品でもあります。
1947年の映画としては非常にモダンな演出と雰囲気。まあ「モダン」と言い方は今では古臭いのかもしれませんが、この映画はこの「モダン」という言葉が良く似合うと思います。このモダンさは冒頭の家族会議での人物の登場シーンから感じ取れるのです。この冒頭のシーンがとても軽妙で、登場の仕方も洒落ていて面白いですし、このシーンの会話のやり取りでそれぞれのキャラクターの性格やポジションが明示されていて、とても分かりやすい映画になっています。それは薄っぺらい映画と言うことでは無く、短いながらも洗練された台詞で、「必要最小限で多くを語る」というシナリオの鑑です。こうした必要最小限で人物を描写していくのですが、その語らない余白を使って人物に厚みが生まれています。特に私が気に入ったのが森雅之が演じる長男。この映画は短い作品ながらも登場人物が多く、しかしそれぞれのキャラクターが描けている作品なのですが、作品の中では唯一最後までわかりにくい人物がいます。それがこの長男なのです。しかしこの長男の性格そのものが映画の重要な下敷きになっていて、それがラストで氷解する様が見事です。
吉村監督が島津保次郎監督の助監督を10年ほど勤めていた時に、徹底的に叩き込まれたのは「風俗」だったそうです。「風俗」ってHな奴じゃないですよ、念のため。映画の中に風俗を描きこむということは、この『安城家の舞踏會』のなかでも行われています。そもそも華族の廃止による風俗の移り変わりを描いた部分がこの映画の大前提なのですから。しかし単に風俗を単にリアルに描くのでは無く、映画向けにデフォルメすることによってスクリーン上でその風俗が生き生きと語られるという図式。本当に映画のお手本のような作品です。
私は古い邦画の良い観客ではありませんが、最近ようやくその完成度の高さや面白さが少し見えてくるようになりました。最近は話題作もB級作品もそして東西の名作など幅広いジャンルに興味があるのですが、なかなか観たい欲求どおりに時間を作れないのが悩みです。
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90分の美学
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
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本作は吉村公三郎の代表作であるばかりではなく、戦後の邦画の代表的な作品の一つと言い得る傑作だと思います。
とある没落貴族が豪華な屋敷を売り渡さざるを得なくなったため、そのことを決断し昔を懐かしむことを目的として自宅で舞踏会を開くというだけの物語で、いわゆるグランドホテル形式の作品であると言えるでしょう。しかし、こうした単純な舞台設定の中に様々な人間模様とこれが織りなす綾を巧妙に盛り込んでおり、それらがラストに向けて収束し解放されていく様は非常に感動的です。
舞踏会が終わり、自殺を決意し試みる当主(滝沢修)とそれを止める娘(原節子)との人気のないホールにおけるやり取りのシーンがクライマックスなのですが、アップを主体とした人物の表情で構成するのではなく閑散としたホールをロング中心に収めているところなどは実に映画的で、シナリオに還元し得ないショットとはかくあるべきと感じさせてくれます。また、幾人かの脇役陣による小さな物語をそのシーンに交えているところなどもとても巧妙で、過不足のないと言う形容詞がとてもよく似合う演出だと思いました。基本的には「安城家」の中で繰り広げられる物語であり、特に後半はホールのみで撮られた作品であるのに、退屈さや冗長さをちっとも感じないのはこの過不足の無さ故のことなのでしょう。
