三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実 / 三島由紀夫
三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実
/豊島圭介
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全体の平均評価点: (5点満点)
(10 )
解説・ストーリー
1969年5月13日。天皇主義者を自任する天才作家・三島由紀夫は、血気盛んな東大全共闘の若者が待ち受ける駒場キャンパスの900番教室に単身乗り込み、1000人を超える学生を前に真摯かつ白熱の討論を繰り広げた。本作は、当時唯一取材を許されたTBSに残されていた貴重な映像をもとに、芥正彦をはじめとするその場にいた参加者へのインタビューと平野啓一郎や内田樹ら識者の解説を織り交ぜ、伝説の討論会の全貌を明らかにしたドキュメンタリー。 JAN:4562474214667
1969年5月13日。天皇主義者を自任する天才作家・三島由紀夫は、血気盛んな東大全共闘の若者が待ち受ける駒場キャンパスの900番教室に単身乗り込み、1000人を超える学生を前に真摯かつ白熱の討論を繰り広げた。本作は、当時唯一取材を許されたTBSに残されていた貴重な映像をもとに、芥正彦をはじめとするその場にいた参加者へのインタビューと平野啓一郎や内田樹ら識者の解説を織り交ぜ、伝説の討論会の全貌を明らかにしたドキュメンタリー。 JAN:4562474214667
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「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」 の解説・あらすじ・ストーリー
作品詳細
解説・ストーリー
1969年5月13日。天皇主義者を自任する天才作家・三島由紀夫は、血気盛んな東大全共闘の若者が待ち受ける駒場キャンパスの900番教室に単身乗り込み、1000人を超える学生を前に真摯かつ白熱の討論を繰り広げた。本作は、当時唯一取材を許されたTBSに残されていた貴重な映像をもとに、芥正彦をはじめとするその場にいた参加者へのインタビューと平野啓一郎や内田樹ら識者の解説を織り交ぜ、伝説の討論会の全貌を明らかにしたドキュメンタリー。 JAN:4562474214667
「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」 の作品情報
「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」 のキャスト・出演者/監督・スタッフ
三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実の詳細
収録時間:
字幕:
音声:
108分
日
日:ドルビーデジタル5.0ch/ドルビーデジタルステレオ
レイティング:
記番:
レンタル開始日:
TCED5113
2021年02月26日
在庫枚数
1位登録者:
2位登録者:
3枚
1人
0人
日:ドルビーデジタル5.0ch/ドルビーデジタルステレオ
三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実の詳細
収録時間:
字幕:
音声:
108分
日
日:ドルビーデジタル5.0ch/ドルビーデジタルステレオ
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2021年02月26日
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ユーザーレビュー:10件
三島由紀夫を知る人も知らない人にも、お勧めです。
今から51年前にこんな巨人(近代ゴリラ?)が生きていた。 天才小説家and天皇崇拝and右翼思想家 この映画はそんな三島由紀夫の素顔がありありと見える貴重な映画です。 2020年(日本)監督・豊島圭介・108分 1969年5月13日に東京大学駒場キャンパスの900番教室で行われた 作家・三島由紀夫と東大全共闘1000人との2時間半の伝説の討論会のドキュメンタリー。 三島由紀夫の1年半後の市ヶ谷クーデターにも触れ、 当時の全共闘の闘志の現在や、現代の識者(平野啓一郎他)の解説、フィルムを撮影して保管したTBCなどの証言も聞ける貴重な映画です。 だいたいに学生運動とはなんぞや。 ともかく若者たちが元気活発だった。 何千人ものデモ。 警察に火炎瓶や角材を持って立ち向かう。 その勇敢だったこと。 (就職に不利・・・とか、せっかく東大まで受かった息子の、この姿・・・親が泣く・・・) そんな忖度は若者に無かった。 世を正すこと!! 官憲に立ち向かうこと!! 秩序を乱すこと!! 今の大人しい若者が見たら聞いたら、あまりの違いに腰を抜かすに違いない。 当時既に三島由紀夫はノーベル賞も狙える大作家で、プライベートで民兵組織「楯の会」を 主催する武闘派でもあった。 