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終戦当時、中国の山西省にいた日本軍の一部の部隊が武装解除をすることなく中国に残留、中国国民党軍に編入され、共産党軍との内戦を戦っていた。やがて生き残り、帰国した彼らは日本政府によって逃亡兵とみなされた。政府は、兵士たちが自らの意志で勝手に戦争を続けたとの立場をとり、責任追及を逃れようと画策する軍司令官の命によるとの主張を退け、元残留兵たちへの戦後補償を拒み続けている。本作は当時、実際に残留兵として中国内戦を戦った奥村和一氏が、“日本軍山西省残留問題”の真相解明に奔走する姿を追ったドキュメンタリー。監督は「延安の娘」の池谷薫。
製作年: |
2005年 |
---|---|
製作国: |
日本 |
ジャンル : HOWTO ドキュメント/その他
終戦当時、中国の山西省にいた日本軍の一部の部隊が武装解除をすることなく中国に残留、中国国民党軍に編入され、共産党軍との内戦を戦っていた。やがて生き残り、帰国した彼らは日本政府によって逃亡兵とみなされた。政府は、兵士たちが自らの意志で勝手に戦争を続けたとの立場をとり、責任追及を逃れようと画策する軍司令官の命によるとの主張を退け、元残留兵たちへの戦後補償を拒み続けている。本作は当時、実際に残留兵として中国内戦を戦った奥村和一氏が、“日本軍山西省残留問題”の真相解明に奔走する姿を追ったドキュメンタリー。監督は「延安の娘」の池谷薫。
製作年: |
2005年 |
---|---|
製作国: |
日本 |
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
101分 | 日本語 | 1:ドルビーデジタル/ステレオ/日(一部中) |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
MX699R | 2008年08月01日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
7枚 | 0人 | 0人 |
収録時間:
101分
字幕:
日本語
音声:
1:ドルビーデジタル/ステレオ/日(一部中)
レイティング:
記番:
MX699R
レンタル開始日:
2008年08月01日
在庫枚数
7枚
1位登録者:
0人
2位登録者:
0人
DVD
収録時間: | 字幕: | 音声: |
---|---|---|
101分 | 日本語 | 1:ドルビーデジタル/ステレオ/日(一部中) |
レイティング: | 記番: | レンタル開始日: |
MX699R | 2008年08月01日 | |
在庫枚数 | 1位登録者: | 2位登録者: |
7枚 | 0人 | 0人 |
収録時間:
101分
字幕:
日本語
音声:
1:ドルビーデジタル/ステレオ/日(一部中)
レイティング:
記番:
MX699R
レンタル開始日:
2008年08月01日
在庫枚数
7枚
1位登録者:
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高齢者をめぐる環境がますます悪化する昨今、60代ぐらいで(もうすぐじゃないか!)人生終わりにすることができたらなどと、不遜にも考えていた。(腰痛と肩凝りぐらいしか持病がないので難しいかもしれないが)そんな戦後生まれの薄っぺらな、楽するのが一番という人生観、とすら呼べないような代物だが、この映画の「主演男優」奥村和一さんは、強烈な否を突きつけて咆哮をあげる。動揺した。
アウトラインは確かに「日本軍山西省残留事件」をなぞっている。1945年8月15日を過ぎて4年間も中国山西省で国民党の部隊とともに共産軍と戦った日本兵たちがいた。その数2600名。うち550名は戦死、700名は捕虜になった。無事、日本に帰り着いても勝手に残ったのだろうと言われて、国家補償を受けられない。それどころか「脱走兵」の汚名を着せられるひどい事態も生じた。一部の元兵士たちは残留はすべて軍命によるものだと裁判を起こす。どうやら国民党軍の将軍と日本軍の司令官との間に密約があったらしい。日本側司令官は密かに帰国している。俺たちは売られたんだと、奥村さんは憤る。