さらに、決して少ないとは言えない要素を、クライマックスなどもきちんと折り込みながら90分という枠内に収めているのは特筆すべきことだと思います。いや、正確に言うなら当時の邦画の基本フォーマットが90分前後であり、そのフォーマットにそれこそ過不足無く収めたと言うだけの話なのですが、結果的には90分という形式的な枠組みがこの作品の良さをより引き出しているように思いました。これは何も邦画に限った話しではなく、少なくとも1950年代までの黄金時代のハリウッドにおいてもおおよそ90分程度で120分を超えることはないと言う不文律があった訳ですから、90分という尺の必然性について改めて考える必要性があるようにも思えてきます。ロベール・ブレッソンやゴダールが映画は90分を超えてはならないと強く主張しているのも単なる思い付きや個人的な趣向によるものとも思えませんし。
今日では無意味に長い作品が増えていますが、そんな映画を量産している無自覚な関係者は本作のような作品を繰り返し鑑賞して、映画における上映時間の長さとその必然性に関し学習する必要があるでしょう。
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斜陽族
投稿日:2009/01/12
レビュアー:横浜のタマ
90分の美学(paroleさん)
スリリングなエンターテインメント(JUCEさん)
映画的教養を得られます、お二人のレビューを読まれてから観ることをお勧めします。
タイトルが出ていち番下の方に1947年9月完成とあるのですが、若い人はピンとこないでしょうがこの年には没落華族をテーマにした太宰治「斜陽」が発表されて巷にセンセーションを巻き起こしていました。父からは「斜陽」を読んだこと、母からは翌年に太宰が玉川上水で愛人と心中してしまった出来事などよく聞かされました。「斜陽」が出版されて以降没落貴族を斜陽族と呼ぶようになった、斜陽族とは当時の流行語だったのです。その斜陽族が登場する『安城家の舞踏會』は戦後のドサクサの最中わずか2年での完成だったわけで、タイムリーなのには驚きました。
あらゆる価値観が瓦解して世相が目まぐるしく疾走してゆく渦中にあって時代を象徴しているような人間達の描写の的確さが際立っているようにおもいました。
登場人物たちのキャラクターの輪郭が現実的で分かりやすくこれだけでも映画的華やぎが立ち上がっていました。
広いホールに優雅な階段、ホールの上の40年代の洋画に出てくるような居室、大きな鏡、風に揺れるレースのカーテン、荒れてしまった温室と舞台装置も効果的でした。
後半はたたみ掛けるようなスピーディな展開にヒッチコックの初期の作品にあるようなハッとするような恐いショットがあったり、斜めに捉えた構図に不安感が増したりと洋画的感触がおもしろいですね、斜めの構図はデュヴイヴィエの『舞踏会の手帖』の堕胎医のエピソードからの拝借でしょう、オマージュでしょうか。
原節子はわたしが今まで観た中で最高の美しさでした。
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滅びても、消えはしない。
投稿日:2010/03/25
レビュアー:ぴよさん
1947年の日本国憲法制定の際に華族制は法的に廃止されたわけだが、それ以前からこの制度は危うくなっていた。劇中の安城家の様に、体面を保とうとするがあまり、破綻する例は既にあったそうだ。
没落してゆく一華族、安城家。家人それぞれの現状認識と思いは違う。当主は「新しいものが生まれる為に私らは滅びていく。なんと滅び甲斐のあることか」と華族のプライドを一応、にじませる。
長女・昭子は「昭子の心は貴族なのよ」と、どこまでも華族であるというアイデンティティを諦めきれずにいる。長男正彦は、「どうとでもなれ」と短い華族としての日々を謳歌している。しかし彼等の心は一様に迷い続けて、変わろうともしている。
唯一、心を決めて現実的に生きようとしているのが次女・敦子(原節子)だ。
そして彼女の提案で、最後の舞踏会が開かれることになる。
安城家の側から描かれる話なので、関わる人々が非道の様にも見えてしまうが、華族という特権階級が、日本社会で浮いた存在になっていたということを図らずも表している。「殿様」と崇められていた当主が、保身の為に平民に泣きつく様をわざわざ描いたところに、この映画の非情さがある。