そんな三島由紀夫が単身、東大駒場キャンパスで1000人の東大生と堂々と渡り合う 大討論会だ。 会のポスターには三島の似顔絵の下に「近代ゴリラ」の文字。 そして飼育料100円と会費のことを書いている。 三島は終始冷静にしてにこやか。 相手の話を決してさえぎらずに最後まで聞く態度は素晴らしい。 東大の論客は芥という名の闘志が、女の赤ん坊を背負って登壇していた。 小難しい話をする男で、私には殆ど意味不明だった。 彼の抽象論に業を煮やした学生の一人が、 「今日は三島由紀夫をぶん殴る会だと聞きて来たんだ」と登壇するが、 これもことなきを終え、三島由紀夫が論破され顔色を失うシーンは、 残念ながらなかった。 「君らが一言、天皇と言えば、喜んで手を繋ぐのに・・」 と、ラブコールをしたり、ポロリと、 「革命で人を殺して、お巡りさんに追いかけられたら、その時は自害する」 などの意味深発言もあった。 1969年前後は「世界革命の年」だった。 ベトナム戦争 フランスの5月革命 プラハの春の終焉 歴史との距離感が今とは違うのだ。 他人事ではなくて、自分ごと。 世界の歴史を肌で感じるそんな時代だった ガチで討論する三島由紀夫と東大全共闘。 そんな熱かった時代が懐かしい。 「学生運動」で日本は変わったか? 少なくとも学生運動活動家の意思は様々な業種に浸透して変容して根付いている。 そんな圧倒的な熱量を三島を通して、ぜひ体感してください。
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伝説の「 対論 」に思いを馳せて
( ネタばれあり ) 1969年5月13日。 東大・駒場キャンパスの900番教室。 そこで行われた、三島由紀夫と東大全共闘の「 伝説の討論会 」を取材していたTBSの録画映像を基にしたドキュメンタリー。 だが、当時の主催者も、本作も「 討論会 」と名付けているが、これは「 討論 」ではなくて「 対論 」であったと思うのです。 ネットなどで論争が起こり、テレビなどでは徹底討論と称する番組がありますが、それらの多くは論者同士のマウントの取り合いに堕する場合がしばしばでげんなりしてしまう。 どうやって言い返してやろうかと考えながらうわの空で相手の話を聞き流す、あるいは相手がまだ話しているのに遮って自説をまくしたてる。 相手が言い返さなくなったら「 論破 」したとドヤ顔をし、ギャラリーも乗っかって「 フルボッコ 」と評し、あるいは相手に否定的なラベリングしてあざける。 相手が言い返さなくなるのは、こんなこともわかってないのかと議論の相手として見限られてるのかもしれないのに。 不毛な議論は避けてしまいます。 当時過激な言動だった、右翼の三島由紀夫と左翼の東大全共闘。 対立する真逆の立場と考えられた両者だが、東大の出身者と現役学生という点で共通し、ともに左右両側から既成勢力の自民党と共産党、権威主義の学界に反逆し、反米と言う点では一致していました。 決闘のつもりで乗り込んだ三島は「 諸君 」と語りかけ、三島を近代ゴリラと揶揄していた学生たちも思わず「 先生 」と呼んで、ヤジで話を遮ることもなく、互いに相手に敬意を払いながらていねいな言葉遣いで議論を進めていく。 頭のいい者同士の対論は話がむずかしくてわかりにくく、また話がかみ合わない部分もたしかにある。 双方が言い分で妥協し合意をめざす「 話し合い 」とも違い、「 対論 」は終わっても双方の基本の考え、立場は変わらない。 しかし相手が何を考えているかに耳を傾け、異なる視点でとらえてみる試みは、思索を深める有意義でたしかなものと思うのです。 残念ながら、三島は翌年事件を起こし自死しますし、学生運動は先鋭化して分裂し、その一部は内ゲバや様々な事件を引き起こして、一般社会からの支持を失って、日本社会全体の政治運動は活発さを失い退潮していくこととなります。 それゆえに、この日の「 対論 」は伝説となったのではないでしょうか。 さて、話は変わりますが、ここDISCASで作品『 MINAMATA 』について、ちゅくさんは問題提起され、ぼくは反応しました。 ぼくはこれを「 対論 」と考えております。 マウントを取り合う勝負の「 討論 」と考えていませんし、意見をぶつけあった結果、仮に自説を変えられても、負けということでも、恥ずかしいことでもなんでもありません。 また失礼なことをされたなどとは、受け取っておりません。 むしろ、作品をもう一度見直し、再考し思索を深められるとおっしゃるちゅくさんに敬意を表します。 僕も、今後追加レビューを書く中で、ちゅくさんのご意見にさらなる反論する形になることもあろうかとは思います。 ですが、それはお互いに論点を出し合って、より思索を重ね、作品理解を深めようという意図でのことなので、ちゅくさんにも、また互いのやりとりをご覧になる他のレビュアーの方々にも、その点をご理解いただきますよう、あらためてお願いいたします。
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私には、無意味な思考実験としか...