しかし、この映画の見所は、山西省事件の真相究明でもなければ、被害者として国家社会に立ち向かう奥村さんの姿にあるのではないと、私は思う。
戦争と軍隊を通して人倫の根源を問う奥村さんの内省の厳しさと、この表現は好きではないがこの際やむをえない、80歳の男のヘヴィな「自分探し」の旅こそが主題だ。
ある意味、彼、究極のKY老人だ。女医さんや電話に出た裁判所の女性職員との微妙なすれ違い。熱くなればなるほど相手にわかってもらえない。中国に赴いても事情は変わらない。殴られるんじゃないかと意気込んで出かけたのに、相手は冷ややかなほど落ち着いている。「もう歴史になったことですよ。歴史に絶対はありません」と、戦った相手である当地の元軍人にすら突き放される始末。
それでも初めて自分が捕虜を銃剣で突き刺した処刑場跡を訪れ線香を手向ける。中国訪問で一番行きたかった場所だそうだ。それだけでも奥村さんの人間性の非凡さがわかる。
戦争だったから、命令だったからと、言い訳はたくさんあろうが、多くの人々はそうやって過去を封印して生きてきたのであろうが、彼の深奥の倫理観が人殺しを許せない。人生が終局に近づけば近づくほど、その思いが強くなる。そして自分に人殺しを強いた戦争と軍隊を深く憎むのである。奥村さんにとって戦争とは何より個人の倫理が蹂躙される事態だった。
それでも、このドキュメンタリーはなかなかのもので、そんな奥村さんに突然兵士の相貌が浮かび上がる瞬間をも捉えている。
もうひとつ、奥村さんが、自分は当時21歳の初年兵で狭い範囲でしか事態をみることが出来なかった、多くの体験者の話を聞いて視野を広げたいと語るのには、驚嘆した。齢80にして、視野の狭い自分を省みることができ、真実への苦しい追究を止めない。それまでは死んでなるものかである。池谷監督が惚れ込んだのもわかる。
ラストは8月15日の靖国神社。「二度と戦争に負けない」国にしようとの演説には苦笑した。いや、笑っていられるか。太平洋戦争勃発の際、これで進む道が示された、出口が見えたと、開放感なり希望なりの感情を綴った作家、思想家は少なくない。閉塞感充満の時代に戦争は魅力的に映る。軍事や軍隊への憧れも依然として健在だ。あの赤軍派の蛮行も軍事崇拝思想が生んだとも言える。立派な革命戦士になるためには平然と人を殺せなくてはならないと思ったと、元メンバーは証言していた。そんな流れの中に奥村さんはひとり、逆らって立つ。
軟弱なふつつか者だけど、せめて奥村さんの影ぐらい踏める身でありたい。
挿入される蟻のショットはいらないのではないかな。奥村さんに蟻のイメージはない。カントが言うような内なる道徳律に従い宇宙と対峙する個人だ。映画が進むにつれだんだんカメラ映りがよくなっていくのはわかるが、逆光に浮かび上がらせたり、ホワイトアウトさせたり、ちょっと演出が過ぎるような気がする。
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本作は、第二次世界大戦後も中国に残留して戦闘を続けた日本軍がいたという、「日本軍山西省問題」で裁判を起こした原告団の一人「奥村和一」氏を中心に据えたドキュメンタリー。日本軍山西省問題とは古くは昭和31年に国会でも取り上げられたもので、日本陸軍支那派遣軍第1軍配下の将兵約2,600名が、戦後も中国国民党系軍閥錫山(えんしゃくざん)の一派として中国共産党軍と戦っている。結局数年に渡って戦闘した結果、約550人が戦死し700人以上が捕虜となった。
本作の主題となるべきテーマには、大きく日本軍山西省問題と奥村氏個人についての二つがあろう。
日本軍山西省問題については、事実上命令系統がどうであったにせよ実に痛ましい事件であり、残留した将兵の気持ちを思い量れば言葉もないし、ましてや戦死した将兵の無念さはいくばくであろうか。さらに、残留の意志決定した上級幹部はともかく、下級将兵のほとんどは皇軍復古のための聖戦と信じての戦闘であったろうし、それに対しての国や裁判所の結論は余りにも冷たいものであるとも感じる。決定的な証拠がない以上は、軍命令であったという見解を国が覆すことができないのは自明の理だが、少なくとも名誉の回復に至る道筋を検討することは不可能ではないだろう。そういう意味で、本作の製作と公開が名誉の回復への一助になったであろうことは想像に難くない。