監督吉村公三郎は、南方戦線から復員後ほどなく、この或る意味浮世離れした話を撮ってみせた。普通に考えれば、「所詮、庶民だけが苦労するのだ」という視点が生まれても不思議は無い。(同様に中国から帰還した木下惠介は『大曾根家の朝』を撮った。こちらは一庶民の思いとしては、まだ自然なものとして観ることが出来る)
華族でありながら、その地位にコダワリを持っていない様に見える敦子のメンタリティが不思議だが、彼女の視点がすなわち吉村の視点だと考えるならば、その立ち位置が理解出来る。
また同時に、敗戦を肌身で感じていた日本国民が、「滅びの美学」に対する憧憬を強めていた頃だと想像すれば、滅びゆく者達の立場に立ってみせたことも理解出来る。華族という階級が消えても、その後も彼らは生きてゆくのだし、戦争に負けはしたが、日本人が消えてなくなるわけでもないのだ。
ともかく原節子のダッシュが観られただけで、私は満足だ。あんまり動かないお嬢さんがたまにすごく動くのを見ると、なんだかドキドキしてしまうよね。
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4人の会員が気に入ったと投稿しています
原節子に始まり、原節子で終わる。
大柄な彼女の背中の大写しから始まり、カーネーションやタバコの煙だけの一瞬ムダかと思わせるようなショット。舞台劇を思わせるような大袈裟な所作とセリフ回し。
冒頭からの演出に些かの滑稽さと違和感あり。
貴族を描いておきながら、原節子を除いての出演者たちが全くそれらしく見えないのも笑える。時代が変わっていく状況に追いつけずに右往左往する安城家の当主に、滝沢修が配されているのも然り。
しかし物語が進んでいくうちにその違和感が逆に弾みをつけてくれて心地良くなってくるから不思議。登場人物の性格や心の動きが分かりやすいのも親切この上ない。もう止められない。
いやぁ面白かった。
ラグビー選手も顔負けの原節子のタックルもお宝映像。
「ラストタンゴは、小気味よろしくてよ」
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ユーザーレビュー
スリリングなエンターテインメント
投稿日
2008/07/13
レビュアー
JUCE
チェーホフの『桜の園』をモチーフに新藤兼人が脚本した作品ですが、堅苦しく重厚な文学作品という映画では無く、良い意味で観やすいエンターテインメントな作品です。吉村公三郎監督の代表作としてはもちろんのこと、新藤兼人のシナリオ作家としての出世作品でもあります。
1947年の映画としては非常にモダンな演出と雰囲気。まあ「モダン」と言い方は今では古臭いのかもしれませんが、この映画はこの「モダン」という言葉が良く似合うと思います。このモダンさは冒頭の家族会議での人物の登場シーンから感じ取れるのです。この冒頭のシーンがとても軽妙で、登場の仕方も洒落ていて面白いですし、このシーンの会話のやり取りでそれぞれのキャラクターの性格やポジションが明示されていて、とても分かりやすい映画になっています。それは薄っぺらい映画と言うことでは無く、短いながらも洗練された台詞で、「必要最小限で多くを語る」というシナリオの鑑です。こうした必要最小限で人物を描写していくのですが、その語らない余白を使って人物に厚みが生まれています。特に私が気に入ったのが森雅之が演じる長男。この映画は短い作品ながらも登場人物が多く、しかしそれぞれのキャラクターが描けている作品なのですが、作品の中では唯一最後までわかりにくい人物がいます。それがこの長男なのです。しかしこの長男の性格そのものが映画の重要な下敷きになっていて、それがラストで氷解する様が見事です。
吉村監督が島津保次郎監督の助監督を10年ほど勤めていた時に、徹底的に叩き込まれたのは「風俗」だったそうです。「風俗」ってHな奴じゃないですよ、念のため。映画の中に風俗を描きこむということは、この『安城家の舞踏會』のなかでも行われています。そもそも華族の廃止による風俗の移り変わりを描いた部分がこの映画の大前提なのですから。しかし単に風俗を単にリアルに描くのでは無く、映画向けにデフォルメすることによってスクリーン上でその風俗が生き生きと語られるという図式。本当に映画のお手本のような作品です。