私は、学生運動でキャンパスが騒然としていた時代のだいぶ後に大学へ入った。なので当時の闘争的な空気、世情を知らない。 正直討論の中身はわからないし、つまらない。無意味な思考実験としか思えないし、ナンセンスだ。今の感覚で言わせてもらえば... むしろ「東大全共闘」の元メンバーや「楯の会」の元会員へのインタビューで、彼らが当時を振り返る回顧談のほうが興味深かった。一方は学生運動に明け暮れ、もう一方は三島と行動を共にした彼らが、当時の自分をその行動をどう総括してその後の人生を生きてきたのか、その辺のところをもう少し聞いてみたいと思った。 三島の最後(三島事件、あるいは楯の会事件)については、たくさんの考察があるようだ。 真実は本人しか知らないわけで、そこに至るまでに精緻な思考があり、いろいろな要因があってのことと思うが、考察のなかに「自死の願望」を実行したものとの見方がある。いわゆる「死にたがり」だ。私も、彼の内心の本質的な部分、その核にあったのはそれではなかったかと思っている。 彼は後年武に傾倒し、身体を異様に鍛えている。しかし人間であるから必ず年をとり、彼もやがて老人になる。彼は、老人になった自分など見たくはなかったのではないか。知りたくなかったのではないか。最高の自分をつくりあげたその時に、その自分のままで、彼は逝きたかったのではないか。私にはそんなふうに思えてならない。
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【その2】「三島由紀夫」論の序章として
「政治闘争」と「文化闘争」の毛沢東主義の「正当性」を、当時の三島由紀夫「文化防衛論」を楯に、今も生き延びて語る元「全共闘」面々に自信を感じることはできません。 赤子を抱いて(楯にする卑怯な戦略と私は思う)、三島に嚙付く全共闘第一の論客──A氏は、人の話を聴かないことが戦法であり、73歳になった今も同じキャラクターであることがわかりました。人の話を全く聴かない、相手の論点を絶えずすり替え、指摘されたら目線を合わせず「比較されたらおかしい」と言い続けますが、「知的大人」の三島は実に辛抱強く付き合っている。(三島は死を決めていたのかもしれない。) 私見では、三島由紀夫(1925〜1970)の最高作品は、「金閣寺」(1956)であり、その後の作品を長く読んでいませんでした。畢生の四部作と呼ばれる「豊饒の海」も一行も読んでいません。自決せず、ずっと作品を書いていれば……バベルの塔のような作品群を書いたのかもしれませんが、自分の生を絞り込んだのです。彼には、「丙種失格」で戦争に参加できなかったコンプレックスがあり、その後の肉体改造、男らしさの追究が生じ、それを実現するために、行動原理が生じたのではないか。 これも仮定ですが、彼には「二通りの未来」があったかもしれません。 ノーベル賞を得て、世界的なヒーローになり、自分の小説で世界を変える。 いっぽう、師匠の川端康成が先にノーベル賞を得てしまうと、この先、数十年、日本作家には回ってこない。そこで、政治的言動に進み、自分を追い込んでいった──既存の邪推です。 私がずっと読んでいるのは、推理小説作家の松本清張(1902〜1992)であり、中央公論社の「日本の文学」全集(1963から刊行)の編集委員だった三島が松本を排除したことを知り、私が勝手に反感を持ったことがありました。何たる貴族趣味、エンタテインメント排除、と。 最近、三島由紀夫の中編を読みました。国学者・歌人の折口信夫の最後の旅を描いた「三熊野詣(みくまのもうで)」(1965)。美しい小説でした。清張が書けば、男色家であった折口が養子・愛人で戦死した春洋とともに土葬されている石川県・羽咋市の海岸墓地を描いたでしょう。 物事の描き方は、三島と清張では正反対のように感じることが多いです。「2.26」など。 そして、侮蔑された清張が認めているように、三島の小説は端正で建築的で無駄がありません。全部が空虚・無駄でなければ。 三島の「真夏の死」という中編を最近、全文朗読で眠りながら聴きましたが、実に達者で、引き込まれました。