奥村和一氏は当時兵長として残留しており、中国戦線での自身の殺人行為への贖罪、そして売軍されたという裏切り行為への怒りに満ちている。この二つのテーマが重厚にかつ慎重に織り込まれているとするならば、本作はとてつもなく偉大なノンフィクション映画として賛美を得たであろう。
しかし、本作は後半に行けば行くほど、上記の二つのテーマバランスが崩れていってしまった。日本軍山西省問題が薄っぺらになり、本作が奥村氏個人のドキュメンタリーであったということに気づかされる。さらに、やはりというべきか、軍司令官批判=日本軍批判=日本政府批判という論理飛躍で結論づけられていってしまったのには閉口。冒頭に知識の乏しい女子高生や女医とのトンチンカンなやりとりでも違和感を覚えたが、ラストでは軍装趣味の右翼や小野田元少尉との対決シーンを恣意的に取り入れるなど、奥村氏個人の怒りを凝縮したものにすり替わっていく。国(政府)、裁判所、旧軍、さらにはノンポリ国民までを悪玉に仕立て上げ、「総括」「総括」と批判する手法は、どこぞの過激派を彷彿とさせるものがある。
そもそも、日本軍山西省問題について言えば、本作では核心に何ら触れていない。奥村氏ドキュメンタリーなのだからそれでいいのだ、と言われればそれまでだが、奥村氏の怒りの原点は山西省問題にあるのだから、そこを紐解かずにどうしようというのか。怒りの対象である政府や裁判所の見解や論点が触れられたのはほぼ皆無であり、逆に原告団の主張もほとんど出てこない。従って、奥村氏が何を怒っているのかが見えてこないのだ。また、その資料にしてもほとんどが既存資料ばかりで、取材に出かけておきながら何ら新資料が提示されないし、資料の信憑性についての視点も全くない。制作陣側が資料精査しようという意志は全く感じられず、山西省問題を扱ったドキュメンタリーとするには失格レベルだ。さらに、奥村氏はたかが兵長であり、ご自身でも述べているが作戦や処刑等の真意については知り得る立場にないし、理解できる立場にもない。となれば、山西省問題については指揮官クラスである元中隊長(中尉)らのドキュメントを中心に組み立てていくべきであろう。事実、原告団長は元中尉であるし、実務リーダー格も元将校のようだ。
その奥村氏に関して言えば、氏自身が何をしたいのか非常に混乱しているように見える。本人は反省と称してはいるが、軍を批判する人格性と軍の戦友を擁護する人格性とが葛藤している。だがこの混乱は氏個人の戦後総括そのものであって、戦後世代に引きずるべきものではないし、ましてや国家批判等に転嫁するべきものではない。自己完結しなければならないということをご本人は理解しているのだろうが、回りが利用するためにそうさせないともいえる。少なくとも、日本帝国理軍の意識を引きずっているとすれば奥村氏ら旧軍兵であり、我々戦後世代にその意識があるとは到底思えない。罪人がいつまでも利用され続ける構図である。そもそも、意識の精算とはどうやったらできるのか、問うてみたい所だ。
残念ながら、内容的には駄作の部類になってしまったが、いずれ別の形で奥村氏の活動の成果も含め、日本軍山西省問題の真実に迫るドキュメンタリーが制作されることを期待してやまない。ちなみに、山西省問題を知るだけならば、書籍やインターネットで映画以上の情報を得ることができる。
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ユーザーレビュー:10件
投稿日
2009/07/11
レビュアー
港のマリー※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
高齢者をめぐる環境がますます悪化する昨今、60代ぐらいで(もうすぐじゃないか!)人生終わりにすることができたらなどと、不遜にも考えていた。(腰痛と肩凝りぐらいしか持病がないので難しいかもしれないが)そんな戦後生まれの薄っぺらな、楽するのが一番という人生観、とすら呼べないような代物だが、この映画の「主演男優」奥村和一さんは、強烈な否を突きつけて咆哮をあげる。動揺した。