私は古い邦画の良い観客ではありませんが、最近ようやくその完成度の高さや面白さが少し見えてくるようになりました。最近は話題作もB級作品もそして東西の名作など幅広いジャンルに興味があるのですが、なかなか観たい欲求どおりに時間を作れないのが悩みです。
90分の美学
投稿日
2008/05/29
レビュアー
parole
※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
レビューを表示する
本作は吉村公三郎の代表作であるばかりではなく、戦後の邦画の代表的な作品の一つと言い得る傑作だと思います。
とある没落貴族が豪華な屋敷を売り渡さざるを得なくなったため、そのことを決断し昔を懐かしむことを目的として自宅で舞踏会を開くというだけの物語で、いわゆるグランドホテル形式の作品であると言えるでしょう。しかし、こうした単純な舞台設定の中に様々な人間模様とこれが織りなす綾を巧妙に盛り込んでおり、それらがラストに向けて収束し解放されていく様は非常に感動的です。
舞踏会が終わり、自殺を決意し試みる当主(滝沢修)とそれを止める娘(原節子)との人気のないホールにおけるやり取りのシーンがクライマックスなのですが、アップを主体とした人物の表情で構成するのではなく閑散としたホールをロング中心に収めているところなどは実に映画的で、シナリオに還元し得ないショットとはかくあるべきと感じさせてくれます。また、幾人かの脇役陣による小さな物語をそのシーンに交えているところなどもとても巧妙で、過不足のないと言う形容詞がとてもよく似合う演出だと思いました。基本的には「安城家」の中で繰り広げられる物語であり、特に後半はホールのみで撮られた作品であるのに、退屈さや冗長さをちっとも感じないのはこの過不足の無さ故のことなのでしょう。
さらに、決して少ないとは言えない要素を、クライマックスなどもきちんと折り込みながら90分という枠内に収めているのは特筆すべきことだと思います。いや、正確に言うなら当時の邦画の基本フォーマットが90分前後であり、そのフォーマットにそれこそ過不足無く収めたと言うだけの話なのですが、結果的には90分という形式的な枠組みがこの作品の良さをより引き出しているように思いました。これは何も邦画に限った話しではなく、少なくとも1950年代までの黄金時代のハリウッドにおいてもおおよそ90分程度で120分を超えることはないと言う不文律があった訳ですから、90分という尺の必然性について改めて考える必要性があるようにも思えてきます。ロベール・ブレッソンやゴダールが映画は90分を超えてはならないと強く主張しているのも単なる思い付きや個人的な趣向によるものとも思えませんし。
今日では無意味に長い作品が増えていますが、そんな映画を量産している無自覚な関係者は本作のような作品を繰り返し鑑賞して、映画における上映時間の長さとその必然性に関し学習する必要があるでしょう。
斜陽族
投稿日
2009/01/12
レビュアー
横浜のタマ
90分の美学(paroleさん)
スリリングなエンターテインメント(JUCEさん)
映画的教養を得られます、お二人のレビューを読まれてから観ることをお勧めします。
タイトルが出ていち番下の方に1947年9月完成とあるのですが、若い人はピンとこないでしょうがこの年には没落華族をテーマにした太宰治「斜陽」が発表されて巷にセンセーションを巻き起こしていました。父からは「斜陽」を読んだこと、母からは翌年に太宰が玉川上水で愛人と心中してしまった出来事などよく聞かされました。「斜陽」が出版されて以降没落貴族を斜陽族と呼ぶようになった、斜陽族とは当時の流行語だったのです。その斜陽族が登場する『安城家の舞踏會』は戦後のドサクサの最中わずか2年での完成だったわけで、タイムリーなのには驚きました。
あらゆる価値観が瓦解して世相が目まぐるしく疾走してゆく渦中にあって時代を象徴しているような人間達の描写の的確さが際立っているようにおもいました。