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【その1】前提と市ヶ谷での割腹
「三島由紀夫 VS 東大全共闘 50年目の真実」(2020、GAGA/日本、カラー、108分)。1969(昭和44)5月13日に東京大学駒場900番教室で行われた、三島由紀夫と東大全共闘の討論会が主題です。 当時、私は、11歳でした。三島由紀夫(1925〜1970)を全く知らず、翌1970年の大阪万博のときは小学6年生でした。彼がその年11月15日、東京の自衛隊・市ヶ谷駐屯地で、総監を監禁し、バルコニーで「蹶起(けっき)」を自衛隊「諸君」に促す演説をしたのち、割腹自殺を遂げたとき、私は珠算塾から家に帰り、父から「三島が死んだ」と聞かされました。当時、なんで歌手の「三島敏夫」がお腹を切るのかと思った少年でした。その後、新聞社系の月刊誌に、ある写真が出たことをはっきり憶えています。二つの首。三島氏と森田必勝さん(1945〜1970)さんの首。その後、時代を経るなかで、三島氏の腹は「斬り過ぎで腸が出ていた」、彼の首はいっさんにすぱっと斬られたものではない、なぜなら、必勝さんが迷ったからだ。必勝さんの首は一線で素早く切られていた。切った古賀氏は自分が斬られる心配がなかったからだ。──「三島と森田は心中ではないか」──あらぬ噂がたったものでした。 三島由紀夫のこの東大駒場の「対論」は、最初から最後まで、非常に冷静に行われたと思います。三島も東大卒ですし、ここに集まった「全共闘」の1000人弱の学生も、想定論争を準備していたのではないかと思います。三島と「学生との対話」(1988)という新潮社のカセット2巻を先に聴いています。それは東大だけでなく早大、一橋大、茨城大での対話を含む110分でした。 「私は自民党はもっと反動であってほしいし、共産党はもっと暴力的であってほしい」という三島は、天皇制を絶対に護持する「純粋右翼」の立場で、「近代ゴリラ」と左翼や中道の知識人から揶揄されながら、仲間を求めていたのであろうと私は思います。左翼の全学連との関係はともあれ、紳士的に語り、ユーモアを交えながら、ストレスを発散し、一部であれリクルートしたい意図があったのかもしれません。彼の行動原理は、東京が左翼クーデターによって騒乱状態になったとき、みずから率いる私兵隊によって天皇を守ることでした。
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ユーザーレビュー
三島由紀夫を知る人も知らない人にも、お勧めです。
投稿日
2021/02/26
レビュアー
カマンベール
今から51年前にこんな巨人(近代ゴリラ?)が生きていた。 天才小説家and天皇崇拝and右翼思想家 この映画はそんな三島由紀夫の素顔がありありと見える貴重な映画です。 2020年(日本)監督・豊島圭介・108分 1969年5月13日に東京大学駒場キャンパスの900番教室で行われた 作家・三島由紀夫と東大全共闘1000人との2時間半の伝説の討論会のドキュメンタリー。 三島由紀夫の1年半後の市ヶ谷クーデターにも触れ、 当時の全共闘の闘志の現在や、現代の識者(平野啓一郎他)の解説、フィルムを撮影して保管したTBCなどの証言も聞ける貴重な映画です。 だいたいに学生運動とはなんぞや。 ともかく若者たちが元気活発だった。 何千人ものデモ。 警察に火炎瓶や角材を持って立ち向かう。 その勇敢だったこと。 (就職に不利・・・とか、せっかく東大まで受かった息子の、この姿・・・親が泣く・・・) そんな忖度は若者に無かった。 世を正すこと!! 官憲に立ち向かうこと!! 秩序を乱すこと!! 今の大人しい若者が見たら聞いたら、あまりの違いに腰を抜かすに違いない。 