アウトラインは確かに「日本軍山西省残留事件」をなぞっている。1945年8月15日を過ぎて4年間も中国山西省で国民党の部隊とともに共産軍と戦った日本兵たちがいた。その数2600名。うち550名は戦死、700名は捕虜になった。無事、日本に帰り着いても勝手に残ったのだろうと言われて、国家補償を受けられない。それどころか「脱走兵」の汚名を着せられるひどい事態も生じた。一部の元兵士たちは残留はすべて軍命によるものだと裁判を起こす。どうやら国民党軍の将軍と日本軍の司令官との間に密約があったらしい。日本側司令官は密かに帰国している。俺たちは売られたんだと、奥村さんは憤る。
しかし、この映画の見所は、山西省事件の真相究明でもなければ、被害者として国家社会に立ち向かう奥村さんの姿にあるのではないと、私は思う。
戦争と軍隊を通して人倫の根源を問う奥村さんの内省の厳しさと、この表現は好きではないがこの際やむをえない、80歳の男のヘヴィな「自分探し」の旅こそが主題だ。
ある意味、彼、究極のKY老人だ。女医さんや電話に出た裁判所の女性職員との微妙なすれ違い。熱くなればなるほど相手にわかってもらえない。中国に赴いても事情は変わらない。殴られるんじゃないかと意気込んで出かけたのに、相手は冷ややかなほど落ち着いている。「もう歴史になったことですよ。歴史に絶対はありません」と、戦った相手である当地の元軍人にすら突き放される始末。
それでも初めて自分が捕虜を銃剣で突き刺した処刑場跡を訪れ線香を手向ける。中国訪問で一番行きたかった場所だそうだ。それだけでも奥村さんの人間性の非凡さがわかる。
戦争だったから、命令だったからと、言い訳はたくさんあろうが、多くの人々はそうやって過去を封印して生きてきたのであろうが、彼の深奥の倫理観が人殺しを許せない。人生が終局に近づけば近づくほど、その思いが強くなる。そして自分に人殺しを強いた戦争と軍隊を深く憎むのである。奥村さんにとって戦争とは何より個人の倫理が蹂躙される事態だった。
それでも、このドキュメンタリーはなかなかのもので、そんな奥村さんに突然兵士の相貌が浮かび上がる瞬間をも捉えている。
もうひとつ、奥村さんが、自分は当時21歳の初年兵で狭い範囲でしか事態をみることが出来なかった、多くの体験者の話を聞いて視野を広げたいと語るのには、驚嘆した。齢80にして、視野の狭い自分を省みることができ、真実への苦しい追究を止めない。それまでは死んでなるものかである。池谷監督が惚れ込んだのもわかる。
ラストは8月15日の靖国神社。「二度と戦争に負けない」国にしようとの演説には苦笑した。いや、笑っていられるか。太平洋戦争勃発の際、これで進む道が示された、出口が見えたと、開放感なり希望なりの感情を綴った作家、思想家は少なくない。閉塞感充満の時代に戦争は魅力的に映る。軍事や軍隊への憧れも依然として健在だ。あの赤軍派の蛮行も軍事崇拝思想が生んだとも言える。立派な革命戦士になるためには平然と人を殺せなくてはならないと思ったと、元メンバーは証言していた。そんな流れの中に奥村さんはひとり、逆らって立つ。
軟弱なふつつか者だけど、せめて奥村さんの影ぐらい踏める身でありたい。
挿入される蟻のショットはいらないのではないかな。奥村さんに蟻のイメージはない。カントが言うような内なる道徳律に従い宇宙と対峙する個人だ。映画が進むにつれだんだんカメラ映りがよくなっていくのはわかるが、逆光に浮かび上がらせたり、ホワイトアウトさせたり、ちょっと演出が過ぎるような気がする。
投稿日
2009/06/22
レビュアー
カポーン※このユーザーレビューは作品の内容に関する記述が含まれています。
本作は、第二次世界大戦後も中国に残留して戦闘を続けた日本軍がいたという、「日本軍山西省問題」で裁判を起こした原告団の一人「奥村和一」氏を中心に据えたドキュメンタリー。日本軍山西省問題とは古くは昭和31年に国会でも取り上げられたもので、日本陸軍支那派遣軍第1軍配下の将兵約2,600名が、戦後も中国国民党系軍閥錫山(えんしゃくざん)の一派として中国共産党軍と戦っている。結局数年に渡って戦闘した結果、約550人が戦死し700人以上が捕虜となった。