登場人物たちのキャラクターの輪郭が現実的で分かりやすくこれだけでも映画的華やぎが立ち上がっていました。
広いホールに優雅な階段、ホールの上の40年代の洋画に出てくるような居室、大きな鏡、風に揺れるレースのカーテン、荒れてしまった温室と舞台装置も効果的でした。
後半はたたみ掛けるようなスピーディな展開にヒッチコックの初期の作品にあるようなハッとするような恐いショットがあったり、斜めに捉えた構図に不安感が増したりと洋画的感触がおもしろいですね、斜めの構図はデュヴイヴィエの『舞踏会の手帖』の堕胎医のエピソードからの拝借でしょう、オマージュでしょうか。
原節子はわたしが今まで観た中で最高の美しさでした。
滅びても、消えはしない。
投稿日
2010/03/25
レビュアー
ぴよさん
1947年の日本国憲法制定の際に華族制は法的に廃止されたわけだが、それ以前からこの制度は危うくなっていた。劇中の安城家の様に、体面を保とうとするがあまり、破綻する例は既にあったそうだ。
没落してゆく一華族、安城家。家人それぞれの現状認識と思いは違う。当主は「新しいものが生まれる為に私らは滅びていく。なんと滅び甲斐のあることか」と華族のプライドを一応、にじませる。
長女・昭子は「昭子の心は貴族なのよ」と、どこまでも華族であるというアイデンティティを諦めきれずにいる。長男正彦は、「どうとでもなれ」と短い華族としての日々を謳歌している。しかし彼等の心は一様に迷い続けて、変わろうともしている。
唯一、心を決めて現実的に生きようとしているのが次女・敦子(原節子)だ。
そして彼女の提案で、最後の舞踏会が開かれることになる。
安城家の側から描かれる話なので、関わる人々が非道の様にも見えてしまうが、華族という特権階級が、日本社会で浮いた存在になっていたということを図らずも表している。「殿様」と崇められていた当主が、保身の為に平民に泣きつく様をわざわざ描いたところに、この映画の非情さがある。
監督吉村公三郎は、南方戦線から復員後ほどなく、この或る意味浮世離れした話を撮ってみせた。普通に考えれば、「所詮、庶民だけが苦労するのだ」という視点が生まれても不思議は無い。(同様に中国から帰還した木下惠介は『大曾根家の朝』を撮った。こちらは一庶民の思いとしては、まだ自然なものとして観ることが出来る)
華族でありながら、その地位にコダワリを持っていない様に見える敦子のメンタリティが不思議だが、彼女の視点がすなわち吉村の視点だと考えるならば、その立ち位置が理解出来る。
また同時に、敗戦を肌身で感じていた日本国民が、「滅びの美学」に対する憧憬を強めていた頃だと想像すれば、滅びゆく者達の立場に立ってみせたことも理解出来る。華族という階級が消えても、その後も彼らは生きてゆくのだし、戦争に負けはしたが、日本人が消えてなくなるわけでもないのだ。
ともかく原節子のダッシュが観られただけで、私は満足だ。あんまり動かないお嬢さんがたまにすごく動くのを見ると、なんだかドキドキしてしまうよね。
原節子に始まり、原節子で終わる。
投稿日
2012/03/09
レビュアー
おうち大好き
大柄な彼女の背中の大写しから始まり、カーネーションやタバコの煙だけの一瞬ムダかと思わせるようなショット。舞台劇を思わせるような大袈裟な所作とセリフ回し。
冒頭からの演出に些かの滑稽さと違和感あり。
貴族を描いておきながら、原節子を除いての出演者たちが全くそれらしく見えないのも笑える。時代が変わっていく状況に追いつけずに右往左往する安城家の当主に、滝沢修が配されているのも然り。
しかし物語が進んでいくうちにその違和感が逆に弾みをつけてくれて心地良くなってくるから不思議。登場人物の性格や心の動きが分かりやすいのも親切この上ない。もう止められない。
いやぁ面白かった。
ラグビー選手も顔負けの原節子のタックルもお宝映像。
「ラストタンゴは、小気味よろしくてよ」
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