当時既に三島由紀夫はノーベル賞も狙える大作家で、プライベートで民兵組織「楯の会」を 主催する武闘派でもあった。 そんな三島由紀夫が単身、東大駒場キャンパスで1000人の東大生と堂々と渡り合う 大討論会だ。 会のポスターには三島の似顔絵の下に「近代ゴリラ」の文字。 そして飼育料100円と会費のことを書いている。 三島は終始冷静にしてにこやか。 相手の話を決してさえぎらずに最後まで聞く態度は素晴らしい。 東大の論客は芥という名の闘志が、女の赤ん坊を背負って登壇していた。 小難しい話をする男で、私には殆ど意味不明だった。 彼の抽象論に業を煮やした学生の一人が、 「今日は三島由紀夫をぶん殴る会だと聞きて来たんだ」と登壇するが、 これもことなきを終え、三島由紀夫が論破され顔色を失うシーンは、 残念ながらなかった。 「君らが一言、天皇と言えば、喜んで手を繋ぐのに・・」 と、ラブコールをしたり、ポロリと、 「革命で人を殺して、お巡りさんに追いかけられたら、その時は自害する」 などの意味深発言もあった。 1969年前後は「世界革命の年」だった。 ベトナム戦争 フランスの5月革命 プラハの春の終焉 歴史との距離感が今とは違うのだ。 他人事ではなくて、自分ごと。 世界の歴史を肌で感じるそんな時代だった ガチで討論する三島由紀夫と東大全共闘。 そんな熱かった時代が懐かしい。 「学生運動」で日本は変わったか? 少なくとも学生運動活動家の意思は様々な業種に浸透して変容して根付いている。 そんな圧倒的な熱量を三島を通して、ぜひ体感してください。
伝説の「 対論 」に思いを馳せて
投稿日
2022/02/27
レビュアー
ロキュータス
( ネタばれあり ) 1969年5月13日。 東大・駒場キャンパスの900番教室。 そこで行われた、三島由紀夫と東大全共闘の「 伝説の討論会 」を取材していたTBSの録画映像を基にしたドキュメンタリー。 だが、当時の主催者も、本作も「 討論会 」と名付けているが、これは「 討論 」ではなくて「 対論 」であったと思うのです。 ネットなどで論争が起こり、テレビなどでは徹底討論と称する番組がありますが、それらの多くは論者同士のマウントの取り合いに堕する場合がしばしばでげんなりしてしまう。 どうやって言い返してやろうかと考えながらうわの空で相手の話を聞き流す、あるいは相手がまだ話しているのに遮って自説をまくしたてる。 相手が言い返さなくなったら「 論破 」したとドヤ顔をし、ギャラリーも乗っかって「 フルボッコ 」と評し、あるいは相手に否定的なラベリングしてあざける。 相手が言い返さなくなるのは、こんなこともわかってないのかと議論の相手として見限られてるのかもしれないのに。 不毛な議論は避けてしまいます。 当時過激な言動だった、右翼の三島由紀夫と左翼の東大全共闘。 対立する真逆の立場と考えられた両者だが、東大の出身者と現役学生という点で共通し、ともに左右両側から既成勢力の自民党と共産党、権威主義の学界に反逆し、反米と言う点では一致していました。 決闘のつもりで乗り込んだ三島は「 諸君 」と語りかけ、三島を近代ゴリラと揶揄していた学生たちも思わず「 先生 」と呼んで、ヤジで話を遮ることもなく、互いに相手に敬意を払いながらていねいな言葉遣いで議論を進めていく。 頭のいい者同士の対論は話がむずかしくてわかりにくく、また話がかみ合わない部分もたしかにある。 双方が言い分で妥協し合意をめざす「 話し合い 」とも違い、「 対論 」は終わっても双方の基本の考え、立場は変わらない。 しかし相手が何を考えているかに耳を傾け、異なる視点でとらえてみる試みは、思索を深める有意義でたしかなものと思うのです。 残念ながら、三島は翌年事件を起こし自死しますし、学生運動は先鋭化して分裂し、その一部は内ゲバや様々な事件を引き起こして、一般社会からの支持を失って、日本社会全体の政治運動は活発さを失い退潮していくこととなります。 