本作の主題となるべきテーマには、大きく日本軍山西省問題と奥村氏個人についての二つがあろう。
日本軍山西省問題については、事実上命令系統がどうであったにせよ実に痛ましい事件であり、残留した将兵の気持ちを思い量れば言葉もないし、ましてや戦死した将兵の無念さはいくばくであろうか。さらに、残留の意志決定した上級幹部はともかく、下級将兵のほとんどは皇軍復古のための聖戦と信じての戦闘であったろうし、それに対しての国や裁判所の結論は余りにも冷たいものであるとも感じる。決定的な証拠がない以上は、軍命令であったという見解を国が覆すことができないのは自明の理だが、少なくとも名誉の回復に至る道筋を検討することは不可能ではないだろう。そういう意味で、本作の製作と公開が名誉の回復への一助になったであろうことは想像に難くない。
奥村和一氏は当時兵長として残留しており、中国戦線での自身の殺人行為への贖罪、そして売軍されたという裏切り行為への怒りに満ちている。この二つのテーマが重厚にかつ慎重に織り込まれているとするならば、本作はとてつもなく偉大なノンフィクション映画として賛美を得たであろう。
しかし、本作は後半に行けば行くほど、上記の二つのテーマバランスが崩れていってしまった。日本軍山西省問題が薄っぺらになり、本作が奥村氏個人のドキュメンタリーであったということに気づかされる。さらに、やはりというべきか、軍司令官批判=日本軍批判=日本政府批判という論理飛躍で結論づけられていってしまったのには閉口。冒頭に知識の乏しい女子高生や女医とのトンチンカンなやりとりでも違和感を覚えたが、ラストでは軍装趣味の右翼や小野田元少尉との対決シーンを恣意的に取り入れるなど、奥村氏個人の怒りを凝縮したものにすり替わっていく。国(政府)、裁判所、旧軍、さらにはノンポリ国民までを悪玉に仕立て上げ、「総括」「総括」と批判する手法は、どこぞの過激派を彷彿とさせるものがある。
そもそも、日本軍山西省問題について言えば、本作では核心に何ら触れていない。奥村氏ドキュメンタリーなのだからそれでいいのだ、と言われればそれまでだが、奥村氏の怒りの原点は山西省問題にあるのだから、そこを紐解かずにどうしようというのか。怒りの対象である政府や裁判所の見解や論点が触れられたのはほぼ皆無であり、逆に原告団の主張もほとんど出てこない。従って、奥村氏が何を怒っているのかが見えてこないのだ。また、その資料にしてもほとんどが既存資料ばかりで、取材に出かけておきながら何ら新資料が提示されないし、資料の信憑性についての視点も全くない。制作陣側が資料精査しようという意志は全く感じられず、山西省問題を扱ったドキュメンタリーとするには失格レベルだ。さらに、奥村氏はたかが兵長であり、ご自身でも述べているが作戦や処刑等の真意については知り得る立場にないし、理解できる立場にもない。となれば、山西省問題については指揮官クラスである元中隊長(中尉)らのドキュメントを中心に組み立てていくべきであろう。事実、原告団長は元中尉であるし、実務リーダー格も元将校のようだ。
その奥村氏に関して言えば、氏自身が何をしたいのか非常に混乱しているように見える。本人は反省と称してはいるが、軍を批判する人格性と軍の戦友を擁護する人格性とが葛藤している。だがこの混乱は氏個人の戦後総括そのものであって、戦後世代に引きずるべきものではないし、ましてや国家批判等に転嫁するべきものではない。自己完結しなければならないということをご本人は理解しているのだろうが、回りが利用するためにそうさせないともいえる。少なくとも、日本帝国理軍の意識を引きずっているとすれば奥村氏ら旧軍兵であり、我々戦後世代にその意識があるとは到底思えない。罪人がいつまでも利用され続ける構図である。そもそも、意識の精算とはどうやったらできるのか、問うてみたい所だ。
残念ながら、内容的には駄作の部類になってしまったが、いずれ別の形で奥村氏の活動の成果も含め、日本軍山西省問題の真実に迫るドキュメンタリーが制作されることを期待してやまない。ちなみに、山西省問題を知るだけならば、書籍やインターネットで映画以上の情報を得ることができる。
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蟻の兵隊