それゆえに、この日の「 対論 」は伝説となったのではないでしょうか。 さて、話は変わりますが、ここDISCASで作品『 MINAMATA 』について、ちゅくさんは問題提起され、ぼくは反応しました。 ぼくはこれを「 対論 」と考えております。 マウントを取り合う勝負の「 討論 」と考えていませんし、意見をぶつけあった結果、仮に自説を変えられても、負けということでも、恥ずかしいことでもなんでもありません。 また失礼なことをされたなどとは、受け取っておりません。 むしろ、作品をもう一度見直し、再考し思索を深められるとおっしゃるちゅくさんに敬意を表します。 僕も、今後追加レビューを書く中で、ちゅくさんのご意見にさらなる反論する形になることもあろうかとは思います。 ですが、それはお互いに論点を出し合って、より思索を重ね、作品理解を深めようという意図でのことなので、ちゅくさんにも、また互いのやりとりをご覧になる他のレビュアーの方々にも、その点をご理解いただきますよう、あらためてお願いいたします。
私には、無意味な思考実験としか...
投稿日
2021/12/08
レビュアー
哲郎
私は、学生運動でキャンパスが騒然としていた時代のだいぶ後に大学へ入った。なので当時の闘争的な空気、世情を知らない。 正直討論の中身はわからないし、つまらない。無意味な思考実験としか思えないし、ナンセンスだ。今の感覚で言わせてもらえば... むしろ「東大全共闘」の元メンバーや「楯の会」の元会員へのインタビューで、彼らが当時を振り返る回顧談のほうが興味深かった。一方は学生運動に明け暮れ、もう一方は三島と行動を共にした彼らが、当時の自分をその行動をどう総括してその後の人生を生きてきたのか、その辺のところをもう少し聞いてみたいと思った。 三島の最後(三島事件、あるいは楯の会事件)については、たくさんの考察があるようだ。 真実は本人しか知らないわけで、そこに至るまでに精緻な思考があり、いろいろな要因があってのことと思うが、考察のなかに「自死の願望」を実行したものとの見方がある。いわゆる「死にたがり」だ。私も、彼の内心の本質的な部分、その核にあったのはそれではなかったかと思っている。 彼は後年武に傾倒し、身体を異様に鍛えている。しかし人間であるから必ず年をとり、彼もやがて老人になる。彼は、老人になった自分など見たくはなかったのではないか。知りたくなかったのではないか。最高の自分をつくりあげたその時に、その自分のままで、彼は逝きたかったのではないか。私にはそんなふうに思えてならない。
【その2】「三島由紀夫」論の序章として
投稿日
2022/03/29
レビュアー
ちゅく
「政治闘争」と「文化闘争」の毛沢東主義の「正当性」を、当時の三島由紀夫「文化防衛論」を楯に、今も生き延びて語る元「全共闘」面々に自信を感じることはできません。 赤子を抱いて(楯にする卑怯な戦略と私は思う)、三島に嚙付く全共闘第一の論客──A氏は、人の話を聴かないことが戦法であり、73歳になった今も同じキャラクターであることがわかりました。人の話を全く聴かない、相手の論点を絶えずすり替え、指摘されたら目線を合わせず「比較されたらおかしい」と言い続けますが、「知的大人」の三島は実に辛抱強く付き合っている。(三島は死を決めていたのかもしれない。) 私見では、三島由紀夫(1925〜1970)の最高作品は、「金閣寺」(1956)であり、その後の作品を長く読んでいませんでした。畢生の四部作と呼ばれる「豊饒の海」も一行も読んでいません。自決せず、ずっと作品を書いていれば……バベルの塔のような作品群を書いたのかもしれませんが、自分の生を絞り込んだのです。彼には、「丙種失格」で戦争に参加できなかったコンプレックスがあり、その後の肉体改造、男らしさの追究が生じ、それを実現するために、行動原理が生じたのではないか。 これも仮定ですが、彼には「二通りの未来」があったかもしれません。 ノーベル賞を得て、世界的なヒーローになり、自分の小説で世界を変える。 いっぽう、師匠の川端康成が先にノーベル賞を得てしまうと、この先、数十年、日本作家には回ってこない。そこで、政治的言動に進み、自分を追い込んでいった──既存の邪推です。 私がずっと読んでいるのは、推理小説作家の松本清張(1902〜1992)であり、中央公論社の「日本の文学」全集(1963から刊行)の編集委員だった三島が松本を排除したことを知り、私が勝手に反感を持ったことがありました。何たる貴族趣味、エンタテインメント排除、と。 最近、三島由紀夫の中編を読みました。国学者・歌人の折口信夫の最後の旅を描いた「三熊野詣(みくまのもうで)」(1965)。美しい小説でした。清張が書けば、男色家であった折口が養子・愛人で戦死した春洋とともに土葬されている石川県・羽咋市の海岸墓地を描いたでしょう。 物事の描き方は、三島と清張では正反対のように感じることが多いです。「2.26」など。 そして、侮蔑された清張が認めているように、三島の小説は端正で建築的で無駄がありません。全部が空虚・無駄でなければ。 三島の「真夏の死」という中編を最近、全文朗読で眠りながら聴きましたが、実に達者で、引き込まれました。
【その1】前提と市ヶ谷での割腹
投稿日
2022/03/29
レビュアー
ちゅく
「三島由紀夫 VS 東大全共闘 50年目の真実」(2020、GAGA/日本、カラー、108分)。1969(昭和44)5月13日に東京大学駒場900番教室で行われた、三島由紀夫と東大全共闘の討論会が主題です。 当時、私は、11歳でした。三島由紀夫(1925〜1970)を全く知らず、翌1970年の大阪万博のときは小学6年生でした。彼がその年11月15日、東京の自衛隊・市ヶ谷駐屯地で、総監を監禁し、バルコニーで「蹶起(けっき)」を自衛隊「諸君」に促す演説をしたのち、割腹自殺を遂げたとき、私は珠算塾から家に帰り、父から「三島が死んだ」と聞かされました。当時、なんで歌手の「三島敏夫」がお腹を切るのかと思った少年でした。その後、新聞社系の月刊誌に、ある写真が出たことをはっきり憶えています。二つの首。三島氏と森田必勝さん(1945〜1970)さんの首。その後、時代を経るなかで、三島氏の腹は「斬り過ぎで腸が出ていた」、彼の首はいっさんにすぱっと斬られたものではない、なぜなら、必勝さんが迷ったからだ。必勝さんの首は一線で素早く切られていた。切った古賀氏は自分が斬られる心配がなかったからだ。──「三島と森田は心中ではないか」──あらぬ噂がたったものでした。 三島由紀夫のこの東大駒場の「対論」は、最初から最後まで、非常に冷静に行われたと思います。三島も東大卒ですし、ここに集まった「全共闘」の1000人弱の学生も、想定論争を準備していたのではないかと思います。三島と「学生との対話」(1988)という新潮社のカセット2巻を先に聴いています。それは東大だけでなく早大、一橋大、茨城大での対話を含む110分でした。 「私は自民党はもっと反動であってほしいし、共産党はもっと暴力的であってほしい」という三島は、天皇制を絶対に護持する「純粋右翼」の立場で、「近代ゴリラ」と左翼や中道の知識人から揶揄されながら、仲間を求めていたのであろうと私は思います。左翼の全学連との関係はともあれ、紳士的に語り、ユーモアを交えながら、ストレスを発散し、一部であれリクルートしたい意図があったのかもしれません。彼の行動原理は、東京が左翼クーデターによって騒乱状態になったとき、みずから率いる私兵隊によって天皇を守ることでした。
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三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実
(C)映画「三島由紀夫VS東大全共闘」製作委員会 ※ジャケットデザインは変更になる場合がございます。